「チアーズ」第3弾の広告を発信!!今回のご登場は玉海力の河邉幸夫社長。
ちゃんこ料理店“玉海力”を展開。
オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
オーストラリアと日本の飲食業界をつなぐ架け橋になりたい!!
「チアーズ」第3弾の広告を発信!!今回のご登場は玉海力の河邉幸夫社長。
ちゃんこ料理店“玉海力”を展開。
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in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ファンゴー 代表取締役社長 関 俊一郎氏登場。
「朝まで討論会」というTVに出演していた東大出身の著名な経済学者、西部邁氏がいた。彼の本『蜃気楼の中へ 遅ればせのアメリカ体験』を読んだのがきっかけで、海の向こうに渡る決心をする。「英語の先生に、ダメだしされたのがカチンときたこともあって留学してやろうと。最初の1年は語学学校に通い語学を学んだのちにコミュニティーカレッジに入学し、カルフォルニア大学バークレイ校へ編入しました」。「とにかくアメリカ時代は貧乏でした。寿司屋のバイトや、母親の画廊のやり取りの手伝いなどをして生活資金をねん出しました。商売に興味を持ち始めたのはこの頃からです」。当時は、治安も悪く、銃撃事件や校内で殺人事件が発生したりしていたそうだ。そんななか少年、関は、文化の違いに戸惑いながらも、そのカベを乗り越え、強い意志を持った青年へと育っていった。ところで関が通っていたカリフォルニア大学バークレイ校は、カリフォルニア州バークレイ市にある州立大学である。バークレーは、サンフランシスコのベイエリア内にあり、サンフランシスコ湾東岸に位置する都市。この自由を象徴するような街で、関は独自の感性を育てあげていく。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
キイストンは多くの飲食社長の取材をさせてもらっているので、いろんな企業の社長様と接点があります。
また、その社長様を通じて企業の理念・こだわりが見えています。
だからこそ、キイストンができることとして、先日全員解雇になったフーズ・フォーラス(焼肉酒家 えびす)の元社員の方の再就職支援で動きます。
おかげさまで10社以上の飲食企業の社長様から賛同頂いています。
さすが、接客サービスが優れていた北陸No.1の人気焼肉店だけあります。
飲食業界にかかるっている私たちが、少しでもお役に立てればうれしい限りです。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社イイコ 代表取締役社長 横山貴子氏登場。
「大阪にいた頃は、ずっと優等生だった」と彼女は笑う。逆にいえば、大阪を離れてからは優等生でなくなったということだろう。実は、父とも口をきかなくなった。「受験する高校も決めていたときに、『東京に行くぞ』ですからね。いまでは父を尊敬するようになりましたが、当時は母に苦労をさせていたこともあって、大嫌いになっちゃったんです」。高校卒業後、いったんお嬢様たちが通う女子短大に進学したが、違和感を覚え3ヵ月で退学。『せめて短大だけでも』という両親の言葉に従い、ならば手に職をつけようと美大に進んだ。「女子大生がブランドだった時代です。女子大生というだけで人気があり、『女子大生パブ』っていうパブまであったんです。私もブームにのり、バイトしたことがありました(笑)」。彼女はほかにも多くのバイトを経験する。その一つひとつが彼女のキャリアを形成していく。・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
男性の既婚率は所得が増えるに従って上昇する傾向があり、特に「年収300万円を境に大きな差がみられる」らしい。
2011年版の「子ども・子育て白書」より~
内閣府による11年の調査で、20~30歳代男性の既婚率が年収300万円未満で8~10%、300万円以上では25~40%。
一方、過去の厚生労働省のデータを基に30~34歳男性の雇用形態と既婚率の関係を調べたところ、非正規労働者は30.2%、正社員は59.6%と倍近い差がみられた。
30歳代の子育て世代の所得は、1997年調査では年収500万~699万円の層が最も多かったが、07年は300万円台が最多となった。
フリーター諸君よ、少しでも若いうちに、まずは正社員になること。選んで年齢がいってくるといずれ企業から選ばれなくなる。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ホッコク 代表取締役社長 西村真里枝氏登場。
