2012年9月29日土曜日

本日の夕刊フジに株式会社麺食の中原誠社長登場。

本日28日の夕刊フジに『喜多方ラーメン坂内』『小法師』を展開されている株式会社麺食の中原誠社長が登場。


麺食 中原誠社長
麺食 夕刊フジ


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今度は裏表紙に・・・・・。

今度は情報誌裏表紙&ホームページに出ております。


武田あかね



武田あかね1
武田あかね2


武田あかね3
武田あかね4



2012年9月28日金曜日

インターンシップの学生たちにサプライズプレゼント!!

キイストンでインターンシップで頑張って頂いた学生諸君に、サプライズプレゼント!!


10月1日付で東証一部上場されるリブセンスの村上太一社長と一緒に写真と本をプレゼントして頂きました。


リブセンス村上社長
(インターンの皆さんと村上社長)


こんな機会は、ほんと無い。村上社長にほんと感謝です!!(高橋さん写真ありがとうございました)


将来を担う学生に夢・希望が与えられれば・・・。


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戦略型総合人材採用サービス会社
キイストン



2012年9月27日木曜日

さあ、動き出してきました。電子書籍出版ついに決定!!

“飲食の戦士たち”も300回を超え、ご登場頂いた社長様の店舗総数も2万923店舗(9/25現在)と2万店超えました。


その“飲食の戦士たち”、いよいよ11月1日(予定)で電子書籍出版が決定しました。1位狙います!!


これからシリーズNo.1の企業様の選定に入ります。


電子書籍化 (2)


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BCGの中道英治社長、今度はアントレ秋号に・・・。

ここ最近、メディア露出度の高いBCG(ちゃい九炉)中道英治社長、今度はアントレ秋号に登場。


中道社長
アントレ表紙


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「中国ラーメン揚州商人」の森山可奈子さん、日本外食新聞に登場。

日本外食新聞の特集記事“ゲンバニンゲン”に「中国ラーメン揚州商人」の森山可奈子さん登場。



森山さん
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2012年9月26日水曜日

キリンシティ株式会社 取締役社長 佐部成彦氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にキリンシティ株式会社 取締役社長 佐部成彦氏登場。



佐部社長
本文より~


福井県。


佐部が生まれたのは1962年だから、福井市内と言っても都会からみればまだまだのどかな田舎町の風景に染まっていたのではないだろうか。両親が共に教員だったこともあって、学校帰りの佐部を迎えてくれるのは、もっぱら祖父母だったそうだ。躾にも厳しい祖父母が教育係を務めてくれたおかげで勉強も良くできる少年に育った。「福井県というのは、生活をするにも良く、仕事もあって、福井だけで完結できる県なんです」と佐部。「大人になっても福井で暮らす」と佐部もあたりまえのように思っていたようだ。その背景には、先天的な疾患が挙げられるかもしれない。1万人に1人という心臓疾患で2歳の時に手術。手術は無事成功したが、小学生の後半になるまで激しい運動は止められていた。けっして大人しいだけの少年ではなかったが、思い切り体を動かせない、そのことが佐部の冒険心をどこかで抑え込んでいた気がするからだ。医師から他の子たちと同じように体を動かしてもいい、とゴーサインが出たのは中学入学時。すでに小学生後半からは、運動場を駆け回るようになり、足の速さは学年でいちばん。医師からもOKサインがでたことで、中学入学と同時に陸上部へ。心臓への負担が大きい短距離走の選手だったことからも病は完治したということなのだろう。ただ、体は元気になったが、それでも思考は福井という枠からはみ出さない。高校は、福井一の進学校に進んだ。・・・。


キリンシティ株式会社 取締役社長 佐部成彦氏


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株式会社なんでんかんでん 代表取締役社長 川原ひろし氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社なんでんかんでん 代表取締役社長 川原ひろし氏登場。



川原
本文より~


ピアノとバイオリンとラーメンと。


1964年3月15日、川原は福岡市博多区の繁華街の一角に生まれた。祖父は明太子で有名な「ふくや」の主人である。父は貿易関係の会社をやり、母は専業主婦。母方は音楽など芸術的な家系で、川原も幼い頃から音楽学園に通っていた「ピアノやバイオリン。声楽もやっていたので喉が鍛えられました」。たしかに、美声である。「小学生の後半から高校までは毎日、歌っていました。毎日、歌っていると喉のパイプが太くなるんです」と川原。音量が豊かとは、このような声のことを言うのだろう。母は、音楽だけではなく教育にも熱心だったが、川原は、勉強にはあまり関心が持てなかったそうだ。代わりに子どもの頃から、音楽以外に興味があったものがある。ラーメンだ。小学生の頃から、ラーメン店には独り出かけていったそうだ。


