(フィジー・ナンディ空港)
(ラウトカタウン)
(ナンディタウン)
(求人票掲示)
(FBIオフィス内に設置したチラシ&求人ファイル)
(FBIオフィスのカウンターのお二人)
(フィジー・ナンディ空港)
(ラウトカタウン)
(ナンディタウン)
(求人票掲示)
(FBIオフィス内に設置したチラシ&求人ファイル)
(FBIオフィスのカウンターのお二人)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アップラインズ 代表取締役 滝川 徹氏登場。
「目立ちたがり」「一番」。小さな時から、目立つこと、一番になることが、好きだったらしい。小学校の運動会では、鼓笛隊の先頭に立ち指揮を取った。「目立ちたがり」の本領発揮である。野球もがんばった。野球漬け、と言っていいぐらいに。みんなの前でヒーローになる瞬間がたまらなかったのではないだろうか。中学からはボーカルとギターも始める。文化祭では、ステージにも立った。ファンクラブも出来た。
女生徒達にキャーキャー言われるのに最高の幸せを感じ、中学3年の進路指導では、ミュージシャンになると堂々、宣言。「スター誕生に出て…」とプランも披露したが、先生の一喝で高校進学に切り替えることになる。進んだのは県内でもトップクラスの進学校だった。転機が訪れたのは、高校3年の時。大好きな母が他界する。享年48歳。それまでいずれ海外で、と思っていたのだが、父のことを思うとなかなか行動に移すこともできなくなってしまう。大学卒業後も、県内にとどまった。就職先は、滋賀県の病院。意外だが、滝川の社会人スタートは、病院での事務職(人事部)だったのである。・・・・・。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サンクチュアリ 代表取締役 渡邉裕樹氏登場。
本文より~
大学の友人の紹介で、渋谷の焼肉店に入る。月に20日以上の勤務もザラ。飯も食べられる。授業のない時は昼から入った。
「1年半ぐらいその店でバイトをしていたんですが、カラオケのキャッチが儲かるという話を聞いて、バイトを移ります。私がいた店は、時給プラス歩合だったので、結果をだせば、収入も増えます。年末になると40~50万円の稼ぎになりました」。
「お金もそうですが、もう一つ収穫がありました。もともと私は人に話しかけるのが苦手だったんです。ところが、キャッチなので声をかけないわけにはいきません。どんどん話しかけていているうちに苦手意識を克服することができました(笑)」。 少年が、東京に出て逞しい青年になっていく様子が伺える。
そのバイトも1年ぐらい続けた。すると、大学3年。そろそろ就職活動の時期である。
「就職するのか、起業するのか。そういう選択が、最初にありました。友人の何人かに起業する人間がいましたので、自然と『起業という選択もありだな』と思うようになっていたのかもしれません。もっとも起業すると言っても、みんな分野は違います。私と、もう一人、いまの取締役ですが、私と彼だけが、するなら飲食で起業しようと思っていました。その彼といろいろ話をするうちに、『じゃぁ、2人でやろうか』ということになったんです」。
「彼はずっとバーテンダーをしていましたから、お酒はわかる。じゃぁ、フードはどうするとなって、私が修業に出ることになったんです。最初はアルバイト経験のある焼肉屋も考えましたが、焼肉は設備投資にかなりのお金がかかります。それで、設備投資が少なくて済む、焼鳥業態に絞り込みました」・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
まずは、2日後に控えてるフィジー就職説明会の準備も着々と整ってきた。
フィジー学校内での求人票OK、募集企業様の資料OK、セミナー告知OK、配布用チラシOK、設置用資料OK、セミナーで話すためのロープレこれから・・・・・・。
まずは1つずつコツコツ実績作りから。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にヨツヤエンタープライズ有限会社 代表取締役社長 四家公明氏登場。
中学を卒業する頃には、すでに起業を志していた。父母を見習い「飲食」と決めていたから、アルバイトは勉強にもなった。とはいえ、卒業後、すぐに起業は無理だ。
「カフェ・バーをしようと思っていました。でも、資金もないし、経験もない。バーといえば、お酒ですが、私はお酒だけで勝負できるとは思えなかったんです。だいたいまだ18。お酒を大っぴらに飲める年齢でもない(笑)」。
「そんな時、アルバイト雑誌で行列ができるパスタ専門店をみつけました。昼間でも行列ができる名店のパスタなら、カフェをするにしても強みになるはずだと勇んで応募しました。平日でも2時間待ちの日があるぐらいの超人気店です。ランチで24万円、夜で20万円。25坪32席の店で日商が40万円強ですから、いかに人気があったかがわかります」。
希望を抱いて、就職した。だが、高校時代のアルバイトのようにたのしくない。それどころか、「毎日、辞めたくてしかたなかった」という。
