in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社コロワイド東日本 代表取締役社長 五十嵐茂樹氏登場。
音楽に明け暮れた大学時代と未来の模索。
当時、福井の進学希望者の8割は、高校を出ると大阪や京都など関西圏の大学に進学していた。しかし福井から関西へは、電車でせいぜい2時間から3時間程度の距離でしかない。五十嵐は、厳しく息苦しい実家から少しでも離れたい一心で、東京の大学へ進学する。
見るもの聞くもの、すべてが珍しい新天地でも、相変わらず音楽には情熱を傾けた。大学の軽音サークルに身を置き、仲間のバックで来る日も来る日もドラムを打ち鳴らしていた。音楽でプロをめざす気持ちはなかったが、ほかに打ち込むものも見当たらなかった。
やがて多くの学生たちがそうであるように、五十嵐もまた、自分が何をしたいのかが定まらないまま就職活動に突入する。これなら誰にも負けないといったものがあるわけではなかった。確固とした事実としてあるのは、10年間音楽に打ち込んだ。恐らくそれくらいだろう。どこにでもいる若者だった。
辛うじて内定を得たのが、小さな商社だ。せっかくなので働きはじめたが、あまり仕事を好きにはなれなかった。それがなぜかもわからない。結局、向いていなかったということに尽きるだろう。そんな五十嵐に刺激を与えるためだろうか、会社から大阪への異動命令が下された。そして、それが五十嵐のその後を決める大きな転機となるのだ。
当時は流通革命という事象が起こり、ダイエーをはじめジャスコ、イトーヨーカドーなどのスーパー業態が、すでに食料品や日用品を全国の店舗で安価に提供するというネットワークを築き上げていた。これと同様のことが飲食・外食をはじめ様々な分野でもはじまっていた。
商社マンとして勤務していた五十嵐は、チェーンストア時代の幕開けに触発された。新しい時代が幕開けし、今までにないとんでもないことがはじまりそうな予感に胸のときめきを抑えられずにいた。・・・。
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