2012年10月31日水曜日

千葉商科大学サービス創造学部・池田ゼミにて。

昨日30日、千葉商科大学のサービス創造学部・池田ゼミにて、飲食企業ホイッスル三好“中国ラーメン 揚州商人”の三好一太朗専務(25歳)が講義された。


初めてということだったが、三好専務と学生の年齢も近いこともあり、講義内容&学生の熱心さに、なんと30分以上オーバーするほど質問があったんでビックリしました。



看板案内
案内を見る三好専務
(千葉商科大学本館にて)

講義風景1
講義風景2

講義風景3
講義風景4


(講壇に立つ、三好一太朗専務)

三好専務のペース
乗ってきた三好専務


三好専務の講義は、いろいろと用意もされており、内容も濃くすばらしかった。本当にご苦労様でした。


また千葉商科大学サービス創造学部の池田武俊教授のご好意に感謝申し上げます。


キイストンとしては、より多くの飲食経営者と学生をつなぐ架け橋になり、少しでも学生が飲食業界の面白さと経営者の人格・人柄を知り、将来は独立したいという夢を持ってほしいです。



2012年10月30日火曜日

Musubu Dining(ムスブダイニング)株式会社 代表取締役社長 岡本勇一氏

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に Musubu Dining(ムスブダイニング)株式会社 代表取締役社長 岡本勇一氏登場。



岡本社長
本文より~


退職。そして、ふたたび。


もう戦う姿を見せられない。岡本が、退職を決意したのは、2010年12月のことである。「障害を持っていた娘が亡くなったんです。それまで私の原動力だったものがなくなってしまいました」。自ら作り上げた戦う集団のなかにあって、戦う意味を失くしてしまった岡本は、潔く身を引くことを決意するのである。翌年4月、何度も引き留められたが、ついに同社を辞した。 
しかし、この決断は、違う戦いの始まりだった気もする。何かが、岡本の背中を押し続けた。「未来の子供たちが安心して暮らせる社会にすること。弱い人が平等に暮らせるような社会にすること。未来の子供たちに自信を持って残せるブランドをつくりたいと思った」と岡本は語る。それを気づかせてくれたのは、いうまでもなく一人の尊い命だった。
「人類のなかで飢餓に苦しんでいる人は、現在9億6300万人にのぼると言われています。もちろん紛争や政治などさまざまな問題があるのは分かっていますが、先進国では食べ物が余っているのに、途上国では食べるものがないという現実もあるわけです。これは、先進国が肉中心の食生活を送っているからなんです。たとえば牛肉100gを作るのに、どれだけの穀物がいると思いますか?」。
答えられないインタビュワーに、岡本は笑いかける。「1kgです。単純な計算ですが、先進国が仮に10%牛肉の消費を抑えれば、10倍の穀物が途上国の人々の口に入ることになるんです」。示唆に富んだ話だった。「食」の観点から人類が抱える一つの問題点が浮き彫りにされた気がする。しかし、単純にそれを訴えても、そう簡単に先進国は手に入れた権利を放棄しないだろう。誤解を恐れずにいえば、資本主義は、弱肉強食のうえに成り立っているといえるからだ。もっといえば、人の欲望はそう簡単にリセットされることはないからだ。
しかし、岡本は、一つの解決策まで示してくれた。それが、100%大豆から作る「MANA BUGER」だ。「食べてみてこれを大豆だと思う人はまずいません」と岡本。もともと自然を愛しHawaiiに移住して暮らしていた料理研究家が開発した加工方法だそうだ。「ヘルシー志向でしょ。そういう意味でも大豆100%の無添加バーガーであるこのMANA BUGERは、それと気づかずに、ヘルシーで美味しい料理を口にすることができるんです」とも。MANA BUGERの流通は地球規模の課題を解決する糸口にもなると、いう。とはいえ、一足飛びにはいかない。・・・・。


Musubu Dining(ムスブダイニング)株式会社 代表取締役社長 岡本勇一氏


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株式会社寶田堂 代表取締役社長 関 喬史氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社寶田堂 代表取締役社長 関 喬史氏登場。



