2012年2月29日水曜日

フィジー出張(2月23~27日)。by KUNITANI&SAKO

空港 空港2


(フィジー・ナンディ空港)


ラウトカタウン1 ラウトタウン3


(ラウトカタウン)


ナンディタウン2 ナンディタウン3


(ナンディタウン)


ラウトカ校 Namaka校

(ラウトカ校にて) (ナマカ校にて)



求人票配布 求人票2


(求人票掲示)


チラシ設置 チラシ設置2


(ラウトカ校&ナマカ校に資料設置)

オフィス内 オフィス2


(FBIオフィス内に設置したチラシ&求人ファイル)


オフィス ナンディタウン


(FBIオフィスのカウンターのお二人)



2012年2月28日火曜日

株式会社アップラインズ 代表取締役 滝川 徹氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アップラインズ 代表取締役 滝川 徹氏登場。


滝川
本文より~


人気者に憧れて。


「目立ちたがり」「一番」。小さな時から、目立つこと、一番になることが、好きだったらしい。小学校の運動会では、鼓笛隊の先頭に立ち指揮を取った。「目立ちたがり」の本領発揮である。野球もがんばった。野球漬け、と言っていいぐらいに。みんなの前でヒーローになる瞬間がたまらなかったのではないだろうか。中学からはボーカルとギターも始める。文化祭では、ステージにも立った。ファンクラブも出来た。
女生徒達にキャーキャー言われるのに最高の幸せを感じ、中学3年の進路指導では、ミュージシャンになると堂々、宣言。「スター誕生に出て…」とプランも披露したが、先生の一喝で高校進学に切り替えることになる。進んだのは県内でもトップクラスの進学校だった。転機が訪れたのは、高校3年の時。大好きな母が他界する。享年48歳。それまでいずれ海外で、と思っていたのだが、父のことを思うとなかなか行動に移すこともできなくなってしまう。大学卒業後も、県内にとどまった。就職先は、滋賀県の病院。意外だが、滝川の社会人スタートは、病院での事務職(人事部)だったのである。・・・・・。


株式会社アップラインズ 代表取締役 滝川 徹氏



株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏登場。


サンクチュアリ


本文より~


バイト三昧。


大学の友人の紹介で、渋谷の焼肉店に入る。月に20日以上の勤務もザラ。飯も食べられる。授業のない時は昼から入った。
「1年半ぐらいその店でバイトをしていたんですが、カラオケのキャッチが儲かるという話を聞いて、バイトを移ります。私がいた店は、時給プラス歩合だったので、結果をだせば、収入も増えます。年末になると40~50万円の稼ぎになりました」。
「お金もそうですが、もう一つ収穫がありました。もともと私は人に話しかけるのが苦手だったんです。ところが、キャッチなので声をかけないわけにはいきません。どんどん話しかけていているうちに苦手意識を克服することができました(笑)」。 少年が、東京に出て逞しい青年になっていく様子が伺える。


就職するか、それとも起業するか。


そのバイトも1年ぐらい続けた。すると、大学3年。そろそろ就職活動の時期である。
「就職するのか、起業するのか。そういう選択が、最初にありました。友人の何人かに起業する人間がいましたので、自然と『起業という選択もありだな』と思うようになっていたのかもしれません。もっとも起業すると言っても、みんな分野は違います。私と、もう一人、いまの取締役ですが、私と彼だけが、するなら飲食で起業しようと思っていました。その彼といろいろ話をするうちに、『じゃぁ、2人でやろうか』ということになったんです」。
「彼はずっとバーテンダーをしていましたから、お酒はわかる。じゃぁ、フードはどうするとなって、私が修業に出ることになったんです。最初はアルバイト経験のある焼肉屋も考えましたが、焼肉は設備投資にかなりのお金がかかります。それで、設備投資が少なくて済む、焼鳥業態に絞り込みました」・・・。


株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏


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2012年2月27日月曜日

フィジーでの就職相談、大奮闘の珍道中の旅?

23日より日本を経ち、キイストン社員の2人がフィジーで就職説明会や求人票掲示、情報収集など頑張ってくれた。


27日の夜戻ってくるが、どのような成果を持って帰ってくるか楽しみだ。


まずは「やってみること!!」、そこから新しいものが生まれる。


とにかく、自分たちが何か感じたらいい。


フィジー学内 説明会1


フィジー掲示板 フィジーセミナー2


フィジー港 フィジー最後
今回、山崎さま、そして川村様はじめFBIの皆様には大変お世話になりました。


心よりお礼申し上げます。



2012年2月25日土曜日

いよいよ首都圏の各大学、ワーキングホリデー先の海外に配布開始!!