いまでもスポーツは大好きで、バッティングセンターにも時々通うという西村は、小学生の頃から無類のスポーツ少女だった。バク転はもちろんのこと、校内の鉄棒にぶらさがっては大人たちの目をグルグル回した。大車輪である。当時の夢は、刑事。TVドラマ「太陽に吠えろ」に影響されている。中学に進学してからはソフトボールに夢中になった。県大会にも出場する強豪チームで1年の秋からレギュラーを獲得。のちにサードを守り、4番に座る。三振どころか、空振りもあり得なかった、と。それだけ運動能力があったのか、それとも、それだけの努力をしたのか。ただ、強豪校の4番は誰よりも負けず嫌いだったことはたしかなようだ。・・・。
内閣府が発表した「子ども・若者白書」によると、2010年の15歳から19歳までの失業率は9.8%となり、10%に迫る勢いが明らかになりました。
同年代の失業率は1998年に10%を超えると、その後は4年連続して12%を超える高い水準で推移したものの、2003年以降は一転して下落傾向となり、2008年には8.0%まで低下していました。
その後は景気低迷による雇用環境の悪化で2009年に9.6%まで上昇すると、2010年には9.8%となり2年連続での悪化を記録しました。(不景気.comより)
若者よ、飲食業界には人の暖かさと夢がある!!飲食業界に飛び込んでみては・・・。
人材紹介・・・お問い合わせ・ご相談
約300社以上の飲食経営者の生き様がわかります。
“飲食の戦士たち”
6月8日、焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」を巡る集団食中毒事件で、経営するフーズ・フォーラス社(本社・金沢市)の社員約90人が全員解雇という形をとらざるを得なくなったようだ。
「焼肉酒家えびす」の社員の皆さんは、きっと辞めたくなかったと思う。また、社長も解雇したくなかったと思う。
突然の話に、『ハイ、了解しました。じゃー次の就職先行きます』っては気持ち的にならないと思う。
「焼肉酒家えびす」は社員教育に費用かけ、優秀な人材が多いと有名である。これはビールメーカーの方たちからも聞いている。
「焼肉酒家えびす」の社員の方々、大変なことになってしまい残念、かつ大変ですが、きっと転職がキャリアップにつながる確立が高いと思っています。
ぜひ、頑張ってください!
「焼肉酒家えびす」の社員の皆さま、なにか転職でお悩みあれば、キイストン社長(細見)宛にご相談ください。
約300社以上の飲食経営者に直接取材して会ってるので、少しはお役に立てると思います。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社板前寿司ジャパン 代表取締役社長 中村 桂氏登場。
専修大学に入学し、思う存分、遊んだのち、中村はTVの制作会社に入社する。ここでドキュメント番組を手がける、あるディレクターに出合う。「彼からは本質とは何かを教わった気がします」。中村自身も、のちにディレクターになり、数々の事件を追い掛け、そのなかで蠢く人間ドラマを描く名作を残すようになる。スクープも連発した。1年間で363日働き、師と仰ぐディレクターに怒鳴られ続けたADは、将来を嘱望されるディレクターに育っていった。だが、6年を過ぎた頃に転機が訪れた。「油が乗り切っている頃です。TV局からも名指しで依頼が来るようになりました。そんなとき母から『帰って来てくれ』と連絡があったんです」。実は、中村が学生の時、父が病に倒れ帰らぬ人となっていた。とりあえず母が後を継いだ。それから数年、1度は兄が手を挙げたが、結局、中村にお鉢が回ってきた。父が亡くなった時、母を元気づけようと休みを利用して2ヵ月ほど手伝ったことがあった。2ヵ月もあれば、従業員と仲良くなるのは、中村にしては当然のことだった。片や輝かしいTVの世界、片や小さな田舎町の会社。29歳の中村ならずとも天秤にかけたくなる。おおよそ傾く方向も決まっている。だが、その時、「親しくなった従業員の人たちの顔が浮かんだんです。会社が潰れたら、あの人たちはどうなるんだろう。何しろ、田舎の、何もないところですから」。天秤は、田舎町の小さな会社に傾いた。・・・。
株式会社板前寿司ジャパン 代表取締役社長 中村 桂氏
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“被災地&飲食業界&ニッポン応援プロジェクト”ご参画のすずやの蟹江社長から、石巻の酒蔵・平孝酒造の『震災復興酒 希望の光 日高見』を頂戴した。