寶田堂 関社長
本文より~


挫折と胎動。


3年間1度も大会に出たことがなかった。最後の最後にチャンスが回ってきた。最後の夏大会。監督は奇策にでる。「うちのエースは県下でも有名だったんです。あれは、第一試合の時です。前日に監督に呼ばれ、『相手校がうちのエースを研究しているから、温存して抑えに回す』といわれました。先発は、2年の本格派右腕。中継ぎに私が使命されました」。関はこのチームでキャプテンを務めている。キャプテンなのに試合に出ない。いくつもの葛藤を繰り返し、最後の夏を迎えている。「試合が始まりました。先発が好投し1対3で勝っていたんですが、3回になって1アウト2塁の場面を迎えました」。監督が関のほうに近寄る。心臓が早くなった。「もともと4回から、と言われていたんです。それで監督が『関、いくぞ』、と言った時、『4回からじゃないんですか』と言ってしまったんです」。関は、けっして臆病ではない。だが、この時、「ハイ」という言葉が出てこなかった。監督は「おまえはもういい」と冷酷な言葉を投げ捨てた。「結局、エースが継投するんですが、試合にも負けてしまって。その夜は、どこをどう走ったかわかりません。ただ、捜索願がでるほど、消沈して家にも帰ることができなかったんです」。2文字の言葉が言えなかったばかりに、関の心は暗転する。たのしかったはずの野球まで、冷酷なスポーツのように思えたのではないか。この出来事は、関が乗り越えるべきカベの存在を示したことになる。少年は、心のキズとどう折り合いをつけ、乗り越えていくのだろうか。挫折と同時に、新たな関が胎動する。・・・・・。


株式会社寶田堂 代表取締役社長 関 喬史氏


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2012年10月27日土曜日

KUURAKU GROUP(くふ樂)の福原社長からサプライズを・・・。

ちょうど今月の月刊食堂11月号に“海外進出レポート”の記事が掲載されていた。



月刊食堂11月号
月刊食堂記事
(月刊食堂11月号より)
そこにカナダで現在3店舗出展しておられるKUURAKU GROUP(福原社長)が12月トロントにOPENされるということで、たまたまトロントから帰国されたカナダスタイルの山下さんらをセッティング。


すごく盛り上がりましたので、きっと何か生まれる予感がしています。



くふ樂福原社長&カナダスタイルス山下さん
カナダスタイルス山下さん著書
(くふ樂銀座店にて なぜか私が中央に?) (山下さんの著書)
今回は、双方をご紹介させてもらい、そこから何か良いご縁をという場だったにも関わらず、


最後にキイストン20周年の粋な計らいをしていただいた。まさにサプライズ。


感謝・感激です。



くふ樂様の粋な計らい


(ビックリ!!)
飲食業界において、キイストンは無くてはならない存在になり、よりお役に立ちたい。



本日26日発売の夕刊フジに、赤坂離宮の譚彦彬(たんひこあき)総料理長登場!

本日26日発売の夕刊フジに、赤坂離宮の譚彦彬(たんひこあき)総料理長登場!周富徳氏とは大親友の同級生です。


赤坂離宮 譚総料理長
夕刊フジトップ面


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2012年10月25日木曜日

さあ、いよいよ電子書籍時代到来か・・・。

ついに Amazon.com が日本の電子書籍市場へ参入し、「Kindle Fire HD」「Kindle Paperwhite」販売開始し、アップルが電子書籍アプリ「iBooks」の新版、日本語機能強化で楽天・アマゾン追走してきました。


いよいよ電子書籍時代到来!!


また、それにタイミングよく合わせるかのように11月上旬、「飲食の戦士たち」から抜粋した“飲食経営者7人のサムライ”が電子書籍でリリース配信されます。


その7人のサムライはこの経営者です。


1.株式会社イートウォーク 代表取締役 渡邉明様
2. 株式会社鳥貴族 代表取締役 大倉忠司様
3. 株式会社物語コーポレーション 代表取締役会長・CEO 小林 佳雄様
4.株式会社ダイヤモンドダイニング 代表取締役社長 松村厚久様
5.株式会社きちり 代表取締役社長 平川昌紀様
6.株式会社大戸屋ホールディングス  代表取締役会長  三森 久実様
7.株式会社ジェイグループホールディングス 代表取締役 新田治郎様


飲食経営者の生き様を伝える「飲食の戦士たち」の電子書籍は、今後第2弾、第3弾とシリーズ化していく予定です。


併せて10月26日、あの“料理の鉄人”が“アンアン・シェフ”として13年ぶりに復活します。


これから益々、飲食業界から目が離せなくなる!!


