in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社鮒忠 代表取締役社長 根本 修氏登場。
「焼き鳥の父」のお話。
「焼き鳥の父」と言われる人がいる。今回、ご登場いただく根本 修の祖父、根本忠雄氏だ。焼き鳥は戦後の焼け野原から日本が復興していくなかで庶民の間で流行する。ただ、当初は鶏肉が高価な食材で、代わりにガラ、スジ肉、あるいは雀を使っていたそうだ。
そんななか祖父、忠雄氏は、儲けを度外視して鶏肉を使った「焼き鳥」を売り出す。これがヒットし、後に「焼き鳥の父」と言われるようになるのである。
もう少し祖父の話を続けよう。1946年に復員した忠雄氏は。同年9月1日、浅草千束に川魚料理の店「鮒忠」創業する。ところが、冬場になると肝心の川魚が捕れない。それで、鶏肉を串焼きにした「焼き鳥」の販売を開始する。その一方で「鶏丸むし焼き」がヒットする。1951年に法人化し、初代、代表取締役社長に就任する。この忠雄氏の後を継いだのが、根本の父。父は引き継いだ「卸」「ケータリング」「レストラン」の3事業を軸に業績を伸ばしていく。その父から根本は33歳の若さで会社を引き継いだ。
では、いつも通り時計の針を根本が生まれた時まで戻してみよう。・・・・。
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