in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 有限会社クリエイトワークス 代表取締役 猿渡弘太氏登場。
家からの逃亡、失敗。
「東京に行きたいというより、早く家を出たいと思っていました。でも、東京の大学を受験したんですが、失敗。結局、合格したのは、兵庫県下の甲南大学のみでした(笑)」。家から、それほどかからない。「大学時代は、バイトとスキー。学費と生活費を捻出するため、ゴルフのキャディからホテルのフロント、居酒屋のホールと、さまざまなアルバイトをしました」。「しかし、スキーとバイトばかりで、就活を忘れていて、4年生の4月半ばからのスタートです。30社ほど受けて、ある大手の証券会社に就職が決まりました」。
証券マン時代。
猿渡が大学卒業したのは1995年。バブル経済の破たんが、大手企業を飲みこんだ時代である。証券マンとしては決して恵まれた時代ではない。簡単にいえば、契約がなかなか取れない時代だったはずだ。この証券マン時代に、猿渡は初めて名古屋で暮らすことになる。負けずぎらいの性格が功を奏したのか、それとも、人好きの性格が結果を生んだのか、厳しい環境のなか成績はつねにトップクラスだった。ある上司に言われた言葉も猿渡の背中を押した。「ひとと違うことをやりなさい。寝る時間を惜しんで働きなさい。失敗しても、死ぬわけではないんだから」。「甲南大学には金持ちの子が多く、私は苦学生ですから、周りの学生とはずいぶん経済格差があったんです(笑)。あの頃からです。独立志向が芽生えたのは。就職しても、独立の思いは消えず、逆にそれが仕事の原動力になった気もします。先輩たちからも薫風を受け、仕事も決してきらいではなかったんですが、27歳で独立しようと、それだけはブレなかったですね」。 ・・・・。
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