昨日、5店舗同時のレセプションに行かせてもらった。わらやき屋からスタートし、3店舗を回る。
有言実行されたダイヤモンドダイニングの松村社長含め社員の皆様、おめでとうございます。
業界引っ張ってください。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久氏登場。
秋田県男鹿市は、秋田県の西部に位置し、日本海にひょいと突き出た男鹿半島の大部分を占める。「なまはげ」でも有名で、「男鹿のなまはげ」は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。人口は4万人足らず。株式会社エイチワイシステム 代表取締役 安田 久が、この市に生まれたのは1962年。父親は自衛隊の職員だったが、農業も営み小さな畑で野菜などを収穫し、生計を立てているような家だった。むろん、当時、コンビニもない。一軒のレストランもない。夜になると月明かりだけが頼りという辺鄙な田舎町だった。「小学校6年生の同級生は17人」だったと安田。中学校は5キロ先の隣町。夏は自転車で、冬は1日に5本というバスで通学した。野球部に入っていたこともあって、練習が遅くなって、このバスに乗り遅れるとさぁ、たいへん。灯りもない山道を一人歩いて帰らなければならなかった。「怖かったよね」と安田は当時のことを振り返る。ただ、怖いだけではなかった。家では、両親が毎晩のようにケンカをする。豚を飼っていたために、部屋のなかまで匂いが侵入する。TVで東京の生活を観たとたん、コンプレックスが生まれた。この田舎者の生活から、逃げ出したくてしかたなかった。・・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビッグイーツ 代表取締役社長 後藤 順氏登場。
一方、後藤はどのような家庭で育ってきたのだろうか。「父親は出版関係の会社に勤めていました。父を亡くしたのは高校3年生のときでした」と後藤。母親は、息子の後藤を信じ、「たいていのことは許し、希望も叶えてくれた」という。高校になると遠征も多くなる。経済的な負担も少なくない。何一つ文句を言わず、母親は、その費用を捻出してくれたそうだ。大学進学はもちろん考えた。1浪までしたが、アルバイトで入った「オープンカフェ」がたのしく、勉強よりもバイトに気持ちが傾き予備校にも行かなくなってしまった。結局、このカフェに就職。これが飲食業の始まりだった。この会社は、大型レストランやディスコも経営しており、当時の社長を尊敬していた後藤は「新店舗の立ち上げをはじめ、さまざまなことを経験させてもらった」という。19歳から数えて5年、24歳になるまで勤務。後藤の社会人としてのベースをつくったのは間違いなくこの会社だろう。その5年間で、多彩な人脈もできた。後藤はこういっている。「人脈はもちろんですが、人とのコミュニケーションの大事さ、店舗づくりのノウハウ、フード(商品)の大事さを、この5年間で学び、それがいまの財産になっています」。・・・。
フードアナリストの里井真由美さんお奨めのヤマサ醤油の“鮮度の一滴”減塩しょうゆを日本フードアナリスト協会の横井理事長より頂いた。
社員はじめ取引先やお客様含め皆喜んでもらった。
まだまだほしい方が多かったが、それは次回のお楽しみということで・・・・。
横井さん、そしてヤマサ醤油様ありがとうございました。
早いものである。
1992年10月22日に武田とキイストンを設立し、この10月22日で丸18年になる。
いつも夢・目標持ってワクワクした気持ちで、その時その時を一生懸命やってきたから今がある。
これからもコツコツ、お客様の視点で喜んでいただける仕事していこう。
仕事できるだけでありがたい。
社員には、自ら機会を作ってその機会でワクワクし、今の仕事量の3倍はやってほしいが・・・(笑)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ハートランド 代表取締役社長 竹 麓輔(佐藤 薫)氏登場。
「人が離れていく、それが一番辛かった」と竹は当時を振り返る。「どんなにたいへんでも信じ合える仲間がいればなんとか乗り越えられる。だけど、その時は、仲間のすべてを失いました」。傷心を癒すすべもなく、追い討ちをかけるように迫る借金返済の催促。竹は、命を絶つことを考えた。「最後に迷惑をかけた友人に電話をしたんです。遠く離れた九州のね。電話をすると、いまどこにいるんですか、というので、海が良く見えるドコドコだと。迷惑をかけたから一言謝っておきたかったんです。すると30分も経たないうちに、ヘリとか、パトカーとかが押し寄せてきたんです。枝が折れたりして、手間取っている間に」。だが、この未遂だけではなかった。もう一度、竹は未遂をしている。その時は枝ではなくバスルームの渡し棒が折れた。「生きろ」という啓示だったのではないだろうか。そんな竹を救ったのは、軟禁されるというもう一つの事件だった。むろん借金がらみである。「軟禁といっても、別段危害を加えられるわけでもなく、ただ、その屋敷で寝起きするだけでした」。2ヵ月間、軟禁されたことですっかり毒気が抜けた。世話になっていた社長から連絡があったのは、解放されてしばらくしてのことだった。・・・・。
