先日、元キイストンの社員で現飲食店オーナーの岡部のお店に突然訪問。
繁盛していたので安心、おかげでごちそうになってしまった。(強制かな?)
キイストンに入社した時は、確かまだ21歳前後だったがしっかりとしてきた。
三軒茶屋に行った際は是非お立ち寄りください。
先日、元キイストンの社員で現飲食店オーナーの岡部のお店に突然訪問。
繁盛していたので安心、おかげでごちそうになってしまった。(強制かな?)
キイストンに入社した時は、確かまだ21歳前後だったがしっかりとしてきた。
三軒茶屋に行った際は是非お立ち寄りください。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社日本レストランエンタプライズ 代表取締役社長 浅井克巳氏登場。
本文より~
大学卒業を控え、就職活動を開始した浅井は、三菱重工や石川島播磨など、そうそうたるメーカーから内定をもらう。だが、旅好きな浅井が選んだのはまだ民営化されるまえの「国鉄」だった。研修の後、金沢鉄道管理局に配属された。ここが浅井の出発点になる。1年はホームで駅員をやり、電車も運転したことがあるそうだ。その後、本社とこの金沢の管理局を代わる代わる異動。後に、会ったこともない人間から「おまえが浅井か」と言われるようになる。というのも、当時の国鉄は違った管理局への異動があたりまえ。浅井のように同じ管理局ばかり異動するのは、特異なケースだったからだ。だから、知らぬ間に有名人になっていた。
もちろん、浅井が注目されたのはそれだけではないだろう。大蔵省(現、財務相)との交渉窓口など、重要な仕事を任されていく。本社と金沢を行き来するたびに新たな業務が与えられ、役職も上がった。駅長になったのは27歳のとき。28人の部下ができた。浅井よりベテラン選手がほとんどだ。 ・・・。
株式会社日本レストランエンタプライズ 代表取締役社長 浅井克巳氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社エンカレッジ 代表取締役社長 小森寿文氏登場。
本文より~
この割烹料理屋に小森は8ヵ月ほど勤め、その後、友人に誘われるまま上京する。府中の小さなアパートが、東京暮らしの始まりだった。友人の父の紹介で、ある飲食店で働き始めた小森だったが、3年近くが経ち、「せっかく東京まで来たのだから、もっと派手な、東京っぽい店で働きたい」と思うようになったそうだ。
「そんな時、偶然、三宿の『ゼスト』を見かけたんです。暗闇のなかに浮かび上がるような感じで、これは凄いな、と。すぐに、お店を調べて働かしてくださいと押しかけたんです」。これがグローバルダイニングと小森の出会いだった。グローバルダイニングは厳しさでも有名だ。仕事ができないと容赦ない。「半年間ぐらい、アルバイトからもアゴで使われました。『おい、小森、これやっとけ』みたいな」。だが、その最初の関門を乗り越えた小森は、次第に中心メンバーから直接指導されるような立場になる。当時の、グローバルダイニングには、そうそうたるメンバーがいた。その人たちから直接、薫風を受けられたことが小森にとっては貴重な財産になる。・・・。
・2000人以上のトップセールスマンだけが集まる会社プルデンシャル生命保険で日本一を達成
・史上初、個人としてもチームとしても日本一を達成!
・30代半ばの営業マンで年収1億円突破を達成!
・5年でプルデンシャル営業マン最高位、エグゼクティブ・ライフプランナーに認定
など、次々で誰も達成できないような目標を達成してきた
プルデンシャルの中でも伝説的人物。(2009年3月に退社)
しかし、彼には誰にも知られていないヒミツがあった。
学生時代までは、まったく成功体験のない、ただの学生だったのです。
それどころか、家庭の事情から、どんどん落ちぶれていく生活を続けていたそうです。
本書では、そんなかつてダメだった男が、自分が望む目標を次々に達成できたある方法を公開しています。
◆未来の自分と契約を交わせ!
