in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ヴィクセス 代表取締役社長 中元孝太氏登場。
3番、エース。
狛江市という東京都のなかで最も小さな市がある。東は世田谷区、北と西は調布市、南は神奈川県川崎市に接している。日本でも、2番目に小さな市だそうだ。「こまえし」と読む。今回、ご登場いただく、株式会社ヴィクセス社長、中元孝太が、この狛江市に生まれたのは1984年9月22日のこと。下に弟、妹が生まれ、3人兄弟の長男となる。
中元が、生まれた1984年は、日本経済がバブルに向かって駆け足で登り始めた時代である。飲食でいえば、ディスコなどが流行り、一時期のファミレスなどから、高級志向のレストランへ世代交代が進んだ頃と言えるだろうか。
中元は小学1年生から野球を始めている。運動神経の良さに加え、練習にも熱心に取り組み、エースで3番をつかみ取った。ところが、小学4年生から1年半、父親の転勤で新潟に引っ越すと2番手ピッチャーに降格してしまう。「野球が盛んなうえに、ハンパじゃない運動神経の奴らばっかりで、レギュラーにはなれたものの2番手ピッチャーが精一杯だった」と悔しがる。小学生の頃の中元は、メガネでスポーツ刈り。「目立ちたがりで、学級委員もやっていた」そうだ。将来の夢は、もちろんプロ野球選手。
ところが、中学になって、元気で明るく、野球熱心だった少年は、髪をのばし、ピアスをし、タバコをふかす少年になる。「いったん公式のクラブチームに入るのですが、坊主頭になるのがイヤで、辞めてしまったんです(笑)」。中学3年生の時にはバンドもやった。引越業者やラーメン店でバイトもした。心を入れ替え、狛江市を離れ、渋谷の祖母の家にバックレタのは、高校2年生のことだった。 ・・・・。
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