株式会社ハートランド 代表取締役社長 竹 麓輔(佐藤 薫)氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社S.S.C 代表取締役社長 川口 洋氏登場。
社名『SUU・SUU・CHAIYOO』は、タイ語で『頑張れ・頑張れ・万歳』と訳す。この言葉、勇ましい意味なのに発音してみるとタイ語独特のかわいらしい音がして“どこかミスマッチな雰囲気がいい”のだという。
何事にもそんなユーモアを大切にする株式会社S.S.Cの社長・川口氏は、名付けた社名だけでなく自身の経歴もユニークだ。
19歳で海外ヒッチハイク旅行にハマり、就職した外務省では中東を専門とする業務を経験。その後、11年間勤務した外務省でのキャリアをあっさりと捨て、タイ料理店を開いた。「パワーある海外の文化を日本に紹介し、異文化交流の場を作りたかった!」。役人としてではなく一事業者としての価値提供に、今は並々ならぬヤル気とこだわりを持っている。
1969年6月、兵庫県に生まれた川口氏は、サラリーマンの父、そして母、4つ上の姉に囲まれて育つ。スポーツ好きは小さい頃からで小学校では野球、中学からはバレーボールに打ち込んだ。
その後、神戸大学法学部に入学した川口氏は、2年生(19歳)の時にはじめて海外旅行を経験する。ニュージーランドに1カ月間滞在してのヒッチハイク旅行。日本では味わえない空気や景色、そして言葉や食事、現地の人々との交流など肌で感じる海外のパワーが忘れられなくなり、それからは車、列車、船を使い地べたを這うような貧乏旅行にあちらこちら出かけていった(これまでに旅した国は40を越える!)。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
ここ最近、よく目にするのが○○○○円のコースが50%offというフラッシュマーケティングがいろんなところで、やたら目立つ。それこそ、全盛のホットペッパーを彷彿させる。
この値引き合戦が、元の客単価に戻らない薄利多売の泥沼にならなければいいがと思ってしまう。
飲食業界全体見ていると正直厳しい環境で、つぶれる店や大幅に閉店する会社が増えはじめている。
それもそのはず、個人の可処分所得が減っているから当然外食も減っている。
事務所が田町にあるが、近くの弁当屋もなんと300円台で十分満足する内容である。
今大事なのは経営者が自ら率先して法人まわりするとか、店内・店外にもっと出ること。
お客様が求めているのは、単に値段だけではないはず。
もっともっとお客様が望むマナの声・求めていることを感じとる、知恵絞って喜ばれることは何か考え実行してみる、新しいサービスにチャレンジなどしないと明日が無い気がする。
この1月、2月に商売繁盛するため今から動いてみては・・・・、そのタイミングですよ!!
昨日、ブレーンの方入れてミーティングをしたが、やはり弊社が運営しているin-職(いんしょく)ハイパー内にある社長の生き様・理念を伝える“飲食の戦士たち”の評価はやっぱり高い。
飲食の経営者の生き様は他の業界の方たちよりもはるかに人間味がありおもしろい。
普通、独立といえばゼロからのスタートだが飲食経営者はお店があって初めてスタート。そのお店づくりで借金、または持ち金はたいてやるっていうのはなかなかできるではない。
しかも、お客様に対しいい加減、または手抜き、サボっていると間違いなく1年以内には無くなっている。また一生懸命やっていても3年以上持つお店も少ないようだ。
そんななか、この“飲食の戦士たち”に登場している経営者はすごい。
もっともっとPRしていって業界の底上げしていくことがキイストンの大きな使命であることは言うまでもない。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ROS 代表取締役社長 野村卓人氏登場。
大学受験に失敗。人生初の躓きともいえたが、新たな人生の扉ともなる1年を過ごす。猛勉強…したわけではなかった。予備校には2回しか行かなかったそうだ。スキーにハマり、インストラクターの補助を始め、スキーに行くために、あるスポーツ用品店でアルバイトを開始した。スキーとアルバイト、勉強する時間はなくなった。大学受験を断念し、今度はカラオケ店でアルバイトを開始。1年後には正社員になっている。この会社で、初めて飲食店の仕事を経験。店長も務めた。23歳でカラオケ店の店長に。25歳で居酒屋業態のエリアマネージーに。カラオケ店では、当時、業績ナンバー1を3ヵ月連続で獲得し、社内で表彰を受け、26歳でカラオケの事業部長に昇格した。だが、この会社が倒産してしまった。野村は、2002年、友人と2人で事業を興し、「刻」を2店舗同時に立ち上げた。友人が代表になり、野村は取締役に。「ストアーオペレーション」を起業した。この会社が後のフーディーズとなる。このフーディーズで野村は専務を務め、主に飲食事業を管理し、FCを含め、店舗数を40店舗まで伸ばしていった。結局、7年間、務めた。・・・。
今日は天気も良かったんで、リフレッシュとパワー充電のため富士山(五合目)へ。
やっぱり、いつ行っても富士山は日本一の山なんで素晴らしい。
さあ、明日は朝7時からアポなんで会社。今週もパワー全開で行こう。
富士山をバックに