ブラウン管の向こうに。


中学生になって、川原は3回転校している。2回目は実家の改築によるものだったが、1回目は大阪の親戚筋に預けられている。「中学受験をさせられたんです。2つ受けて、どちらも失敗。母親が怒ったんでしょうね。『そんなに勉強がキライなら一度、ほかの釜の飯を食ってこい!』ってことになって大阪の親戚に預けられたんです。もっとも1年で許さるんですが、この1年、いちばんビックリしたのはラーメンがとんこつじゃないことでした(笑)」。ラーメン好きの川原だったが、ラーメンにいくつもの種類があるとは知らなかった。ラーメンといえば「とんこつ」。これがセオリーだったのである。一方、この大阪時代、つまり中学1年生の時に、川原は「歌手になろうと決めた」と語っている。ちなみに、第13回日本レコード大賞新人賞を受賞した本郷直樹氏は、親戚筋にあたるそうだ。ブラウン管の向こうで歌う本郷氏に少なからず影響されたのではないだろうか。・・・。


株式会社なんでんかんでん 代表取締役社長 川原ひろし氏


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2012年9月21日金曜日

母校での講演。

この10月、今最も注目されているの経営者東証一部最年少上場社長のリブセンス村上太一社長と一緒に私の母校でもある名古屋学院大学で講演します。


 
おじけづくな
(学生の方がデザインしたポスター/作成途中)


過去、母校の周山中学校北桑田高校と講演させていただきました。


そして今回母校の大学でもやらせていただきます。


やはり母校での講演は全然違います!!


なんで、少しでもお役に立てば、こんなうれしいことはありません。


今回の講演企画を進めて頂きました河原林教授はじめ名古屋学院大学関係者の皆様、そしてご賛同頂きますリブセンスの村上太一社長には心より感謝申し上げます。


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(左:周山中学校にて、右:北桑田高校にて)



2012年9月18日火曜日

有限会社ベルニーニ 代表取締役社長 松本賢悟氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社ベルニーニ 代表取締役社長 松本賢悟氏登場。



松本社長
本文より~


大学中退。そして、始動。


学校をサボることはなく、要領も良かったという。しかし、事あるごとに学校に呼び出され、頭を下げてくれた母の功績も大きかったのではないだろうか。教師からは「2回も処分を受けた生徒に、大学への推薦を出したことなどほとんどないからな」と釘を刺されながらも、松本は無事に高校の卒業を迎え、さらには大学への切符を掴んでいた。
将来の喫茶店経営に少しでもプラスになるのではないか。そんな思いから、経済学部の経営学科を選ぶ。ところが大学では一般教養のつまらない講義が続き、喫茶店のマスターを目指す者への助言やヒントは何一つ聞くことができない。松本はわずか1年で大学に飽きてしまった。 
そんなある日、松本は父を相手にこう切り出した。「残り3年分の学費を、喫茶店の開業に投資してくれないか」。一般的な父親なら、まずは退学に猛反対するはずだ。しかし、松本の父は違った。「喫茶店で出す軽食やデザートを、おまえは何か一つでもつくれるのか。もし本気なら、死にもの狂いで料理の勉強をしたらどうだ」。松本にとって、これ以上の的確な助言はなかったはずだ。
人が決めたことを強制されるのが嫌で、自由を求めた。舐められるのが嫌で、背伸びをした。強さこそがすべてだと信じて、拳を固めた。ワルのレッテルを貼られても、気持ちは白く純真で、仲間を大切に思う。そして、なにより半端を嫌い、腹を決めたら筋を通し、がむしゃらに貫いていく。潔く自らの退路を断ち、松本は自分の定めた道を歩みはじめた。・・・・・。


有限会社ベルニーニ 代表取締役社長 松本賢悟氏


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際コーポレーション株式会社 代表取締役社長 中島 武氏登場。

クロスαには登場してもらっていましたが、今回はin-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に際コーポレーション株式会社 代表取締役社長 中島 武氏登場。



際中島社長
本文より~


野球を始め、自閉症を克服?