「とにかく、先輩が絶対の、まったくもって理不尽な世界でした。お客様にも『食べたらとっとと帰ってもらえ』です。そんな先輩のいる中ですから、反抗してお客様を大事にする私の態度が気に入らなかったのでしょう。毎日、殴られ、蹴られいじめられました。それでも辞めなかったのは、相手が間違っているのに、これでオレが辞めたら、オレのほうが間違っているということになってしまうと思っていたからです。逆にいえば、そのおかげで、10人入ってもスグに9人は辞めると言われていたスパルタ教育の店で止めずに店長になることができました」。
もちろん、起業への強い思いがあったからだろう。
せっかく名店に入ったのに中途半端で辞められるか!・・・・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にナッティジャパン株式会社 代表取締役社長 金杉裕正氏登場。
千葉で生まれ育った。祖父は千葉の有力な市会議員。政治的なセンスに長けておられたのだろう。国会議員も、相談に訪れるほどだった。金杉が、祖父と暮らすようになったのは小学4年生から。その時から、祖父のマンツーマン指導が始まった。
「小学校の低学年から夜遊びをしているような少年だったので、祖父が見かねたんでしょう。家族で祖父の家に移り住み、私は学校から帰って夕方まで勉強。食事が終わると今度は、筋トレが始まり、終わらないと風呂にも入れてもらえないんです。祖父はもう引退していましたので、休校日もない」。
「愛情はたしかに感じましたが、時にはいじめられているんじゃないかと(笑)。まだまだ子どもでしたから、祖父がどんな思いで私を教育していたか分からなかったんです。ただ、この時、話し、諭してくれたことは、いまの私のコアになっている気がします。言い替えれば、政治家の祖父、男としての祖父が、私のなかで、まだ生き続けているんです」。
祖父とのマンツーマン教育で「何よりプライドが植え付けられた」と金杉は回顧する。
ただ、この教育は4年でピリオドが打たれた。祖父が他界したからだ。財産のいくつかは教育費にと母に残された。この遺産がのちのち問題を引き起こすのだが、それはまだ先の話。・・・・。
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「チアーズ」3月号(2.15発行)にて、ワーキングホリデー帰国者の就職支援企画第11弾の広告発信!!
今回のご登場は未知インターナショナルの水本社長。
オーストラリアと日本の飲食業界をつなぐ架け橋になりたい!!
海外で通じる人材確保のためキイストンは海外経験者の就職を応援していきます!!
2月15日掲載の日本外食新聞トップ面に、“中国ラーメン 揚州商人”を経営されているホイッスル三好の三好社長がトップ面に登場!!
日本外食新聞は紙メディアだが、編集長のフットワークと経営者の皆さんから好かれるためいい情報集めておられる。お奨めです!!
ホイッスル三好の三好社長は、“飲食の戦士たち”の3月中旬更新でも登場してもらいます。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社Big.Belly 社長 大林芳彰氏登場。
本文より~
海外にはもう何度も行った。「AGALICO(アガリコ)」の内装デザインを決定するときにもデザイナーを連れバリに出かけた。まるで国内を旅行する気軽さで、海を渡る。
今回、ご登場いただく(株)Big.Bellyの社長、大林芳彰のことである。
大林が生まれたのは、1973年4月2日。
東京都練馬区で生まれ、千葉県成田市で育っている。
「成田に引っ越したのは、父がユナイテッド航空に勤めていたからです。父は、地上職でしたが、海外に行く機会も多かったのでしょう。私たち家族も夏になるとハワイに連れて行ってくれました。私は1歳の時からハワイに行っています(笑)。そのおかげで、海外を特別だと思ったことはありません」。
大林が1歳といえば、1974年。日本で万国博覧会が開かれてまだ4年目。一般人には、海外はまだまだ遠い存在だったはず。その点で大林は恵まれていたことになるだろう。・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
大学3年生のインターンシップをやろうと説明会したことろ、なんと意識の高い7名の学生が参加してくれことになった。
予想以上に多いので、ビックリしている。
学生の皆さんとのせっかくのご縁、少しでも多くの経営者の皆さんと触れさせることで何か感じてもらい、1人でも多く育ってくれるとうれしい。
と同時に人を教えるということで自社の社員の育成にもなるから、そちらも大いに期待している。
20周年にあたる今年は、業務の集大成と共に本格的に次世代の人材育成に力を注ぎたい。
“飲食の戦士たち”も既に30社以上もの社長を取材し、300社は取材時点で達成しました。
認知度の高い飲食の経営者から、最近勢いいい経営者の方まで幅広く取材に応じて頂き、200社超えたあたりから、急加速で各メディア関係者の皆様ともご縁頂けるようになりました。
ありがたいことに、どのマスコミの皆様も“飲食の戦士たち”に対し高く評価頂いています。本当にうれしく、かつ我々の自信にもなっており、心から感謝する次第です。
ゆえに、マスコミの方から『企業、お店探しているって振っていただけれれば48時間以内に出す』をモットーにコツコツと実践しています。
その甲斐あって、今週も日テレ関係で飲食店のTV取材(予定)、業界誌で飲食企業の取材(予定)など複数入っています。
