2012年12月18日火曜日

株式会社ナポリス/株式会社遠藤商事 代表取締役 遠藤優介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ナポリス/株式会社遠藤商事 代表取締役 遠藤優介氏登場。



遠藤優介
本文より~


寺の住職に育てられた。


遠藤は、正確な生年月日を知らない。「1983年の1月25日」と答えたうえで、語呂が良かったからじゃないかな、と笑う。前後1週間以内というのが正確なところだそうだ。「お寺に拾われたのは、生後3ヵ月ぐらい。木箱に入れられ、川を流されていたところを助けられたということです」。その寺が横浜の三ツ沢にあったから、出身地は三ツ沢となっている。
住職が1人いるだけの小さな寺だった。だから育ての親はこの寺の住職である。
寺には、200数カ条に亘る家訓があったそうだ。端的に言えば、「漢」であることだという。遠藤は、漢であることを強いられた。一杯のごはんを食べるにも、小さな手と、細いうでで仕事をした。辛いとは思わない。それ以外のことを知らなかったから。
孤児院にお世話になったり里親に引き取られたこともある。その度に、遠藤という名字が変わることもあった。テーブルに座っていると、おかずといっしょに白飯がでてきた。その度に少年は目をまるくした。


仲間とライバルと。


遠藤は父も母も知らない。それどころか長い間、父や母という存在自体知らなかった。「親というものが理解できない」と遠藤はいう。これは文字通り、「親」の存在が希薄であったからだが、もう一方で、日本語そのものがあまりわからなかったからだ。山ザル。小学校では、そんなあだ名がついた。
小学校は義務教育だが、ほとんど通った記憶がない。特に1年時にはまったく顔を出さなかった。出したとしても、袈裟のような、法被のような上着と、スリッパだけ。筆箱もなければ、鉛筆すらなかった。教師も、手を差しのべなかったようだ。「いまじゃ考えられないでしょ」というが、たった20数年まえのことである。
ようやく学校に通うようになったのは、小学3年生の頃からだろうか。友人ができたからだ。永井と鵜飼という名前だった。
「山ザルと言われ、取っ組み合いのケンカになったんです。でも、だんだん友だちになって。私を救ってくれたお寺の住職はもちろんですが、彼らがいなければ私の人生はどうなっていたかわかりません。そういう意味では救いの神です」。
彼らは、友人という存在だけではなかった。良き友であり、ライバルだった。というのも、遠藤も含め、彼らはのちに有名なサッカー選手となるからだ。・・・・。


株式会社ナポリス/株式会社遠藤商事 代表取締役 遠藤優介氏


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