今の中島からは想像しにくいことだが、小学低学年までの彼はずいぶん性格が大人しかったそうだ。幼稚園時代には「自閉症と言われたこともある」という。姉も、弟も生徒会長を務めるなどしていたが、それも中島には無縁だった。
「大人しいと言うのか、友だちとツルんだりするのが苦手だったんです。そういう性格だったんですが、野球を始めたことで、少しずつ活発になっていった気がします」。
野球はチームプレー。黙っていては、プレーもできない。そういう環境が少年の心の中の何かを刺激したのかもしれない。中島、小学4年生の時の話である。
それでも、マジメな性格はそのまま。ハメを外すようなこともなかった。
「基本、マジメな家庭なんです(笑)。でも、中学で野球部を辞めてからは、少しやんちゃなこともするようになりました。当時は、みんなアメリカを意識してGパンなんかも流行りだした頃なんですが、私も、そういうのをはいて悪ぶったりしていました」。
野球部を退部したのには理由がある。練習中にヤブのなかに転がったボールを追いかけ、ガラスを踏んでしまった。ぐっさりと切れたキズは、何度縫っても治らず、ついには野球部をリタイアすることになってしまったのである。
それがきっかけで、野球部以外の連中とも交わるようになり、ファッションにも惹かれていくようになったに違いない。・・・・・。


際コーポレーション株式会社 代表取締役社長 中島 武氏


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シャルパンテ藤森真氏動画パート1完成!!

VINOSITYヴィノシティ&ヴィノシティ マジスを展開されているシャルパンテの藤森真氏



そのシャルパンテ代表&ソムリエ藤森真とは?の動画パート1が完成しました!!(先ほど実験的にアップしました)



パート2は観れば「もっとシャルパンテのこだわりがよくわかる、藤森真氏の考えがさらに見える」というくらい完成度高いです。



※残念ながらこちらは藤森氏のセミナー等でしか観れません。



単に社長だけでなく、現場でも活躍されているソムリエ藤森真氏、またギャルソン岡部一己氏など一線で活躍されている一流飲食人をもっともっとメジャーになってもらわないと・・・。


ギャルソン岡部一己氏動画はこちら→http://youtu.be/1lawgYEEIz8


より多くの若者に飲食業界を就職選択肢の一つに選んでもらえるため、キイストンはコツコツ啓蒙活動やっています。


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2012年9月15日土曜日

本日の夕刊フジに根室食堂(TOKUCHI)の平山徳治社長登場。

本日の夕刊フジにご当地居酒屋の先駆けの“根室食堂(TOKUCHI)”の平山徳治社長が登場。


根室食堂夕刊フジ


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2012年9月14日金曜日

なんと10,000DLを突破!

iPhone/iPad書籍アプリ「一瞬でお客の心をつかむ飛び込み営業術」(細見昇市著)がAppstoreで10,000DLを突破!


10,000売れたよりも10,000人に見てもらえてるのがうれしいです。


さらに第2弾として「リクルート式・一瞬で人事担当者の心をつかむ方法」(タイトル変更あり)が10月には出るようです!!
 
そして、悲願でもあった各飲食経営者対象にした電子書籍がいよいよ進みそうな段階にきました。


今年、本が出たらって思っていたら、本当に現実になった。


やっぱり、良いことを良いように思うってほんと大事なことですね。



2012年9月13日木曜日

故郷の京都丹波(京北・美山)の食材にも着手。

飲食企業様との取引が多いので、クライアント様、業者様、キイストンともがWin・Winになれるよう考えています。


生まれ故郷の京都の山奥の丹波エリア(現在は統廃合により京都市右京区)の京野菜や食材などキイストンが間に立ち、飲食企業様と直取引できればと考えています。


より新鮮なものを少しでも安価に提供できれば皆が幸せになる。


故郷に貢献、また飲食企業様に貢献、将来社員にも田舎暮らしできる環境を作りたい。


京都市右京区京北は、来年トンネル開通によりさらに交通も便利になり、まさに京都の軽井沢的な避暑地です。


「京北美味いもんマップ」


「京・美山ゆば ゆう豆



2012年9月12日水曜日

電子書籍が動きそう。

「キイストンにしかできないこと」


「お客様のためになり、関係者もハッピーになれるWin・Winの関係構築になること」


「より多くの人・企業に夢・希望が与えられること」


いよいよ、いろんなことが形になり飲食企業の皆様に喜んで頂けそうです!

 そのひとつに『電子書籍』。乞うご期待ください!!


