in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社エイム 代表取締役社長 横内新一氏登場。
本文より~
「3畳1間」「共同トイレ」からの脱出。
横内が、中学2年の時、横内家は6畳のアパートに引っ越した。子どもたちの体も大きくなっていたため、長男は、仕事先で寝泊りした。横内は新聞配達とバレー部に所属。部活動に専念した。授業は貴重な睡眠時間だった。ところで、中学で横内はバレーを辞めるのだが、高校になって授業で行なわれたバレーの試合を観た当時のバレー部監督が目を留め、1年間限定という約束でバレー部に入り部長を務めたという。運動神経も群を抜いていたのだろう。ケンカも強かった。だが、ケンカよりも、授業よりも、クラブ活動よりも、一番は仕事だった。働かないと「小遣い」さえなかったからだ。高校時代もさまざまなバイトを経験。高校3年生の頃には20人程度が入れる小さなラーメン店だが、店長のような仕事を任されている。幼少の頃から「独立起業」をめざしていたが、この頃になると、その思いが鮮明な具体像を持つようになる。料理人も、その一つの姿だ。地元の店で就職したが、2ヵ月後、京都、嵯峨野の和食料理店で働き口が見つかり、退職。この料理店で2年間修行している。18歳から20歳。当時の横内と同年代の青年がいまや横内の店にも入店してくる。学生アルバイトも少なくない。「当時と現在ではハングリー精神も違うのでしょうが、独立を希望するなら、若い時代の数年間を無駄にしてほしくないと思います」と横内は、厳しくも温かい目で青年たちをみつめる。それは当時の自分と、いまの若者たちを重ねるからかも知れない。大事にするのは、彼らの思いの強さだ。さて、京都から2年後、東京に戻った横内は、八重洲や目黒の店で仕事を覚えた。友人の一人が神楽坂で店を構えたのは横内が23歳のときだった。・・・。
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