この『震災復興酒 希望の光 日高見』は、もろみ日数が約40日と、通常の仕込みの約1.5倍の長さですので、『日高見』のいつもの綺麗な味と比べ、躍動感ある奥行き深い味わいで、生命力が漲るような「旨い」酒に仕上がっています。平井さん曰く、「頑張ろう! では弱いと思い、『絶対に負けない石巻』と記した」というラベルには、石巻の復興への強い思いも詰まっています。
裏ラベルを載せます。
「このお酒は、平成23年3月11日(金)の東日本大震災によって被災したお酒です。純米酒を中心に大吟醸や純米吟醸など、発酵中のお酒が被害に遭いました。震災直後、仕込み蔵は地震の揺れの激しさから、発酵中のもろみがタンクから溢れ、床一面、白い絨毯を敷き詰めたのかと、錯覚するような情景でした。溢れ出たもろみは霧状になり、辺り一面に立ち込め、蔵の奥が良く見通せない状況で、目の前の光景を疑いました。そして、溢れ出たもろみが発生している音なのか、今までに聞いた事の無いような音が蔵内にこだまし、まるでもろみの悲鳴のようにも聞こえ、何とも言えない恐怖感を覚えました。建物のいたるところが壊れ、立ち入る事が困難になり、同時にライフラインが寸断し、発酵中のお酒の管理ができなくなってしまいました。何の手立ても出来ず、ただ、呆然と指をくわえて見守る日々が続きました。一週間が過ぎても復旧の目処が立たず、発酵中のもろみの全廃を覚悟しました。しかし、震災から二週間目、電気など一部ライフラインの復旧などが重なり、諦め掛けていたもろみを、遂にお酒として甦えさせる日がやって参りました。ただ、放置している時間が余りにも長く、垂れ口から搾り出されるお酒の品質がとても心配でした。しかし、我々の心配をよそに、そのお酒はとても力強く生命力に溢れ、我々に勇気と希望を与えてくれました。本来の酒造りでは、如何に良い酒を造ろうかと凌ぎを削りますが、このお酒からは普段の酒造りでは味わえない感動を貰いました。蔵の有る宮城県石巻市はこの度の震災で、壊滅的な被害を受けました。勿論、弊社も甚大な被害を受けました。しかし、被災した石巻市の惨状を見た時に、弊社は本当に生かされたのだと、強く感じるほか有りませんでした。
普段の生活では感じ得ない、感謝の気持ちを強く痛感させられ、造り酒屋として何か地域に貢献する事は出来ないか、自然と、そのような気持ちが芽生えて参りました。そして、この気持ちを大事にしたいと考えるようになり、この被災したお酒を震災復興酒として販売し、少ない金額になりますが、売上金の一部を義援金として、私達の住む石巻市に献金したいと考えております。また、我々が励まされた、このお酒を通して、御愛飲頂く全ての方々に希望の光をお送りする事が出来れば幸いに思います。(株)平孝酒造 店主謹白」
蟹江社長、ありがとうございました。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社すかいらーく 代表取締役社長 谷 真氏登場。
「建築の道に進みたいと思っていました。関東学院大学に進み、理工学部に入ったのですが、理工学部では建築デザインというより、もっぱら数学との格闘です。数字が苦手でこれはいかんなと2年終了後、経済学部に転部しました。だから、結局大学には5年通っています(笑)」。通ったといっても、話を聞いていると、通ったのは山の方だった気がする。春、まだ雪が覆い、煙突だけがのぞく山小屋を長い冬の眠りから起こすのが毎年の行事になった。開山すると1日に500人もの登山客が山小屋をめざしてやってきた。「朝2時ぐらいからご飯を炊き始めるんです。そうしないと、500人分のご飯はつくれませんから。プロパンですから、青い火です。その青が、朝焼けの青に重なる。澄み切った空気を吸いながら、毎日せっせと炊くんです」「単純労働のようですが、単純なばかりではありません。たとえば気圧の低いなかでどうすれば旨い飯をはやく炊けるか、知恵も絞ります」「それだけ忙しく、工夫を重ねても、山小屋の仕事は1日18時間労働で日当1200円です(笑)。山岳隊のようなこともします。荷揚げもします。最初は、周りの人が軽々と荷揚げするのに驚き、落ち込みました。そのなかでどうすればのし上がっていけるか。腕のチカラではない、同じ屋根の下に働くチームをまとめるというもう一つ別のチカラをこの山小屋で修得できた気がします」。少年は、10数年に亘る山の生活を通し、チカラ強い青年になった。大学卒業と同時に青年は、山を下りた。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)