超楽しみです。


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2012年10月23日火曜日

“丸亀製麺”の株式会社トリドール 代表取締役社長 粟田貴也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“丸亀製麺”の株式会社トリドール 代表取締役社長 粟田貴也氏登場。



粟田貴也社長
本文より~


20代の決断。


母の勧めもあり、秋採用で父や兄と同じ警官をめざした。無事採用されたが、結局、1年浪人して大学進学の道を選んだ。神戸外語大学の夜間。いろんな人間がいた。アルバイトにももちろん精をだした。その時、出会ったのがあるケーキ屋の店主。
店主になるのも、悪くないと思った。「起業」。まだ不確かだが、起業の二文字が頭に浮かんだのはこの頃。ケーキ職人をめざしもしたが、人と接する楽しみも知った。起業が明確な目標となる。
大学を2年で中退し、起業に向け次の一歩を踏み出した。20代の決断である。といっても、開業資金はない。あるのは、志のみ。まず資金を手当てしなければ話にならなかった。 
当時、まったくの未経験者にできる資金獲得の道は、そう多くない。新聞に掲載されていた広告を頼りにある運送会社に就職する。
早くゴールに到達するための回り道だった。しかし、生半可な気持ちでは務まらないとも思っていた。「私は弱い人間だから」と、自らを追い詰めるように入寮を決意。
ハードワークの代わりに手取りで45万円を超える給与が貰えた。仕事に疲れ、月1度か2度かの休日は爆睡。もちろん遊ぶ暇もない。唯一の贅沢が「赤提灯」だった。この「赤提灯」が、もう一つの選択肢となった。ケーキ屋もいいが、これもまたいい。方向転換。「ケーキはひとつ数百円でしょ。赤提灯なら1度行けばだいたい2000円ぐらいは使います。そろばんを弾いても、こちらがいいと思ったんです」。・・・・。


株式会社トリドール 代表取締役社長 粟田貴也氏


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株式会社I-GROUP 代表取締役社長 石川一也氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社I-GROUP 代表取締役社長 石川一也氏登場。



石川一也社長
本文より~


監獄レストラン「アルカトラズ」にて。


ビーカー、試験管、水鉄砲…。多少のことでは動揺しない石川も、戸惑ったに違いない。監獄レストラン「アルカトラズ」がオープンする3時間まえの話である。「バーテンダーをやってくれないかと言われ、給料もハンパなく良かったんで引き受けたんです。でも、オープン直前になっても、調理場の片隅にバーらしきものがあるだけで。しかも、後3時間後にオープンする段階になってもレシピ一つ決まっていなかったんです。代わりに、出てきたのが、ビーカーや試験管や、水鉄砲だったんです(笑)」。少し、注釈がいる。監獄レストラン「アルカトラズ」は、文字通り監獄をイメージしたコンセプトレストランである。ディティールにこだわり、グラスの代わりにビーカーなどが用意されていたのである。あまりに奇抜なレストランだったからだろうか。2週間は、客入りもそれほどよくなかったそうだ。ところが、TVのニュースに登場しとたん、電話が鳴りっぱなしになる。「半分は予約などの問い合わせで、半分は、なんという店をつくるんだというクレームでした(笑)」と石川。ただ、その日を境に、連日、盛況。6時のオープンから深夜1時まで。行列はなくならず、石川たちスタッフは息もつく暇がなかったそうだ。忙しかったが、石川が飲食に心底、魅せられたのは、この時ではないだろうか。


株式会社I-GROUP 代表取締役社長 石川一也氏


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1992年10月22日設立し、本日で20周年迎えました!!