本書のタイトルにある『億万長者』とは、実は私(著者)のことではありません。
また契約書と言っても、何も「悪魔と契約しろ」と言っているわけでもありません。
本書のタイトルにある億万長者とは、「未来のあなた」のことです。
つまり契約書をかわすのは、あなた自身であり、あなたがこれから作る、「理想の自分」と契約をかわしてほしいのです。
目標達成は「理想の自分」「目標」にコミットメントできた人間だけが達成することができます。
もちろん、あなたの達成したい目標は「お金」ばかりではないでしょう。本書で紹介する方法は、あらゆる目標達成のための方法です。
「仕事の業績アップ」「起業を成功させること」「投資」「経営」などから、「ダイエット」「禁煙」「貯金」などの日常にある目標でも、すべてに使うことができる、そんな方法をご紹介しています。
本書で紹介する目標達成のための技術を持っていれば、あなたの人生は間違いなく変わります。たとえば、
・30代半ばに年収1億円を突破する
・あなたの年収を5000万円以上にする
・あなたの会社を一部上場へ
・営業で日本一の成績を叩き出す
・庭付きの一戸建ての家を購入する
・ダイエットでマイナス10キロを達成する
・幸せな家庭を築けるようになる
・どんな難関試験でも突破できるようになる
かもしれません。
(アマゾンより)
早いもので、2009年も残り10日あまり。
とにかく年齢を重ねるごとに1年がすごく早い。
経済市場の環境もこの数年、インターネットの存在でビジネスが大きく変化してきた。
旧態依然では、存続さえ厳しい時代に突入した。
その反面、小が大に勝てる時代にもなってきた。
そんななか、どの立ち位置にいるかでまったく違ってくる。
キイストンは、社長に会っている数が人一倍多いので、人脈を持っている。
今年残り少ないが、年末までにいくつか契約が待っている。
営業マンたちが、これは行けるとワクワク感出てきた。
やっぱり経営理念で、より多くの人に夢・希望を与えるといっている会社はそれでなくては・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社インテリジェントプランナー 代表取締役社長 原田裕介氏登場。
原田氏は元々、不動産賃貸の営業や通信関連の営業の仕事に就いていた。歩合給だったこともあり、いわゆる「体育会系」という言葉がしっくりくる社風。自分の生活のために、朝から晩まで走り回っていたという。その経験により、「商売とは何か?」が体に叩き込まれていたのだろう。だからこそ、「一刻」がOPENして、まず彼がとった集客方法は、当時では珍しいチラシ配りだった。「今でこそほとんどのお店が路上でチラシを配るなど、いわゆるキャッチをしていますが、あの頃それをやっていたのはカラオケ店ぐらいだったんです。でも、街中にはおなかをすかした人が山ほどいる。そんな方々に、『どうですか?』と一人ずつ声をかける。まぁ営業ですよね。それが、何よりの宣伝になっていたんです」。原田氏はそう語る。また、「お客さまを呼んでくれた仲間のためにも、俺たちはいい接客と料理を提供しよう」と、店外と店内のスタッフの間に自然とチームワークが生まれていったのだという。・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社石焼ビビンパ 代表取締役社長 松原直彦氏登場。
松原は開業医の長男として1961年、福岡県北九州市で生まれる。弟、妹の三人兄弟。裕福な家庭だったこともあり、何不自由のない生活を送る。子どもの頃からバイオリンを習っているのも経済的に恵まれていたからだろう。開業医の父をみて育ったからだろうか、「小さい頃から医学書」を読んでいたという。将来は、「医者になる」。それが当然の目標だった。だが、高校進学前に両親が離婚。進学後には父が死去した。一方、進学したのは、県内でも1,2を争う進学校。勉強に熱心で、夏休みも5日間しかないような学校だったらしい。それでも、医者を目標に勉強に精をだす松原だったが、この時点ではすでに音楽に強烈に惹かれていた。・・・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にフードインクルーヴ株式会社 代表取締役社長 加藤清司氏登場。
