『プロフェッショナルたちの仕事(じんせい)論~from 飲食の戦士たち~』(ゴマブックス)の第3弾、第4弾も決定。
さあ、“飲食の戦士たち”から外食を引っ張る7人の経営者(サムライ)をまたまた選ばせて頂こう。
12月は外食企業の稼ぎ時になるため、その間じっくり戦略考えたり、商品ラインナップ揃えたりやること盛りだくさん。
11月末現在で、“飲食の戦士たち”は335社の飲食経営者の皆様にご登場いただき、なんと各社の店舗合わせると総数は2万2,007店舗(平均65店舗)です。
その中から、またまた7人経営者を抜粋させていただき、キイストン監修の電子書籍『プロフェッショナルたちの仕事(じんせい)論~from 飲食の戦士たち~』(ゴマブックス)の第2弾が12月下旬にリリース配信(出版)することが決定しました。
第2弾の外食を引っ張る7人のサムライです。
1.PrunZ(プランズ) 深見社長様
2.オーグードゥジュールグループ 岡部社長様
3.ヨツヤエンタープライズ 四家社長様
4.俺カンパニー 山本社長様
5.シャルパンテ 藤森社長様
6.ノート 貫社長様
7.バイタリティ 岩田社長様
業界でいくら認知されていても一般ではまだまだ。
それをキイストンが間に入り、もっと企業名&経営者をメジャーにしていければと考えています。
昨日27日、千葉商科大学のサービス創造学部・池田ゼミにて、ワイン居酒屋シャルパンテ“VINOSTY”の藤森真社長が講義された。
講演は馴れておられるが、これからもっともっと学生の前で数をこなしてもらい、業界のイメージを変えてもらいたい。
このような機会を頂いた池田先生ならびにゼミ生の皆さんに対し心より感謝します。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に広東名菜 赤坂璃宮(株式会社タン企画) 代表取締役 譚彦彬(たん ひこあき)氏登場。
名シェフ同士による料理対決番組が、お茶の間を沸かしたことを覚えている人は多いだろう。中でも中華のシェフ周富徳氏は、人気を博していた。当時、周氏が総料理長を務めていた東京・赤坂の『璃宮』も、その追い風を受けて多くの客で賑わっていたことは記憶に新しい。
しかしテレビの仕事が忙しくなるにつれて、同店では総料理長が不在のまま開店するという異常状態が日常化するようになった。異常事態はそのまま客足の減少へとつながり、すぐさま非常事態へとなっていった。
そんな同店の救世主として白羽の矢が立ったのが、今回スポットを当てる譚彦彬社長である。譚は、周氏とは竹馬の友といった間柄にあり、若い頃から互いに料理修行で切磋琢磨しあった。また、当時はホテルエドモント『廣州』の料理長を務めていた譚の料理における腕前と評価も、すでに相当高かった。まさに譚しかいないという状況だったのだ。
「当時の璃宮のオーナーに頼まれて、テレビを控えて店に入るよう周さんを説得しに行ったり、周さんのいない厨房を手伝ったり。そんなことがあって、璃宮との関わりが増えていったね」と笑う。それでも周氏は璃宮に戻ることはなく、ついにはオーナーも離れた。そんな名店の後を託され、オーナーシェフとして『赤坂璃宮』をスタートさせたのが譚である。
父は16才で中国・広東省から日本へ渡り、横浜に辿りついた。また、母も同省の出身である。父と20才年が離れた母は、後に日本へやってきた。そして父40才、母20才の時に、譚が生まれた。
父は横須賀で小さなラーメン屋を営む、おとなしい男だった。その代わりに母が厳しかった。「母親には、とにかく怒られていたね。勉強が嫌いでまったくしなかったからね」とニコリ。それには、2才上の兄が非常に優秀だったということもある。「同じものを食べて、同じ生活をして、同じ小遣いをもらって、なんでこうも違うのかねと言いながら母親が呆れていたね。子供心に、間にもう一人兄弟がいたらよかったのにって思ったよ」と、さらに笑いを誘う。
余談になるが、譚の兄は勤勉な人物で、大学卒業後は橋梁の設計・架設工事を行う土木建設業界の大手に就職。その道を全うし、功績を残したという。戦後の高度経済成長期とはいえ、在日中国人といえば中華料理店くらいしか働き口がない。そんな閉鎖的だった時代で、かなり異例の存在なのである。
一方の譚はといえば、幼い頃から元気のかたまりだった。横浜・中華街の華僑コミュニティの中でも、ひときわ腕白で威勢がいい。母の目を盗んでは家を飛び出し、仲間を引き連れて通りを練り歩いていたのだった。・・・・。