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ワタミ株式会社 兼 ワタミフードサービス株式会社 代表取締役社長 桑原豊氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にワタミ株式会社 兼 ワタミフードサービス株式会社 代表取締役社長 桑原豊氏登場。



桑原社長
本文より~


炭火焼だいにんぐ「わたみん家」、起爆剤となる。


前回、お話を伺ったのは、桑原がまだグループ会社のワタミダイレクトフランチャイズシステムズ(株)の社長だった時のことである。ワタミ株式会社の社長となり、グループ全体を指揮されるいまとは立場がむろん異なる。
だが、当時からワタミの存亡をかけた戦いを指揮されていたのは間違いない。今回、改めてそのことを確信した。
「私がワタミダイレクトフランチャイズシステムズ(株)で指揮していた『わたみん家』には、二つの使命・役割があったんです。一つ目は居食屋「和民」に次ぐ業態・ブランドの確立、そしてもう一つが独立を希望するスタッフに対して、新たな道を示すことだったんです」。
現在、炭火焼だいにんぐ「わたみん家」は、200店舗を越え、オーナー店も約100店舗となり、その使命は十二分に果たしている。
「『和民』の後発のブランドですが、ある意味、ワタミのDNAをどこよりも引き継いだのが『わたみん家』でした。店舗スタッフも、ワタミらしくみんな元気だし、明るく、業態を立ち上げるのに皆一生懸命でした。こういう『和民』が失いかけていたかもしれない『ベンチャー精神』を今度は逆に移植しようということで、私が両方の会社をみるようになったんです」。
桑原がみていた「ワタミダイレクトフランチャイズシステムズ」と「ワタミフードサービス」が一つになり、既存ブランド「和民」が再び、勢いを取り戻していく。
その後、桑原はグループの統括会社であるワタミ株式会社の代表取締役社長に就任する。これが2009年6月のことである。
一方、「わたみん家」は、独立支援のパッケージとしても機能している。「独立には、資金と人と業態という3つのことが大事になります。私たちは資金も人も援助しません。ただし、業態はお譲りしていこうと。とはいえ、『和民』では少し大きすぎる。その点、『わたみん家』は、コンパクトですから資金も人も少なくて済む。そういう意味ではより独立しやすい道をつくれたと思っています」。
すでに独立組は100名を超え、現在、グループの120店舗が、それら独立オーナーによって運営されている。そういう意味ではこちらでも起爆剤の役割を十二分に果たしているといえるだろう。


ワタミ株式会社 兼 ワタミフードサービス株式会社 代表取締役社長 桑原豊氏


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株式会社サッポロライオン 代表取締役社長 刀根義明氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サッポロライオン 代表取締役社長 刀根義明氏登場。



刀根社長
本文より~


多感な少年時代に、やればできることを体験する。


1960年代の渋谷はどのような街だったのだろうか。戦後急速に再生する都市部のなかにあって、渋谷もまた急激に姿を変えていったことは間違いない。刀根がこの街に生まれたのは1953年5月28日。父は食品業界の会社に勤務するサラリーマン。4歳離れた弟とともに刀根はこの街で成長する。
当時の遊びといえば野球と相場が決まっていた。刀根も文字通りの野球小僧。いまではバットを振るスペースもないが、当時はまだ少年たちがボールを追いかけるだけの広場があちらこちらにまだ残っていたのかもしれない。
野球に没頭する一方、小学校から学習院に通う秀才だった。本人は単に「エレベータに乗せられただけ」というが、なかなか合格できないのは明らかだ。
小学生時代は昼休みや放課後の時間を野球やドッジボールなどで費やすスポーツ小僧であった刀根だが、中学生になるとテニスに転じた。野球が好きなのは変わりなかったが、「団体戦ではなく個人戦もやってみたい」との思いから中学の部活ではテニスを選んだ。みためは爽やかでかっこいいイメージのテニスは、いざやってみるとハードなスポーツ。練習もきびしかった。それでも13歳の刀根は、日が暮れるまでひたすらコートを駆け回った。
一方、勉強もやればできるのだが、こちらはそれほど熱心になれなかった。そんな刀根に転機が訪れたのは中学2年の時。いままでとはタイプの違う先生と出会ったからだ。
「英語の先生だったんですが、教え方が巧かったんでしょうか。だんだん勉強がたのしくなってきたんです。すると友達のタイプもかわって。けっしてガリ勉じゃなかったけど、地理とか歴史も好きになって」。成績がグングンあがる。英語塾にも通いはじめた。この多感な時期に「やればできる」ことを体験したのは、大きい。コートを駆けつつ、机にもちゃんと向かいはじめたことも含めて。


株式会社サッポロライオン 代表取締役社長 刀根義明氏


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2012年9月10日月曜日

実家の京都丹波産の丹波黒大豆。


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父親の同級生の大南さんの家で作っておられる丹波黒大豆の“紫ずきん”をわざわざ送って頂いた。


昨日収穫された獲れたて。


超美味い、まい~う!!


