in-職ハイパー編集長の“国谷淳平”率いる編集部のブログをスタートした。
国谷流のメッセージを乞うご期待。
今年1年振り返ってみるといろんな出来事があったが、それなりに充実した1年だったかもしれない。
とにかく、たくさんの飲食経営者の皆さんとの出会いがあり、1年間で150名以上の社長取材ができた。
これは大きな、大きな財産である。
飲食業界に多くの人材が集まるよう頑張らないといけない。
これがキイストンの使命だと改めて感じた。
2011年は、原点に戻り経営理念でもある“より多くの人に夢・希望を与える”を実践していく。
社員の個々のレベルアップするため教育面も強化し、工夫創造できる人材になってもらいたい。
また、関係各社の皆さんと共有しながら、強力なネットワークを構築したい。
今年1年、本当にありがとうございました。
1月4日より新年スタートします。
適性試験。
人が採りやすいので有効的なツールである。
事前に現在いる社員にも実施しておき
自社の社員のタイプを知っておくと
なおいい。
おかげさまで、マーケティングも兼ね各社様(100社強)のデータ取らせてもらっているが
どのポイントが高いといいかとかいろいろ見えてきた。
現在、約50社ほど導入してもらっているが
早く200社ほど導入してもらおう。
多くの飲食経営者にご登場頂いている“飲食の戦士たち”のトップページを21日よりリニューアルしました。
おかげさまで現時点で、約200社の社長に登場頂きました。
キイストンの目的、社会的な意義は、飲食業界を支えている経営者の生き様にスポットを当てることで、より多くの転職や独立志向の皆さんに飲食業界の奥の深さや魅力、そして働く人たちの思いを伝えれたらと考えています。
新卒者、フリーターの方やそれに失業中の方、それに独立志向の方たちに、記事を読んで頂く事で夢・希望のきっかけになればと考えています。
今後は、海外で活躍する飲食経営者にも登場してもらおうと考えています。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社大島ラーメン 代表取締役社長 大島啓二氏登場。
「夢を実現する」。わずか5万3000円の軍資金を握りしめ、列車に飛び乗った。「大宮あたりを通過したとき、建ち並ぶビルをみて仰天しました。東京はやっぱり凄いやって。実際は、まだ東京都にもついてなかったんですけどね(笑)」。何もかも、初めての東京だ。めざすは、帝拳、世界チャンピオン。だが、生活もある。親戚が経営しているラーメン店に住み込み、アルバイトを始めた。夕方までの時間を利用し、帝拳ジムで汗を流し、深夜2時、仕事が終わったあと、また走る、そんな日が続いた。どれぐらい経った頃だろうか。大島はアルバイトから、正社員になる。「店が忙しくなったのと、スタッフが辞めたりしたことが重なって、ジムに通う時間がなくなってしまったんです。ボクサーになろう、チャンピオンになろうと東京にでてきたのに、オレなにやってんだろうって。何でラーメン屋なんだろうって」。だが、この時の決断が、大島の一生を左右する。大島のラーメン人生が本格的にスタートした時ともいえるからだ。・・・。
in-職ハイパー“飲食の戦士たち”を通していろんな飲食企業の経営者に社長取材をしているが、
どの経営者も優秀な方ばかりだ。
それもそのはず。
優秀だから独立でき、また弊社が社長取材したいと思える会社になっておられるから。
では、社長がなぜ優秀か?
いろいろあるが一言でいうと他人以上に仕事の量をこなしてきたから。
量は間違いなく質を呼ぶ。
その仕事ぶりをまわりのスタッフ、またお客様、業者の方は必ず見ている。
そこに、こいつなら、この人ならと信用関係が生まれ、
まわりが自然に集まり仕事ができるようになる。
なので、いろんな個性特徴がありそのいくつかが特に突出していて優秀で当然。
そこに、ナンバー2がしっかりいる会社ならもっと伸びる。
ナンバー2は、必ずしも仕事ができるということだけではない。
社長に対し“絶対”でいれるかだ。
当然人間なんで好き嫌いはある。
ただ社長が好きだからでは長く続かない。
社長の生き様や考え方、価値観に共感できないと無理である。
仕事ができるとついつい、自己主張の強いナンバー2もいる。
元気も明るさもない根が暗いナンバー2もいる。
なにかにつけ他人の悪口や陰口、不満をいうナンバー2もいる。
社長に気を使わしているナンバー2もいる。
やはり、社長の人柄、または社長の理念に対して絶対的なYESマンでやれるナンバー2がいる会社は強い!!
大きくしていこうというなら経営者はナンバー2の採用に人一倍力を注いでほしい。そのためには、経営理念が必ず存在する。
“飲食の戦士たち”に登場頂いた飲食の社長も来年1月にはいよいよ200人になる。
その前に、トップページのレイアウトを大幅リニューアルする。
プロントコーポレーションの竹村社長、ダイヤモンドダイニングの松村社長、クリエイト・レストランツ・ホールディングスの岡本社長を既に取材させてもらっているが、年内にダイキチシステムの牟田社長、それにがんこフードサービスの小嶋会長にも取材させてもらうため1月はお楽しみ!! 乞うご期待ください。
プロ野球でいうと他球団の4番打者の加入で、キイストンが益々楽しみになってきた。
まだ名刺もできていないのに、入社時1ヵ月の目標を来週早々には達成する。今週の月曜に導入研修してたから一週間も経っていない。
普通に考えて、なかなかできるものではない。それをやるからすごいもんだ!!