広東名菜 赤坂璃宮(株式会社タン企画) 代表取締役 譚彦彬(たん ひこあき)氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社バイタリティ 代表取締役 岩田 浩氏登場。
岩田が生まれたのは、1971年の浅草。父親は建築設計事務所を営む設計士で、母親は編み物の先生をされていたそうだ。2つ離れた兄が1人いる。
岩田からみれば教育熱心な両親だった。英語、水泳、絵画と習い事にも行かされた。どれもピンとこなかったが野球は熱心に取り組んだ。リトルリーグに入り、軟式ではなく小学生のうちから硬球を追いかけた。入部早々頭角を現し、4番でピッチャーを務めるようになる。キャプテンではなかったが、チームをひっぱった。中学になっても野球はつづけ、2度、全国大会に出場している。
野球も巧かったが、それ以外のスポーツもできた。中学1年生、陸上部の大会に駆り出され、走り幅跳びでいきなり5メートルを超える大ジャンプを披露。関東で8位の成績を残している。これが冒頭の話。
バネが違うのだろうか。これが「天与の才」という奴なのか。
抜群の運動神経のおかげで、スポーツではトップクラスの成績を残したが、中学2年あたりから学業のほうは急下降。本人曰く、「遊んでばかりいて、勉強はまったくしなかったから」だそうである。
「グレ始めたのは、中学2年生ぐらいからです。いま思えば、親に対する反抗心というのもあったんでしょう。悪い連中とも遊ぶようになって。結局、高校も行かなかったんです。何も考えていなかったんでしょうね。いくつかの高校から推薦で誘ってもらっていたんですが、もったいないことをしました」といって岩田は笑うが、何も考えていないわけではなかった。むしろ、高校生活を考えた時に、進学する理由を見いだせなかったというほうがただしい。「推薦」の2文字のなかにも、大人の利害が見え隠れした。純粋な中学生が反発するのも、頷けなくはない。
だが、いくら反抗しようと、反発しようと高校進学をあっさり諦めてしまうことなど、なかなかできるものではない。とはいえ「捨てる勇気」を持つことは、人生において大事なこと。「岩田の中卒、人生」。思えば、あっぱれな選択だ。・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
ここに来て、求人市場は大変競争が激しくなってきました。
なかなかいい人材が採れないなか、飲食業界はもっと厳しいです。
業務の基盤固めをコツコツとやってきましたので、次は人材の基盤固め。
ポテンシャルの高い人財、なにかやってくれそうな勢いある人財を入れたいと思います。
また、資質の高い大学生も物色中。 学生による学生目線で企業に提案させるチーム『新戦組』の発足も考えています。
私の持論ですが、猫は猫、虎は虎。いくら虎模様で、性格が激しい生まれたての猫でも、猫が虎には絶対なれません。
なので、猫を求めるなら虎ではダメ。 虎を求めるなら猫ではダメ。
だからこそ、人財力を強化します!
常時、求ム! 理念に共感できる人財!!
↓ より理解して頂くために下記の電子書籍(iphone&ipad)をご覧ください。
タイトル:『絶対成功できる!プロフェッショナルたちの仕事(じんせい)論 from 飲食の戦士たち』
の電子書籍版、好評発売中。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
『絶対成功できる!プロフェッショナルの仕事論 from 飲食の戦士たち』、大好評につき、なんと第2弾正式決定!!
予定は12月中旬リリース予定。
これから益々飲食業界は熱くなります!!
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
11月16日(金)にAppStoreにて、iPhone/iPad 電子書籍『絶対成功できる!プロフェッショナルたちの仕事論 from 飲食の戦士たち』(ゴマブックス)を配信開始しました。
大人気Webコンテンツ『飲食の戦士たち』から、飲食業界をリードする7人の経営者のエピソードを電子書籍化。
企業社長たちの生い立ちから生き様、独立までの軌跡などを大公開してます。電子版のみの追加項目も特別収録!