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社マックス・コーポレーション 代表取締役社長 遠藤充師氏登場。
1年浪人して進学したのは「千葉商科大学」だった。1浪させてもらっていたこともあって、ともかく小遣いはジブンで。そんな気持ちから入学早々、居酒屋でアルバイトを始めた。これが、遠藤の人生初のアルイバイトだった。「大学は無事4年で卒業できたのですが、バイト三昧、そんな学生時代でした」と遠藤。大学4年間、ずっとこの居酒屋でアルバイトを続けている。何が、それほど遠藤を虜にしたのだろうか。当時、店主はまだ31歳。弟のように可愛がってくれたこの店主に惹かれたのは、当然のこと。しかし、それだけではない。「40坪程度、80席の居酒屋でした。バブル期ということもあったんでしょう。連日、お客様が津波のように押し寄せてきて。店主から、商売のイロハをいろいろ教わったんです。50円の原価の商品が380円で売れる。商売とはなんとぼろく、おもしろいものか、と」。初めて知った商売の魅力が遠藤を捉まえ、離さなかった。バイト仲間にも恵まれ、社会の入り口で、遠藤はまだ社会の厳しさを知らず、自由奔放に生きていた。「コンパにも夢中になり、アウトドアが好きだったので、古いジープを買い、北海道をテント一つ持って旅行したり、九州1周にもトライしました。お金がなくなると、現地でアルバイトをしながら、北海道では2ヵ月くらい滞在しました」。こんな奔放な生活を送る遠藤にも卒業の季節がやってくる。「その店が気に入っていたんで、オーナーの店主にはたらかせてくれといったんですが、駄目だ。ほかで就職しろ、と」。 ・・・。
株式会社マックス・コーポレーション 代表取締役社長 遠藤充師氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ねぎしフードサービス 代表取締役 根岸榮治氏登場。
飲食店経営に関する本を主軸とする大手出版社の編集長と懇意になった根岸氏は、情報交換の末に福島でカレーの店を出店する。
「編集長が売れっ子の建築士も紹介してくれ、福島県では強烈に斬新な店を作りました」。
国民金融公庫に何度も足を運び手に入れた300万円を元手にオープンしたそのお店は、想像をはるかに越えるヒットを生み、それをきっかけに根岸氏は東北に多店舗展開を行なっていく。
「仙台、郡山、日立、水戸に20のお店を続々オープンしました」。“いわき市郊外2000坪の土地に南仏風のレストラン”とはこの時作ったもので、半年がかりで建物が造られるさま自体が広告効果を生み、レストランはオープンから連日行列ができ、1時間待ち、2時間待ちの店として有名になった。
「今では考えられないことですが、どんなに待っても楽しく食事をし、次も来てくださる。まるで街の導線が変ったようで、美味しい物は楽しい街を作ると実感しました」。
そこはハンバーグやピザやパスタなどいわゆる洋風の食事を提供する店だったが、20店の業態はバラバラ。喫茶店、ラーメン店、和食店、貝専門店…。広域・多業態の店舗展開は“東京の流行を地方に持ってくる”というビジネス手法で成功していった。 ・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
クロスフィニティは27日、モバゲータウンで提供しているソーシャルゲーム「料理バトラー」で、リアル店舗で特典が受けられるサービスを開始した。
「料理バトラー」は、調理の修行やほかのユーザーとの料理バトルを通して、料理人として成長していく「モバゲータウン」のソーシャルゲーム。ゲーム内ポイント「ボーノ」を使って、バトルを有利に進めるためのさまざまな食材を探すことができる。今回開始したコラボレーション企画では、ゲーム内アイテムにリアル店舗の人気メニューやオリジナル食材を加えたり、ゲームに勝利することによって一部店舗メニューで特典が受けられる。
コラボレーションする店舗は、燕STUDIO(ダイニングカフェ)、ととしぐれ(海鮮)、健康中華庵 青蓮(本格中華)、とんこつらーめん七志、欧風カレー ボンディ(カレー)の5店舗で、このイベントは各店舗、7~14日間行われる。
キイストン全面協力。取引先の飲食企業様に喜んでもらえ、うれしい限り。
また、クロスフィニティ様に感謝。
10月1日、各大手新卒求人サイトのグランドオープン日。
各社の掲載状況でちょっと調べててみた。
2012年新卒求人サイト(10/1グランドオープン件数)
●リクナビ2012年 5,285件掲載
●マイナビ2012年 4,779件掲載
●en japan 2012年 537件掲載
2011年新卒求人サイト(10/1現在の件数)
●リクナビ 2011年 8,129件掲載
●マイナビ 2011年 7,762件掲載
●en japan 2011年 905件掲載
どこも特別に大手企業入れて体裁整えるのに大変のようだ。
しかし、採用もそんなにしない大手企業が掲載されていることで、これを学生が安定志向のため受かるのではと勘違いし、採用枠少ないことがわからず、不採用になる社数が増え自信喪失することが怖い。
今こそ、新卒チャンス!! 飲食企業でも社長の生き様、こだわり・経営理念が伝われば勝機あり。