伝説を作ってほしいし、いや伝説を作るだろうな。
それに加えて、今までとは違う雇用体系の営業チームを結成し教育指導中。ここが戦力になると大きく裾野が広がる。
「いい人材を採用してもらう。そのために何をするか」
型にはまらない提案もできる提案力とヒアリング力を付けるため日々皆が真剣に取り組める環境作りとキイストンイズムの継承をしていこう。
“より多くの人に夢・希望を与える”の経営理念のもとに・・・。
楽しみ。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に井筒まい泉株式会社 代表取締役社長 岡本 猛氏登場。
岡本伊三美というプロ野球選手を覚えているだろうか。現役引退後は、関西テレビ野球解説者を経て、サンケイ、南海、阪神、近鉄のコーチを歴任。1984年から1987年の3年間は、監督として近鉄バッファローズを率いている。今回、ご登場いただく株式会社「まい泉」代表取締役社長 岡本猛は、この元プロ野球選手の長男。母方の祖父は、富士火災の社長を務めた財界人でもある。「物心がついた頃には、父はもう、現役を引退していました。なので、私には解説者や、コーチ、監督としての岡本伊三美のほうがしっくりくるんです」。岡本が生まれたのは、大阪府茨木市だが、すぐに帝塚山に転居。小学校から、高校までは、教育大学付属の小・中・高で過ごしている。余談だが、岡本は、父とキャッチボールをした記憶がない。運動神経には恵まれていたが、根っからの野球オンチだという。岡本のその後をたどれば、アスリートの父よりもむしろ、大経営者であり、財界人でもある母型の祖父の血を色濃く受け継いだ気もする。もっとも岡本伊三美氏も近鉄専務取締役球団代表も務めるなど、財界人との交流は祖父に負けないものがあったに違いないが。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社ジョカーレ・ヴィゴーレ 代表取締役 森川秀一氏登場。
「中学卒業時に、憧れのホテルで修行をしようと門を叩いたのですが、高卒でなければだめだと断られました。だから、高校に行ったのはあくまで<高卒>の肩書を手に入れるためだったのです」と、森川。むろん、その3年間も無駄にしなかった。1年生からファミリーレストランでアルバイトを開始。飲食業を体験する。授業では、先生に頼み込み、一人、女子に交じって家庭科で料理を学んだ。そこまでするか、と一般人は思ってしまうが、料理人に一歩でも近づきたい森川にとっては、あたりまえの選択だった。何しろ小学校から、料理人に憧れ、卒業文集にそう記していたぐらいだから。これが、明確な料理人への第一歩となる。・・・。
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in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に未来貢献株式会社 代表取締役 山本友大氏登場。
「兄たちと仲が悪かった」。長男とは6つ、次男とは4つ。年の離れた兄たちからすれば、最初は、からかっていただけかもしれない。だが、三男の山本は、すべてを真剣にとらえた。小さな隙間が大きな隔たりとなり、山本はどちらかといえば大人しい兄たちと正反対の生きかたをするようになる。「唯一、妹とは仲が良かったのですが、兄たちとはいまも連絡を取らないような関係です(笑)」と山本。一度、掘られた溝はいまでも埋まっていないようだ。それはともかく小学1年生から山本は、格闘技好きの父の薦めもあり、拳法を習い始め、中学時代には柔道で好成績を残している。一方、新聞配達のアルバイトを開始。家を出るための資金作りだ。「ともかく早く家を出たい」。そう思うようになったのは、兄たちと暮らす日々がわずらわしかったからにほかならない。そういう意味では、兄たちとの関係が山本の自立心を育てたことになる。
中学になると心に溜まった鬱憤を晴らすように、悪友たちともツルむようになる。柔道をやっていたからだろう。ケンカも強く3年生になると「番長」となって仲間たちを仕切るようになる。警察沙汰を起こしたり、新聞に載ったりしたのも、この頃だ。大人たちも手を焼く少年だったに違いない。だが、この、すさみ、荒れた生活から山本を救うのは、母のやさしさだった。「何をしても、母は私をかばってくれました。何をやってもこの子は悪くない、と」。もしこの時、母が見捨てていたとしたら、むろんいまの山本はない。母のために、山本は高校に進学し、ギリギリの出席日数だったが卒業もちゃんとしている。・・・。
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in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ベイサイド・ダイニング 代表取締役 小林大悟氏登場。
4年の夏、まったく就職する気のなかった小林は将来について、バーなどの飲食店を経営するか、また面白くなりはじめたピアノの腕を磨いてプロのジャズピアニストを目指すかで迷っていた。父親はどちらの道でも応援すると言ってくれた。ところが母親はどちらにも大反対。もともと「公務員になってほしい」と願っていた母親にとって、息子が夜の街に入り浸り、食べていけるかどうかもわからない仕事を目指していることが許せなかったのだ。「普通に就職して! 今からでも就職活動をして!」と半ば泣きつかれた小林は、渋々ながらこれを承諾。ただ、採用試験を受けたのは1社。様々な業態の飲食業を見ることができ、経営も学べるという理由で選んだ「リンク・ワン」のみ。しかしこの就職がまた将来を大きく変えることとなり、小林は「いまの自分があるのは母のおかげ」と感謝している。・・・。