リリース記念といたしまして、先着5000名様限定価格85円でご提供いたします。
◆iTunesストアリンク http://bit.ly/ZODwkn
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
12日と13日の2日間開催の『ワークプレスメント2012』。
最終日の13日は、限定2ブースの“フードサービスパビリオン”に3社。
少しでも新卒採用のノウハウや現状を知って頂いたと思います。
実はこの2日間、ほぼ終日いましたが、過去にもこんな長い時間いたのは初めてです。
今回、ご支援頂いたイベント主催者のナジック・アイ・サポートの皆様に心より感謝申し上げます。
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ルーツ 代表取締役社長 大浜泰広氏登場。
父はテノールのボーカリスト、母はサプリメントの販売員。今回、ご登場いただく株式会社ルーツ、大浜泰広社長の少年時代の話。
「父はTVにも出たことがある歌手だったそうです。私が小学校の頃には、乃木坂で弾き語りを仕事にしていました。夜が仕事でしょ。だから、遊んでもらった記憶はまったくないんです。話も滅多にしてもらえなかった。話相手はもっぱら母。父からキャッチボールに誘われた時のこと、私は内心で(そんなやりたくも無いのに無理に僕の相手しなくて良いのに・・・母に背中押されたのかな?)って思っていましたね。恐縮していたというんですかね。もっとも、念願の男の子だったんで、愛情は注いでもらいました」。
父との間に微妙な距離を感じながら、末っ子で長男、そんな大浜の少年時代が過ぎていく。
中学生の頃、「大学に行かせる金はない」と言われた。どのようなシチュエーションで言われたかはわからないが、その一言は少年の耳にへばりついた。
大学に進学しないのが前提なら、高校進学もまた意味がないのではないかと思った。高校に入ると早速アルバイトに繰り出した。学校に行く意味を見いだせなかったことも手伝って、学校は遅刻早退の毎日。
目黒の駅前のニュートーキョー。月10万円になった。仕事も楽しいし、年上の人と遊ぶのもおもしろかった。飲食に惹かれたのはこの頃から。進学せず、実力でのし上がるしかないなら、飲食は最適なフィールドに思えた。・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ビート・インターナショナル 代表取締役 渡邊剛志氏登場。
現在、千葉と東京で6つのイタリアレストランを展開する(株)ビート・インターナショナル。社名の『ビート』は、ハートビートが由来だ。お客様の心震わせたいという願いと併せ、自分たちの心も奮わせたいという思いが込められている。
そんな同社を率いる渡邊剛志社長だが、自身がエンジンをかけて心を奮わせはじめたのは、実はそう遠い昔のことではない。「なにごともデビューが遅かったから、今はいろいろなことが新鮮です」と笑う。
渡邊は横浜市旭区で生まれ育つ。平凡なサラリーマン家庭で、長男ゆえにのんびり育った。中学や高校でなにかに没頭し傾倒した経験はない。高校時代にはテニス部に在籍していたが、勝ち進むべく汗まみれ泥だらけになったこともなく、平々凡々と日々をすごしたという。
しかし、飲食店は社長の生き写しのようなもの。その生い立ちや生き様、信念が宿っているものである。『トラットリア ボッカ ボーナ』をはじめとする同社の店舗もまた同様であろう。控えめで淡々とクールな渡邊の、その静かなる情熱と戦士ぶりを今回は追ってみたいと思う。
高校の卒業を目前に控えても、まだエンジンはかからなかった。「進学、就職、いずれもピンときませんでした。まだ目標が定まらずに、プラプラとアルバイトをしていました」。渡邊は淡々とそう話した。
それならアルバイトを通して飲食業に目覚めたのだろうと想像するだろうが、そうでもない。トラックで配送をしたり、建築現場の外構工事でタイルを貼ったり。飲食店で働いた経験など皆無なのだ。
この時期、現在の渡邊へと繋がるものがあったとすれば、それはイタリアへ旅行しパスタを食べて、イタリアンの良さを知ったことくらいだろうか。当時は電機メーカーに勤める父がイギリスに赴任。時折、新しい実家となったイギリスへの『里帰り』がてら、欧州を回っていた。
そんな渡邊であったが、25歳で結婚。周囲から紹介された医療機器メーカーに就職した。そこでは透析関連の機器の営業とメンテナンスを行い、3年が過ぎると今度はそれらの機器のディーラーとして独立する。・・・・・・。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
本日12日・13日の2日間、ビックサイトにて『ワークプレスメント2012』のイベントがスタートしました。
今回、これから新卒採用を積極的に採りたい企業様中心に限定2ブースの“フードサービスパビリオン”を設けて頂き2社参加。明日は3社ご参加される予定です。
今回は、枠の関係でご案内してない企業様、すみませんでした。
戦略型総合人材採用サービス会社
キイストン
久しぶりに実家の山を見に行った。
やっぱり田舎はいい。
住所も京北町から京都市右京区京北になり、来年には栗尾峠にトンネルも開通し栗尾バイパスができる。
より便利になり、京都の軽井沢(避暑地)として人気が出る日も近いかも・・・。