飲食業界により多くの若手人材を集めるため、各大学や海外の語学学校にツールを配布し本格的に新卒・第二新卒の求人募集&人材紹介に乗り出す。


首都圏112校の大学はもちろん、フィジーのFBI様、そして大手ワーホリ専門会社の海外オフィス、キイストンの海外アドバイザー&コンサルタントである塩原氏のカナダ・トロントなどなど・・・。


100は狙わず1でいい。1,000は狙わず1でいい。


とにかく1で・・・・・・。


ツール国内 ツール海外
(首都圏の大学のキャリアセンターに)    (海外の学校やワーホリオフィスに)



3月1日から意欲の高いインターン学生が続々と参加。


キイストン営業修行中だったA君(25歳•男性)。

昨年まで中華鍋を振っていたコックで、営業学びたいということで週3日、約3ヶ月間修行しました。

すると・・・、なんと第一志望でもあった飲食業界にも関係ある上場企業に無事合格しました。


この3ヶ月弱の期間で、恐ろしく成長したのでビックリです。


A君は営業未経験ですが、とにかく素直でやれということを疑問持たずやりました。
これが、中途半端な営業経験がある人材、やってもないのに頭だけで考える人材だったら間違いなく伸びてなかったでしょう。


実はA君、ここ以外にもダメもとで、ある大手出版会社も受けたが、一次面接通過してしまった。

どうするの?・・・・・・・・・。

それはともかく、ほんとA君はよく頑張ってた。

ご苦労さまでした。


次いで、今度は就職を控えた大学3年生のインターン生8名が入門する。
素直に聞き、信じてやってくれれば、たぶん就職はできるし、実力付けられるでしよう。

楽しみ。

キイストン“チャレンジ2012”のひとつでもあるインターンシップ、成果出してやります!!



2012年2月21日火曜日

チャレンジ2012。まずは、フィジー現地説明会からスタート!!

まずは、2日後に控えてるフィジー就職説明会の準備も着々と整ってきた。


フィジー学校内での求人票OK、募集企業様の資料OK、セミナー告知OK、配布用チラシOK、設置用資料OK、セミナーで話すためのロープレこれから・・・・・・。


フィジーツールJPG


まずは1つずつコツコツ実績作りから。



ヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏登場。


四家r
本文より~


行列のできる店で修業。


中学を卒業する頃には、すでに起業を志していた。父母を見習い「飲食」と決めていたから、アルバイトは勉強にもなった。とはいえ、卒業後、すぐに起業は無理だ。
「カフェ・バーをしようと思っていました。でも、資金もないし、経験もない。バーといえば、お酒ですが、私はお酒だけで勝負できるとは思えなかったんです。だいたいまだ18。お酒を大っぴらに飲める年齢でもない(笑)」。
「そんな時、アルバイト雑誌で行列ができるパスタ専門店をみつけました。昼間でも行列ができる名店のパスタなら、カフェをするにしても強みになるはずだと勇んで応募しました。平日でも2時間待ちの日があるぐらいの超人気店です。ランチで24万円、夜で20万円。25坪32席の店で日商が40万円強ですから、いかに人気があったかがわかります」。
希望を抱いて、就職した。だが、高校時代のアルバイトのようにたのしくない。それどころか、「毎日、辞めたくてしかたなかった」という。
「とにかく、先輩が絶対の、まったくもって理不尽な世界でした。お客様にも『食べたらとっとと帰ってもらえ』です。そんな先輩のいる中ですから、反抗してお客様を大事にする私の態度が気に入らなかったのでしょう。毎日、殴られ、蹴られいじめられました。それでも辞めなかったのは、相手が間違っているのに、これでオレが辞めたら、オレのほうが間違っているということになってしまうと思っていたからです。逆にいえば、そのおかげで、10人入ってもスグに9人は辞めると言われていたスパルタ教育の店で止めずに店長になることができました」。
もちろん、起業への強い思いがあったからだろう。
せっかく名店に入ったのに中途半端で辞められるか!・・・・・・・。


ヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏


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ナッティジャパン株式会社 代表取締役社長 金杉裕正氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にナッティジャパン株式会社 代表取締役社長 金杉裕正氏登場。


金杉
本文より~


祖父は、先生であり、政治家。


千葉で生まれ育った。祖父は千葉の有力な市会議員。政治的なセンスに長けておられたのだろう。国会議員も、相談に訪れるほどだった。金杉が、祖父と暮らすようになったのは小学4年生から。その時から、祖父のマンツーマン指導が始まった。
「小学校の低学年から夜遊びをしているような少年だったので、祖父が見かねたんでしょう。家族で祖父の家に移り住み、私は学校から帰って夕方まで勉強。食事が終わると今度は、筋トレが始まり、終わらないと風呂にも入れてもらえないんです。祖父はもう引退していましたので、休校日もない」。
「愛情はたしかに感じましたが、時にはいじめられているんじゃないかと(笑)。まだまだ子どもでしたから、祖父がどんな思いで私を教育していたか分からなかったんです。ただ、この時、話し、諭してくれたことは、いまの私のコアになっている気がします。言い替えれば、政治家の祖父、男としての祖父が、私のなかで、まだ生き続けているんです」。
祖父とのマンツーマン教育で「何よりプライドが植え付けられた」と金杉は回顧する。
ただ、この教育は4年でピリオドが打たれた。祖父が他界したからだ。財産のいくつかは教育費にと母に残された。この遺産がのちのち問題を引き起こすのだが、それはまだ先の話。・・・・。


ナッティジャパン株式会社 代表取締役社長 金杉裕正氏


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2012年2月20日月曜日

やはり月刊食堂はすごく良くなった。

月刊食堂3月号
飲食経営者の皆さんなら、やはり月刊食堂は読まれたらいいと思います。


多少大手企業が多いが、情報収集されるにはベストの媒体だ。


今の飲食業界の動きを若手&創業浅い経営者は、活字でももっと勉強された方がいいと思います。


月刊食堂が業界を引っ張って、他の業界誌も追随されればもっと業界が活性化するはず。


ただし、将来多店舗化せず、じっくりとやられたい方は、迷うだけですからそこまでは必要ないかも・・・。



2012年2月16日木曜日

この最近、社員が育ってきた。

人材紹介のカウンセリング、大学へ求人票持参、フィジーで就職説明会、TV制作会社への働きかけ、社長取材のアプローチ、in-職ハイパー新卒編 雑誌版、インターンシップ導入し学生営業チーム結成などなど…。


全て社員各自がやってくれています。
まあ、ほんと私がいなくて、いやいない方がうまく行ってる感じがします。


やったこと無いことばかりだったので、最初は否定的な声がありましたが、
最近では自信が付いてきたのか、よくやってくれてます。


継続しコツコツやってるとある時から急に成長する。
また、より多くの人に夢、希望を与えるため何かできないかを考えてると
斬新なアイデアや試みがしたくなる。

そうするとおもしろいことが展開できる。
今まさに、そんな感じかもしれません。


昨日、今日も学生インターンシップのオリエンテーションを任しましたが、私の出る幕がありませんでした(笑)


とにかく、いろんな意味で楽しみなことが増えました。


不思議と自然に外部ブレーンの皆さんも素晴らしい方が増え、ほんと頼もしい限りです。


少しでも業界を動かせる力を付けるため、皆が夢、希望を語っていけたらこんな素晴らしいことありません。

2012年2月15日水曜日

2.15発行のオーストラリア・シドニーNo.1生活情報誌「チアーズ」、第11弾!!

「チアーズ」3月号(2.15発行)にて、ワーキングホリデー帰国者の就職支援企画第11弾の広告発信!!


今回のご登場は未知インターナショナルの水本社長


水本



オーストラリアと日本の飲食業界をつなぐ架け橋になりたい!!


海外で通じる人材確保のためキイストンは海外経験者の就職を応援していきます!!


Glocal_logo



日本外食新聞トップ面にホイッスル三好の三好社長登場!!

‎2月15日掲載の日本外食新聞トップ面に、“中国ラーメン 揚州商人”を経営されているホイッスル三好の三好社長がトップ面に登場!!


日本外食新聞は紙メディアだが、編集長のフットワークと経営者の皆さんから好かれるためいい情報集めておられる。お奨めです!!