1992年10月22日に武田と2人だけで赤坂にあった制作会社の屋根裏を間借りし、‎キイストンを設立し、本日で丸20年経ちました。


バブル崩壊と同時期くらいだったんで、苦労しました。


それから20年、本当に早いものです。


設立から、今日までいろいろなことがあり本当に感慨深いものがあります。


こうして会社運営できているものもお客様、業者の皆様、そしてキイストンで働いてくれたなど皆様のおかげです。


ありがたや、ありがたやです。


「お客様のために」の最大の価値はこうやって会社を継続することが最低条件だと考えています。


“より多くの人・企業に夢・希望を与える”理念の基、常に他社ではやらない、独自のおもしろい展開していきます。


次の10年、30周年に向けて社員一同頑張りますので、今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。


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戦略型総合人材採用サービス会社
キイストン



2012年10月20日土曜日

本日、カナダ・トロントより『TORJA』持参でご来社頂きました。

本日、カナダ・トロントでCanada Styles Ltd.を経営しておられる山下さんに来社頂きトロントで発行中の『TORJA』を持参頂きました。


なんと9月号はシャルパンテの藤森真社長、10月号はジェイグループホールディングスの新田治郎社長。


実は“飲食の戦士たち”はワールドワイドなんです。



TORJA 新田社長
TORJA 10月号
(TORJA10月号:ジェイグループホールディングスの新田治郎社長)


TORJA 藤森社長
TORJA 9月号
(TORJA9月号:シャルパンテの藤森真社長)


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本日19日の夕刊フジに“串カツ田中”株式会社ノートの貫啓二社長が登場。

本日19日の夕刊フジに、あの“串カツ田中(株式会社ノート)”の貫啓二社長が取り上げられました。

ノート 貫夕刊フジ ノート

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2012年10月19日金曜日

10月17日、名古屋学院大学・経済学部主催「就職対策特別講座」にて。

名古屋学院大学・経済学部主催「就職対策特別講座」にて講演しました。


母校の大学でやる講演なんで、やはり気持ちがまったく違う。


今回の講演がキッカケで、一人でも多くの人材が数年後活躍してくれれば・・・。


名古屋学院大学講演

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名古屋学院大学 ポスター
(経済学部主催「就職対策特別講座」)



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細見講演風景
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(細見講演風景)(リブセンス村上社長講演風景)



村上社長講演風景
名古屋学院大学集合写真

(講演風景)(左より十名キャリアセンター長,伊沢経済学部長,細見,村上社長,木船学長)


今回の講演開催においては、名古屋学院大学経済学部の河原林先生、リブセンスの村上社長はじめ関係者の皆様に感謝しています。


2012年10月18日木曜日

三和実業株式会社 代表取締役社長 荻原 奨氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に三和実業株式会社 代表取締役社長 荻原 奨氏登場。



荻原 奨
本文より~


開業医の家に生まれて


『カフェ英国屋』などの人気喫茶チェーンを展開する関西の老舗、三和実業株式会社。現在その舵取りにあたっているのが二代目の荻原奨社長だ。しかし、若き日の荻原は今のような未来などつゆほども予想していなかった。
神戸市内で整形外科病院を開業する父のもと、荻原はその男3人兄弟の次男として生を受けた。とくべつ厳格な家庭というわけではなく、兄弟はのびのびと育つ。そしていつからか、家族にはある共通の認識ができあがっていた。まずは長男が医師となり、機械好きの三男が医療設備関連を、そして次男の荻原が残る事務関連をそれぞれ受け持ち、兄弟で力を合わせて父が築いた病院を受け継ぎ守っていく。そんな将来の展望であった。
やがて大学へ進む時期になり、荻原は東京に出ようと目論んだ。「生れも育ちも神戸で、当時は大学を卒業するとやはり神戸の実家の病院で働くというイメージがあったんやね。だから大学くらいは神戸を離れて、楽しくやろうと思ってた」。東京は母の故郷であり、池袋に住む祖父母のもとを何度も訪れていた。にぎやかで華があると映ったのだ。
しかし東京の希望大学には合格しなかった。その後は一年間、祖父母の家に住み込み浪人生活を送ったが、二年目も惨敗。家族・親族の勧めで併願し合格していた関西学院大学へと進んだ。「結局憧れの東京は、浪人の灰色生活の1年だけ。さすがに二浪はお許しが出なくて、結局神戸に戻ってきたわけですわ」。愛嬌たっぷりの笑顔でそう話す荻原は、関西人らしさが溢れている。・・・。


