in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社タケモトフーズ 代表取締役社長 竹本一善氏登場。
必殺 仕掛人
株式会社タケモトフーズ。全国のショッピングセンターのフードコートなどで、多彩な業態を展開している。そんな同社のビジネスの原点は、客と店主とが真正面から向かい合う『屋台』にあった。
「下町の兄ちゃん的というか、長屋の住人的というか。飾らない屋台の素朴さって楽しいでしょ。それに、縁日の屋台を見ているとバリエーションが豊かでクリエイティブを感じる。庶民的な屋台からは学ぶことが非常に多い」。そう語るのが、同社を率いる竹本一善社長だ。
創業時、竹本は屋台で全国を回っていた。天ぷらとお好み焼きで作った「天ごのみ」はいずれも大盛況だった。それから3年後には香港に現在法人をつくり、日本から持ち込んだたこ焼きやすしなどの日本の屋台メニューを販売しブレイクした。一方で、海外で話題になっていたベルギーワッフルやエッグタルト、マンゴープリンを日本に持ち込み、銀座で大きな反響を呼んだ。さらに大手ファーストフードチェーンにもエッグタルトを持ち込み、今では日本でもデザートやスウィーツの定番となっている。馴染みになったこれら多くを日本に広めたのが竹本一善、その人なのである。
20歳。大当たりした、たこやき屋台
少年期より学業が優秀な竹本であったが、家庭は貧しかった。すでに小学4年生の頃からは、毎朝眠い目をこすりながら新聞配達に精を出していたという。また高校を卒業してからの1年間は、住み込みで働いて、生活費を稼いでいた。
その後『砂漠の緑化事業』に興味を抱いたことから、鳥取大学へ進学。学費が当時でも1年間18,000円と手頃だったことも進学を後押ししたのであろう。しかしそれでも金が底を尽き、休学を余儀なくされるという苦い経験をしている。通算5年におよんだ大学時代では、その砂丘研究所で砂漠と緑化、干害の関係などについての研究に没頭していた。
1年にわたって休学する羽目となったが、転んでもただでは起きない。竹本のその間の行動は実に前向きでユニークである。大阪に舞い戻ると精力的に働いて貯蓄に励む。そんな折り、試しにたこ焼き屋台をはじめたところ、これが当たりに当たった。吹き出す汗を拭い、串を回して焼き上がるたこ焼きを裏返し、待たせている客の声に答えながら得たある感覚。そして手ごたえ。これが飲食ビジネスとの出会いになったことは言うまでもない。
「屋台といえばたこ焼き。つまり、たこ焼きはビジネスの原点みたいなもの。たこ焼きを通して世界を見たい」。後に経営者となり仕掛人と称されるまでになった竹本は、このようなことを言っていた。現在さまざまな業態をフードコート形式で出店しているが、すべては当時のたこ焼き屋台に原形があり世界に広めた原型であるという。・・・・。
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