2012年1月31日火曜日
野球部同窓会。
2012年1月24日火曜日
1.15発行のオーストラリア・シドニーNo.1生活情報誌「チアーズ」、第10弾!!
「チアーズ」2月号(1.15発行)にて、ワーキングホリデー帰国者の就職支援企画第10弾の広告発信!!
今回のご登場はウェンディーズ・ジャパン合同会社 アーネストM.比嘉最高経営責任者。
チアーズ2月号
いよいよ、2012年から本格的に飲食業界にグローバル人材送り込めるよう稼動!!
オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
株式会社ビーシージー 代表取締役 中道英治氏登場。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビーシージー 代表取締役 中道英治氏登場。
8畳に4人。すし詰め状態での生活が始まった。
中学を卒業する時、勉強にまったく関心のなかった中道には、行きたい高校も、行ける高校もなかった。母がみつけてきたのは三重の熊野にある工業高専だった。
中学になって体が大きくなった中道は、父と衝突するようになっていた。思春期は、時に少年を暴走させる。母は、寮生活を通じて、精神的に逞しくなることを望んだのかもしれない。
「時間割が決まっていました。勉強のじゃありません。生活のです。朝起きる時間から寝るまで。しかも、ずっとおなじ人間といっしょです。気が滅入りますよね。小さな部屋での生活ですから、へんな話、互いの体臭まで気になるんです。普通なら花の高校生でしょ。なのに、ぼくらはまっくらな青春の始まりです(笑)」。
「ところが、年次が上がると徐々に開放されるんです(笑)。18歳になると寮を出ることが許されました。熊野の田舎ですから、都会生まれのぼくらはある意味目立ち、地元の女の子たちからチヤホヤされるようになりました」。
抑圧された寮生活が終わった時、少年は、18歳の逞しい青年になっていた。強制的な指導がなくなり、大学生同様、今度は自由な時代がやってきた。そんな中道の前に一人の女性が現われる。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
2012年1月15日日曜日
映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」予告編
2012年1月13日金曜日
“飲食の戦士たち”ついに300社の社長取材達成が見えた!!
そもそも、なぜ“飲食の戦士たち”という社長の生き様を描いた記事をスタートさせたか?
よく社長様に取材していて言われることがある。「えっ、ここまで聞くの? ここまで聞かれたことない」ってこと。
他の記事とは違い会社の方向性や現状の業績に関してはあまりお聞きしていない。
それよりも経営者の方ってどんな人、どんな生い立ち、どんな学生時代、どんな仕事して何をやってこられたか?何が独立するきっかけ、社長になられた背景を聞いてきました。
飲食企業の社長って圧倒的他の業界よりも前職未経験からのスタートが多いとか、おもしろい人生を歩んでこられたとか、決して学生時代から輝いておなれた方ばかりでないとか、知ってもらうことで少しでも多くの飲食業界未経験の方が興味もって頂けることを念頭においてやってるからです。
意識の高い社員には社長取材に同行させ社長の生い立ちなどを聞かせるほど教育になるものはないはない。
さすがに、これだけ会っているといろんなことが見えてくるのと感じるものがある。たぶん、これが嗅覚、観を磨くことになるのかと思うともっと多くの独立志向の若者に聞かせてあげたい。
2012年1月10日火曜日
株式会社オーシャンシステム 代表取締役社長 樋口 勤氏登場。
今回は初の試み。前編・後編の2部構成です。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社オーシャンシステム 代表取締役社長 樋口 勤氏登場。
デザイナーになればいい、父の言葉
「ひぐち食品」が樋口家の生計を支え、長兄、次兄が従事する、その一方で、樋口自身は家業ではなくデザイナーを志望していたようである。「小さい頃から絵を描くのが好きで、父からもよくほめられました。『勤は将来、絵とか、デザイナーの仕事をすればいい』と。それで、私もその気になっていたんです。」
ただ、大黒柱を亡くしたことで、樋口家は主導者を失った。樋口も安穏とはしていられない。経営は母と長兄の手に委ねられたが、もしかすれば、この時、空中分解していたかもしれない。その危機を一つの器が救った。
「父が亡くなる直前、父と母は、本格的に弁当事業を始めようと考えていたらしいのです。そのための容器が、父が亡くなったその日に届きました。その容器の到来が、樋口家の礎となる弁当事業の幕開けとなったんです。」
「母は、父がなくなって3ヶ月ぐらいするとようやくショックから立ち直り一家の先頭に立つようになりました。
母が通う数十キロの道
新潟市での弁当事業が軌道に乗ると、離れた三条市で気をもみ始めたのが母である。すでに60歳。にもかかわらず車の免許を取り、両市を往復するようになった。
「免許を取得した母は、毎朝 三条市から新潟市の工場に来て指導してくれるようになりました。ご飯やおかずの無駄をなくすにはどうすればいいか。母の指導は私たちにとって何より貴重なアドバイスになりました。」
母の奮闘をみて、樋口もより一層、精力を傾けた。新発田市、三条市、長岡市に次々と新規の工場がオープンする。気がつけば1日の販売食数が1万5000食になっていたそうだ。兄二人が半ば見放した事業が、育っていく。樋口が経営者として多彩な才能を発揮し始めるのもこの頃からだ。母が通った数十キロの道は、樋口家の未来にまっすぐにつながっていたといえるだろう。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
<東日本大震災>被災地失業手当切れ、4000人に・・・・・・(毎日新聞より)
もともと3月には東日本大震災に遭われた方たちの雇用に動きがあると考え、事前に採用支援に乗り出し行動しているが予想していたとおり。
<東日本大震災>被災地失業手当切れ、4000人に・・・・・・
失業手当の給付期間は90~330日で、額は失職時の賃金の5~8割。
給付期間は年齢や勤めた年数により異なるが、
震災離職者には120日間の延長措置がとられた。
最短の場合、昨年10月から切れる人が出始める見通しだったが、
政府は広域で被災した3県では90日間再延長していた。
同省雇用保険課によると、3県で再延長を申請した震災離職者は10月が1307人、
11月が2749人。この計4056人の多くは希望する仕事が見つけられないまま、
2月末までに手当が切れる見通し。3月以降も相当数の給付切れが出る見込みだ。(毎日新聞より)
2012年1月8日日曜日
新春特別お年玉キャンペーン、スタート。
この1月より“新春特別お年玉キャンペーン”と称し、日頃の感謝を込めて企業の皆様に特別サービスを開始させてもらっています。
キイストンは人材採用を柱でやってきたので、その採用に関してのサービスを立て続けに3大サービスやります!!
ただし、利益度外視でやらせてもらうため社数限定での実施となります。
2012年1月4日水曜日
グローバル化時代→日本人留学生の採用スタート。
新年明けましておめでとうございます。
2012年、キイストンは20周年を迎えます。
今年は、今まで以上にもっと多くの飲食企業各社が海外進出を図られるでしょう。
そんななか、グローバル人材の採用に向けキイストンはSouth Pacific Free Bird様と提携し、日本人留学生の採用も積極的にスタートさせます。
自分でお金を貯め、自分ひとりで日本を離れ世界に羽ばたこうとする人材を飲食企業中心に接点を設けてきます。