ホイッスル三好の三好社長は、“飲食の戦士たち”の3月中旬更新でも登場してもらいます。


三好



株式会社Big.Belly 社長 大林芳彰氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社Big.Belly 社長 大林芳彰氏登場。


アガリコ


本文より~


1歳で、ハワイ、デビュー。


海外にはもう何度も行った。「AGALICO(アガリコ)」の内装デザインを決定するときにもデザイナーを連れバリに出かけた。まるで国内を旅行する気軽さで、海を渡る。
今回、ご登場いただく(株)Big.Bellyの社長、大林芳彰のことである。
大林が生まれたのは、1973年4月2日。
東京都練馬区で生まれ、千葉県成田市で育っている。
「成田に引っ越したのは、父がユナイテッド航空に勤めていたからです。父は、地上職でしたが、海外に行く機会も多かったのでしょう。私たち家族も夏になるとハワイに連れて行ってくれました。私は1歳の時からハワイに行っています(笑)。そのおかげで、海外を特別だと思ったことはありません」。
大林が1歳といえば、1974年。日本で万国博覧会が開かれてまだ4年目。一般人には、海外はまだまだ遠い存在だったはず。その点で大林は恵まれていたことになるだろう。・・・・。


株式会社Big.Belly 社長 大林芳彰氏


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2012年2月14日火曜日

育成のための若手育成、インターンシップ学生の導入。

大学3年生のインターンシップをやろうと説明会したことろ、なんと意識の高い7名の学生が参加してくれことになった。


予想以上に多いので、ビックリしている。


学生の皆さんとのせっかくのご縁、少しでも多くの経営者の皆さんと触れさせることで何か感じてもらい、1人でも多く育ってくれるとうれしい。


と同時に人を教えるということで自社の社員の育成にもなるから、そちらも大いに期待している。


20周年にあたる今年は、業務の集大成と共に本格的に次世代の人材育成に力を注ぎたい。



2012年2月13日月曜日

TVをはじめ新聞やネットメディア、それに業界誌など拡大中。

“飲食の戦士たち”も既に30社以上もの社長を取材し、300社は取材時点で達成しました。


認知度の高い飲食の経営者から、最近勢いいい経営者の方まで幅広く取材に応じて頂き、200社超えたあたりから、急加速で各メディア関係者の皆様ともご縁頂けるようになりました。


ありがたいことに、どのマスコミの皆様も“飲食の戦士たち”に対し高く評価頂いています。本当にうれしく、かつ我々の自信にもなっており、心から感謝する次第です。


ゆえに、マスコミの方から『企業、お店探しているって振っていただけれれば48時間以内に出す』をモットーにコツコツと実践しています。


I新聞その甲斐あって、今週も日テレ関係で飲食店のTV取材(予定)、業界誌で飲食企業の取材(予定)など複数入っています。


『より多くの人・企業に夢・希望を与える』の経営理念のもと、社長取材が300社超え、500社にもなれば、もっと情報発信でき、夢や希望があたえられるのでは…って考えています。


飲食企業の社長様より「キイストンと取引してた方が絶対にいいよ」って思って頂けるよう社員のレベルを上げていきたいと思います。


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2月24日(金)~25日(土)、フィジーでキイストン初の海外就職説明会実施。

  フィジー2


今回、2月24日(金)~25日(土)、フィジーの語学学校Free Bird Institute(以下FBI)との提携で、キイストン初の海外就職説明会実施します。


留学生の内訳は20代の学生、社会人が多く、女性が約7割、男性が3割となっている。


語学学校FBIはフィジー政府から学校法人として語学学校の認可を受けている。また、2010年にはBa自治行政府よりBa Provincial Collegeの運営権の無償譲渡を受け、現地高校運営をスタート。


【フィジー留学について】
■特徴
・物価が安く、安全・快適に英語を学べる国
物価が安く(欧米国に比べると物価が約1/3程度)、安全・安心、快適な環境で英語を学べる場所。


・旧英国領で公用語が英語
フィジーは、旧イギリス領であった歴史があるため、公用語が英語(ブリティッシュ系イングリッシュ)。
ネイティブのフィジー系はフィジー語、移民のインド系はヒンディー語を使うが、幼稚園の頃から英語のバイリンガル教育を受けているので、ほとんどの人が流暢な英語を話す。