「最初は、自信がなかった」と加藤は正直にいう。いくら数字の管理はできても、店の経営となると、また違う次元の話だ。いい人がみつかるまでの「リリーフ」でなければ、断っていたかもしれない。「週の前半を香川で過ごし、水曜や木曜からはこちらという生活が続きました。でも、徐々に東京にいる時間が長くなっていくんです」。村さ来は、居酒屋の老舗であると同時に、日本のフランチャイズの先駆けでもある。オーナーの大部分が、加藤より、年も、経験も上。そのオーナーたちから厳しい声があがる。「香川と東京を行き来して経営ができるのか」と。その声に応えるように、東京で過ごす時間が長くなっていくのである。
「現場を知らない」、加藤は経営者として弱みになるようなことも平気で口にする。・・・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サンクスプラス 代表取締役社長 桝本幸典氏登場。
こうと決めたら一直線。まったくの未経験で株式会社グローバルダイニングの面接を受けた。同社が経営する「権八」に魅了されたからだ。「ジントニックの作り方も知らないのに、とにかくやらせてくれ」と。アルバイトからでいいのではないか、という担当者の言葉に耳を貸さず、ともかく「正社員で」の一点張り。ついに根負けした担当者が社長に合否を委ね、社長があっさり採用してくれた。ただし、面接官の言う通り、そこからがたいへんだった。実は、同社には正社員とアルバイトに大きな違いはなかった。アルバイトでも長ともなれば平気で正社員を叱りつける。当然、カクテルひとつ作れない桝本には叱責が飛ぶ。実力では到底かなわない。腕力だけでは勝てないことがあると初めて悟った。がむしゃらに働いた。「5倍、10倍、働けば、絶対、勝てる」そう思いながら。それから半年で「体重は13キロ減った」そうだ。・・・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ピューターズ 代表取締役社長 松下義晴氏登場。
「向こうを八時にでればだいたい10時には店に着く」と松下はいう。向こうとは、湘南の海のことだ。高校を卒業した松下は、実家の寿司屋に就職。だが、仕事より先にサーフィンにハマってしまった。だから、明け方から海に行き、台風が来ると知ると、心を高鳴らせてしまうのだった。一方、寿司屋の修行でも手は抜かなかった。「ただ、次男がやがて本格的な寿司屋へ修行に行くんですが、後で一緒に店をやるようになって弟をみているとやはり基本ができているんですね。私の場合は、実家の店で2年、親戚の店で2年修行させてもらったんですが、上の人が入れ替わったこともあって、なかなかちゃんと修行ができなかった」とも言っている。・・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社リアルテイスト 代表取締役社長 路次徹夫氏登場。
本文より~
中学卒業後、路次は私立の泉州高校に進学した。サッカーが盛んな県立高校に行きたかったが失敗してしまったからだ。この私立高校は、全校で女子生徒1000人に対して、男子生徒わずか100人。もともと女子高だったところに、進学校をめざし、男子のみの特進クラスを設けたようなものだった。授業は朝8時~夜8時まで続いたが、「だんじり祭りの日以外は、一度も休まず通った」という。ところで、路次は、毎日自転車で通っている。女子生徒で満席になるバスに乗るのがためらわれたからだ。・・・・。
もし独立したいなら、また人の上に立ちたいなら、20代、30代前半は、無理してでも人の2~3倍の絶対的な仕事量をこなしてほしい。
仕事の量と続けた期間が、その人間の成長を促進させるはず。
理由は簡単。人の倍することで1年が半年でできる。またそれを続けることでさらに成長を倍増する。
あとは新しいチャレンジを自ら進んでやってみること。
最近、甘くしていたことが実は成長を止めていたことに気がついた。
もう少しで社長として、また年齢相応の仕事ができそうかも・・・・。