三和実業株式会社 代表取締役社長 荻原 奨氏


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有限会社ラーナー 代表取締役社長 橋本羅名(ハシモト ラナ)氏登場。

葛飾区堀切の『和牛炭火焼肉 牛将』、『もつ焼き とん将』を経営されている橋本羅名(ハシモト ラナ)氏はなんとバングラデシュ人民共和国出身の経営者。


in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に有限会社ラーナー 代表取締役社長 橋本羅名(ハシモト ラナ)氏登場。



橋本羅名(ハシモト ラナ)氏
本文より~


来日して24年、なお途切れない情熱


軍事政権下、軍内部の権力闘争が繰り返される一方で民主化運動も勢いを増していた80年代のバングラディッシュ。内戦や幾度もの洪水災害から、国民の生活は混乱・疲弊の一途を辿っていた。 
そんな祖国の閉塞感から脱して活路を見出すべく、ある男が羽田空港に降り立った。男は11人兄弟の第三子であり、長男であった。内戦による食糧不足で、兄弟の2人が命を落とすという苦い経験があり、なんとしても母を楽にさせてあげたい。兄弟の養育費用をまかなってやりたい。その一念に突き動かされ、言葉もわからぬままやってきた。1988年のことであった。
あれから24年。男はどんなに厳しい逆風の中にあっても祖国に残した家族への仕送りを怠らなかった。また、和食に対して独自の世界観を持ち、様々な食材やテイストを偏見なく取り入れる日本の豊かな食文化に魅了され、ゼロからビジネスの仕組みを学び、多くの協力のもとに開いた焼肉店を繁盛させるというサクセスストーリーを描いてきた。
現在、男はオーナーシェフとして一線に立つ傍ら、バングラディッシュでの魚の養殖事業や同国製輸出用アパレルを検品する企業も設立。また、貧しさからくる教育の不平等や識字率の低さを憂い、学校建設や給食制度の普及、さらには両国の留学生の支援活動にも情熱的に取り組んでいる。「日本が大好きです。ここに骨を埋めたいです。そしてバングラディッシュは祖国であり、兄弟が暮らしています。私は大切なこの二つの架け橋になりたいです」。今回は、流暢な日本語で熱く語る橋本羅名社長の軌跡を追う。・・・・。


有限会社ラーナー 代表取締役社長 橋本羅名(ハシモト ラナ)氏


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2012年10月13日土曜日

本日12日の夕刊フジに株式会社山銀の山田孝之会長が登場。

夕刊フジに株式会社山銀の山田孝之会長が登場。


山銀 山田会長
夕刊フジ


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2012年10月9日火曜日

キーコーヒー株式会社 代表取締役社長 柴田 裕氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にキーコーヒー株式会社 代表取締役社長 柴田 裕氏登場。



柴田裕
本文より~


創業した祖父


明治中期から、日本でもコーヒーを提供する店舗が増えはじめ、後期には東京・銀座に「プランタン」をはじめとした喫茶店が開店していた。中でもコーヒーの大衆化に最も貢献したのが「カフェ・パウリスタ」である。ブラジルコーヒーの販路拡大とPRのために開かれた喫茶店であった。
明治41年を境に日本からブラジルへ渡った移民の多くがコーヒー農園で働き、その報償としてブラジル政府から無償のコーヒー豆が提供された。その豆を用いたコーヒーを低価格で提供した「パウリスタ」は、最盛期で20数店舗。従業員も1000名を越えるほど繁盛することになる。
その「パウリスタ」で働いていた一人が、柴田の祖父にあたる柴田文次だった。コーヒーに計り知れない事業の可能性を見出した文次は、1920年(大正9年)、19歳で横浜市中区にキーコーヒー社の前身となる「コーヒー商 木村商店」を開業(その後、1928年(昭和3年)に木村コーヒー店に改称)。コーヒーの製造と販売、世界のコーヒーやコーヒー器具の紹介、さらにはコーヒーシロップなど関連商品の開発やコーヒー農園事業にまでをも手がけたのである。横浜で生まれ育ったゆえのハイカラさと、底知れぬ情熱やバイタリティを持つ創業者だった。・・・・。


キーコーヒー株式会社 代表取締役社長 柴田 裕氏


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