in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社加寿翁コーポレーション 代表取締役社長 竹内太一氏登場。
父、和夫氏が「土佐料理」と命名。
名前にはちからが宿ると言ったのは、平安時代の陰陽師、安部清明だっただろうか。
高知県の郷土料理を「土佐料理」と命名することで、いまで言うブランド化を図り推進したのは、今回ご登場いただく株式会社加寿翁コーポレーションの現社長、竹内太一の父、和夫氏である。昭和中期から和夫氏が展開した「司」や「祢保希」が高知県の郷土料理の代表格となったのも頷ける話だ。
和夫氏が、創業者である竹内の祖父小松牛次氏に養子として迎えられたのは、竹内が生まれる1年前の話。竹内が生まれた翌年には、高知にて中華料理店を開業している。
祖父の小松牛次氏は高級料亭に勤める腕の立つ板前だった。その腕を活かし、大正6年に「新京橋ねぼけ」を創業する。「大衆化したことでヒットした」そうだ。
父の和夫氏が「土佐料理 司」を高知市はりまや町に開店したのは1964年のこと。そののち「土佐料理 司」は高知県でも名店として知られるようになる。
この名店と歩みを合わせるように、竹内もまた成長していく。中学から中・高一貫の進学校に入り、中学では軟式テニス部、高校では水泳部に籍を置いた。「街には城もあって、街全体が遊び場だった」という。当時のセリの話も伺った。「高知県の市場にはたくさんの種類の魚が出回っていました。セリの時には、セリの順番を待つ鰹船がズラリと港にならんでいたものです」。
最近は高知でも漁獲量が落ちてきたそうだ。豪快な一本釣りも姿を消しつつあるらしい。にぎやかな時代の話と対照的に、さみしくも思える話である。・・・。
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