『より多くの人・企業に夢・希望を与える』の経営理念のもと、社長取材が300社超え、500社にもなれば、もっと情報発信でき、夢や希望があたえられるのでは…って考えています。
飲食企業の社長様より「キイストンと取引してた方が絶対にいいよ」って思って頂けるよう社員のレベルを上げていきたいと思います。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
今回、2月24日(金)~25日(土)、フィジーの語学学校Free Bird Institute(以下FBI)との提携で、キイストン初の海外就職説明会実施します。
留学生の内訳は20代の学生、社会人が多く、女性が約7割、男性が3割となっている。
語学学校FBIはフィジー政府から学校法人として語学学校の認可を受けている。また、2010年にはBa自治行政府よりBa Provincial Collegeの運営権の無償譲渡を受け、現地高校運営をスタート。
【フィジー留学について】
■特徴
・物価が安く、安全・快適に英語を学べる国
物価が安く(欧米国に比べると物価が約1/3程度)、安全・安心、快適な環境で英語を学べる場所。
・旧英国領で公用語が英語
フィジーは、旧イギリス領であった歴史があるため、公用語が英語(ブリティッシュ系イングリッシュ)。
ネイティブのフィジー系はフィジー語、移民のインド系はヒンディー語を使うが、幼稚園の頃から英語のバイリンガル教育を受けているので、ほとんどの人が流暢な英語を話す。
フィジーは教育環境が整った国で、義務教育の定めはないが、中学進学率がほぼ100%であり、青年識字率(英語)が99%と高い。
“国民総バイリンガル”と言っても過言ではないフィジアンは、英語を話すためのプロセスを熟知し、語学学習に対しての理解が高いので、「まったく話せない」、「カタコトしか話せない」という方でも、暖かいサポートを受けながら英語力を上達させることができる。
・語学を学びやすい環境
フィジーの人たちは、とても陽気でフレンドリー。街を歩いていても、気軽に話しかけてくれるので、コミュニケーションの頻度が非常に高い。
優しく、人懐っこいフィジアンは、国民全員が英語の先生のように留学生に接してくれるので、語学を学ぶ環境に適している。
キイストン海外HRアドバイザーの塩原修氏がカナダ・トロントで発行している、読者参加型をコンセプトにした日系コミュニティのためのマガジン『TORJA』が好調のようだ。
現在、『TORJA』の記事に“飲食の戦士たち”で注目の企業の社長様、また海外と縁の深い社長様をピックアップし掲載中です。
世界を視野に入れ「グローバル人材を飲食企業に」とキイストンは動いています。
(ル・クール 橘社長様)
(日本サブウェイ 伊藤社長様)
(ウェンディーズ・ジャパン アーネストM.比嘉様)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にぼてぢゅうグループ(株式会社東京フード・株式会社大阪フード)
代表取締役社長 栗田英人氏登場。
もともとは薬品会社を経営されていたそうだ。今回ご登場いただく栗田の父、北村貞次氏の話である。その父が「ぼてぢゅう」の暖簾を譲り受けたのは、栗田が生まれる1年前の1962年のことである。
「『ぼてぢゅう』が創業したのは、1946年(昭和21年)のことです。西野栄吉さんという方が創業者です。この店の常連だったのが私の父で、1962年(昭和37年)に暖簾を譲り受けます。いまでいう『のれん分け』です。最初はサイドビジネスだったそうですが、いつのまにかこちらが本業になり、『ぼてぢゅう』というブランドと暖簾を継承するようになりました」。
「現在、ぼてぢゅうという名称は2社が名乗っています。そのなかで『ぼてぢゅう』の暖簾(商標権)を継承しているのは私ども『ぼてぢゅうグループ』だけです。父が暖簾を継承したのがその始まりです」。・・・・・・。
ぼてぢゅうグループ(株式会社東京フード・株式会社大阪フード)
代表取締役社長 栗田英人氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
おかげさまで、“飲食の戦士たち”で培った社長様とのネットワークにマスメディアの皆様も注目頂きはじめ、
情報提供の依頼の連絡が多くなってまいりました。
先日の2月3日(金)の日本テレビ『news every.』の特集"気になる"にて鍋のテーマで、「発酵食堂 豆種菌」の“キノコ鍋”が取り上げられました。
(日テレ『news every.』の特集"気になる"コーナー)
※イイコの横山社長、取材ご協力ありがとうございました。
これからもっともっとチャンネルを増やしていきます。
1月末より、新卒採用に関しても本格的に進出し、首都圏の100大学からスタートしました。
また、2月23日からフィジーの語学学校で就職説明会、相談会をやってきます。
(フィジーの先生による授業風景)
(フィジー 語学学校・授業風景)
少しでも多く海外の語学留学生、それにワーキングホリデー対象者を飲食業界に目を向けてもらうため拡げていきます。
より多くの人に夢・希望を与えるため、キイストン20周年(2012年)は次々と新しいことにチャレンジします。
どこもやっていないことをやらないとおもしろくないのと存在感ありませんからね・・・。