この地元の京都・丹波産の農産物をキイストンが仲介し、より良いモノを安価で飲食店に普及させたい。



2012年9月8日土曜日

本日の夕刊フジにインターナショナル青和の竹内秀夫社長登場。

本日7日発行の夕刊フジに表参道バンブー、小笠原伯爵邸など運営されているインターナショナル青和の竹内秀夫社長が登場!
小笠原伯爵邸に続き、今度は大磯駅前洋館で地域密着で地域の活性図られるようだ。


竹内社長
夕刊フジ


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2012年9月4日火曜日

SERVERS株式会社 代表取締役 中田琢也氏登場。

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中田社長


本文より~


学生、店長。プールバーの経営に熱を上げる。


静岡県磐田市は、静岡県の西部の都市で、かつては遠江国(とおとうみのくに)と呼ばれていたそうだ。いまではJリーグのジュビロ磐田の本拠地として知られている。中田が磐田市に生まれたのは1965年。日本が高度経済成長に足をかけた頃だろうか。
小学生の中田は、どちらかと言えば平凡で大人しいタイプだった。「リーダーシップというのに興味がなかった」と本人も言っている。エンターティナー、もしくはアミューズメントの分野を切り開いてきた、いまの中田からはいささか想像しにくい話である。そんな風に思いながら、人生の分岐点は?という質問を投げかけてみた。すると話は、大学時代まで一足飛びに進んだ。
「学生時代にゲーム機メーカーのタイトーさんが経営するプールバーでアルバイトを始めたんです。アルバイトなんですが店長を任され、のめり込んでいくんですね。年配の人たちにビリヤードを教えて贔屓にしていただいたりして。業績がアップすると評価され、ますます楽しくなっていきました。いま思えば、これが私の、アミューズメント人生の始まりなんです」。


SERVERS株式会社 代表取締役 中田琢也氏


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株式会社グロブリッジ 代表取締役社長 大塚 誠氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社グロブリッジ 代表取締役社長 大塚 誠氏登場。



大塚
本文より~


テニスの王子になった中学時代。


小学校時代から人気者だという大塚だが、中学になると拍車がかかった。「ヤンキーばかりの中学だったんです。ハンパなく荒れていて、誰かが、どこかで毎日、補導されているような中学でした。私も、ケンカは強いほうでしたが、そういうケンカ早い奴らといても目立たないなと考えて、奴らがいるサッカーと野球部を避け、おっとりした男子ばかりのテニス部に入るんです。いまから言えば、アホみたいな話ですが、そういう戦略を真剣に考えて、実践するあたりが子どもなんですよね。でも、戦略はズバリ的中。テニス部にはライバルは居ませんでした」。テニスの王子は、コートで何を追いかけたのだろうか。


サッカー部、半年でリタイア。バイトに明け暮れ、亜細亜大学進学。


中学ぐらいから、勉強はしなくなった。高校時代も、からきし勉強しなかった。「半年間、サッカー部にいたんですが、辞めてバイト三昧です。運送業のアシスタントもしましたし…、そうですね、いちばん楽しかったのはガソリンスタンドのアルバイトでした」。
バイト漬けの高校生活を経て進学したのは、亜細亜大学。
「英語と国語だけだったし、マークシートだったから、『もしや』ってこともあると思って」とこちらを笑わせる。ヤマ勘がズバリ的中したのだろうか。見事、一発で合格。むろん、大学時代も視線の先には女の子。大塚いわくは、ナンパ三昧、だったそうだ。
ナンパのコツをこっそり教えてもらおうと小声で尋ねると、「ファイティング」という戦略家らしからぬ、答えが返ってきた。「ファイティング」という言葉にも深い意味があるのだろうか。勝率は、8割以上だったとのことである。・・・。


株式会社グロブリッジ 代表取締役社長 大塚 誠氏


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