フィジーは教育環境が整った国で、義務教育の定めはないが、中学進学率がほぼ100%であり、青年識字率(英語)が99%と高い。
“国民総バイリンガル”と言っても過言ではないフィジアンは、英語を話すためのプロセスを熟知し、語学学習に対しての理解が高いので、「まったく話せない」、「カタコトしか話せない」という方でも、暖かいサポートを受けながら英語力を上達させることができる。


・語学を学びやすい環境
フィジーの人たちは、とても陽気でフレンドリー。街を歩いていても、気軽に話しかけてくれるので、コミュニケーションの頻度が非常に高い。
優しく、人懐っこいフィジアンは、国民全員が英語の先生のように留学生に接してくれるので、語学を学ぶ環境に適している。



2012年2月10日金曜日

カナダ・トロントで発行されてる『TORJA』に“飲食の戦士たち”掲載中。

キイストン海外HRアドバイザーの塩原修氏がカナダ・トロントで発行している、読者参加型をコンセプトにした日系コミュニティのためのマガジン『TORJA』が好調のようだ。


現在、『TORJA』の記事に“飲食の戦士たち”で注目の企業の社長様、また海外と縁の深い社長様をピックアップし掲載中です。


世界を視野に入れ「グローバル人材を飲食企業に」とキイストンは動いています。


橘


(ル・クール 橘社長様)


伊藤


(日本サブウェイ 伊藤社長様)


比嘉


(ウェンディーズ・ジャパン アーネストM.比嘉様)


矢野
(型無 矢野社長様)



2012年2月7日火曜日

ぼてぢゅうグループ 代表取締役社長 栗田英人氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にぼてぢゅうグループ(株式会社東京フード・株式会社大阪フード)
代表取締役社長 栗田英人氏
登場。


ぼてぢゅう
本文より~


常連客だった父が「ぼてぢゅう」の暖簾を継承する。


もともとは薬品会社を経営されていたそうだ。今回ご登場いただく栗田の父、北村貞次氏の話である。その父が「ぼてぢゅう」の暖簾を譲り受けたのは、栗田が生まれる1年前の1962年のことである。
「『ぼてぢゅう』が創業したのは、1946年(昭和21年)のことです。西野栄吉さんという方が創業者です。この店の常連だったのが私の父で、1962年(昭和37年)に暖簾を譲り受けます。いまでいう『のれん分け』です。最初はサイドビジネスだったそうですが、いつのまにかこちらが本業になり、『ぼてぢゅう』というブランドと暖簾を継承するようになりました」。
「現在、ぼてぢゅうという名称は2社が名乗っています。そのなかで『ぼてぢゅう』の暖簾(商標権)を継承しているのは私ども『ぼてぢゅうグループ』だけです。父が暖簾を継承したのがその始まりです」。・・・・・・。


ぼてぢゅうグループ(株式会社東京フード・株式会社大阪フード)
代表取締役社長 栗田英人氏


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2012年2月6日月曜日

2012年、次々と新しいことにチャレンジします。

おかげさまで、“飲食の戦士たち”で培った社長様とのネットワークにマスメディアの皆様も注目頂きはじめ、
情報提供の依頼の連絡が多くなってまいりました。


先日の2月3日(金)の日本テレビ『news every.』の特集"気になる"にて鍋のテーマで、「発酵食堂 豆種菌」の“キノコ鍋”が取り上げられました。


   ニュースエブリー2ニュースエブリーコーナー案内


(日テレ『news every.』の特集"気になる"コーナー)


ニュースエブリー3


※イイコの横山社長、取材ご協力ありがとうございました。


これからもっともっとチャンネルを増やしていきます。


 


1月末より、新卒採用に関しても本格的に進出し、首都圏の100大学からスタートしました。


また、2月23日からフィジーの語学学校で就職説明会、相談会をやってきます。


授業風景 019


(フィジーの先生による授業風景)


フィジー-41 山崎さん学校-05
(フィジー 語学学校・授業風景)
少しでも多く海外の語学留学生、それにワーキングホリデー対象者を飲食業界に目を向けてもらうため拡げていきます。


より多くの人に夢・希望を与えるため、キイストン20周年(2012年)は次々と新しいことにチャレンジします。


どこもやっていないことをやらないとおもしろくないのと存在感ありませんからね・・・。