in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に“はなまるうどん”の株式会社はなまる 代表取締役 成瀨哲也氏登場。
ブレザーに惹かれ。
「偏差値は高くないのに倍率は高かったんです。新設校ということもあったんでしょうが、制服がブレザーだったんです。学ランじゃなく、ブレザーでしょ。私も惹かれた1人です」。制服が進路の判断材料になる。案外、そんなものかもしれない。
「私たちは1期生でしたから先輩がいないのも大きな魅力でした。私は剣道部に入るんですが、1年の時から最上級生です(笑)」。
ブレザーを着た少年たちは徒党を組んで街を歩いた。「俺たち学ランじゃないから、たぶん社会人にみえるで」。
社会人にみられるはずはないのに、堂々とタバコを口にしたこともあった。女の子にも少しモテた。楽しい時間ほど過ぎるのは早い。成瀨の3年間もあっという間だった。ちなみに剣道では、この高校時代に市で優勝を経験している。
中退と就職と…。
「推薦で近畿大学を受験したんですが、断られた(笑)。大阪に行きたかったから残念でした。代わりに通してくれたのが中京大学だったんです」。中京大学は名古屋市内にある。
成瀨は富山から1人名古屋に向かい、独り暮らしを始める。
入学後すぐにアルバイトも始めた。それが「吉野家」との出会い。1986年のことである。
吉野家の年表で調べてみると、吉野家は1980年に会社更生手続きを申請。3年後の1983年に更生計画が認可されセゾングループが資本参加し、資本金5億円で再スタートを切っている。
1987年には、早くも更生債権の100億円を完全返済するのだが、とりあえず、このような激動期に、成瀨と吉野家は出会ったことになる。
成瀨のほうも激動期といえなくもなかった。吉野家でバイト漬けの日々を送る成瀨は、ついに大学を辞め「吉野家」に就職する。大学2年のことである。翌年には、1度目の結婚もした。
「私が吉野家に入社したのは1988年です。両国にトレーニングセンターができたばかり。私だけではなく、アルバイト経験が豊富な人間も少なくないんですが、とにかく1ヵ月の間は基礎からやり直す研修です。同期は3人だったんですが、そのなかにはアルバイト時代にグランドチャンピオンになった奴もいました。負けるわけにはいなかい。とにかく毎日が勉強です。大学でもぜんぜん勉強したことがないのに」。
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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