2011年9月20日火曜日

株式会社フードナビ 代表取締役 渡辺大河氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社フードナビ 代表取締役 渡辺大河氏登場。
 本文より~

初恋の相手。

「転校が多くて、そのピアノ教室に通ったのも数ヵ月だけ」と渡辺氏。園児の頃のことだが、今でも鮮明に記憶している。
「先生の膝を枕に、ピアノを聞いていたんです」。
今も疲れるとピアノバーに足が向く。「ピアノを聞くと癒されるから」と渡辺氏。ピアノの曲に耳を澄ましていると、時に先生の膝枕が蘇る。
「私にとって、初恋の人ですね、たぶん」。
子どもの頃は、とにかく転校が多かった。回数を伺うと「約20回」という答え。たしかに、多い。今までにも転校が多かったと語った経営者は少なくなかったが、さすがに20回は、断トツである。当時の心境は? とたずねると、「転校慣れして。とくに何も思わなかった」と笑う。たしかに、学期ごとに転校するペースである。中学2年になって、父親が独立するまで、転校はつづいた。
出会った人は多かったが、記憶している人はけっして多くない。やはりピアノの先生は、特別な人だったのだろう。

TV出演。

「中学1年生の時に、たぶん、オーディションに親が申し込んだんだと思いますが、初めてTVに出演しました。それから、数回TVにでました」。
ギャラは1回5000円~10000円。転校するまで出演したそうだ。
「転校っていっても、ほぼ千葉県内なんです。この時は、九十九里浜にちかい町に住んでいて、転校したのは、隣町の中学校。だから噂も伝わっていて、けっこう時の人みたいな感じになって(笑)。ちなみに、これが最後の転校です」。
女の子にも騒がれたが、不良たちにも目をつけられた。
「直接、私が目をつけられたわけじゃないんですが。それで、奴らに負けないように少林寺を始めるんです。実は、それが縁となって、高校に進みます」。

東京タワーからの、眺望。

「バイト歴は、長いですね。中学の時にTVに出ていたのも、いわばアルバイトです」。高校1年の時から、本格的にバイトを開始する。弁当屋、ガソリンスタンド、バイト先はかわっても、重宝された。
千葉から東京に出てきたのは、20代半ば。 「千葉と東京って距離はそうないわけですが、私にとっては憧れの街でもあったんです」。
小学3年。家族で、東京タワーに登った。
「あの時、眼下に聳えるビル群をみて、すごいなと。いつか俺もここで、と」。
しかし、ずいぶん長く、かかった気もする。
ずいぶん長く、かかったぶん、すごい奴になっていた。

一夜にして開けた、億万長者への道。

「東京にきてからも、プラプラしていました。しかし、少しずつ仕事をちゃんと始めて」。
 実は、渡辺氏、29歳でレインズインターナショナルの門を叩くのだが、20代半ばから、その29歳の間に、会社を5つつくっていた。いちばん儲かったのが、健康食品。
一夜のうちに、億万長者への道が開けた。
 「当時は、なんていうんでしょう。お金を追いかけて、せっせと仕事をしてきたわけですが、そのお金が手に入れば、入ったで、今度はそれで悩んでしまうんです」。
不思議な体験である。いくら散財しても使いきれない。住まいは、表参道。駐車場にはキャデラックとジャガー。時計も、服も、ぜんぶ高級品。しかし、お金はなくならず、心はいくら浪費しても満たされない。
「疑心暗鬼にもかかって、人も信用できない(笑)」。億万長者と書いたが、実際、3ヵ月で通帳に数億のお金が記帳されていた。
・・・続き
株式会社フードナビ 代表取締役 渡辺大河氏

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