in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社サッポロライオン 代表取締役社長 刀根義明氏登場。
多感な少年時代に、やればできることを体験する。
1960年代の渋谷はどのような街だったのだろうか。戦後急速に再生する都市部のなかにあって、渋谷もまた急激に姿を変えていったことは間違いない。刀根がこの街に生まれたのは1953年5月28日。父は食品業界の会社に勤務するサラリーマン。4歳離れた弟とともに刀根はこの街で成長する。
当時の遊びといえば野球と相場が決まっていた。刀根も文字通りの野球小僧。いまではバットを振るスペースもないが、当時はまだ少年たちがボールを追いかけるだけの広場があちらこちらにまだ残っていたのかもしれない。
野球に没頭する一方、小学校から学習院に通う秀才だった。本人は単に「エレベータに乗せられただけ」というが、なかなか合格できないのは明らかだ。
小学生時代は昼休みや放課後の時間を野球やドッジボールなどで費やすスポーツ小僧であった刀根だが、中学生になるとテニスに転じた。野球が好きなのは変わりなかったが、「団体戦ではなく個人戦もやってみたい」との思いから中学の部活ではテニスを選んだ。みためは爽やかでかっこいいイメージのテニスは、いざやってみるとハードなスポーツ。練習もきびしかった。それでも13歳の刀根は、日が暮れるまでひたすらコートを駆け回った。
一方、勉強もやればできるのだが、こちらはそれほど熱心になれなかった。そんな刀根に転機が訪れたのは中学2年の時。いままでとはタイプの違う先生と出会ったからだ。
「英語の先生だったんですが、教え方が巧かったんでしょうか。だんだん勉強がたのしくなってきたんです。すると友達のタイプもかわって。けっしてガリ勉じゃなかったけど、地理とか歴史も好きになって」。成績がグングンあがる。英語塾にも通いはじめた。この多感な時期に「やればできる」ことを体験したのは、大きい。コートを駆けつつ、机にもちゃんと向かいはじめたことも含めて。
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