in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に 株式会社フードゲート 代表取締役社長 内山九十九氏登場。
100人規模の大ゲンカ。
成績は悪いほうではなかった。だが、中学2年生頃から悪友とも付き合い始めた。ケンカもした。正義感が強く、不遜な言動が許せなかったからだ。
「当時は暴走族とかが全盛期だったんです。だから、集団というのがあって、ある時などへんな噂が流れて100人規模のケンカに発展したことがあります。私は一方の首謀者とみられていました」。
素行もけっして良くはなかったが、それでも県内で言えば、真ん中よりやや上の高校に進んだ。だが、進学しても校内に内山の姿はあまりなかった。
みんなの下へ1人自転車で向かった。「京都へ」。
中学1年で剣道部は辞めたが、道場には高校1年まで通いつづけた。ところが、夏に首を脱臼し、こちらも辞めてしまう。これで、目標らしきものがなくなった。
「麻雀、パチンコが日課だった」と内山は当時をふりかえる。中学時代は素行が問題視され、修学旅行にも連れて行ってもらえなかったそうだ。この時、内山らしいエピソードを残している。
「修学旅行は京都だったんです。私は連れて行ってもらえないというんで、家出のようにして、ふらっと家を飛び出しました。修学旅行の1週間前です」。
目的地は京都。1人自転車を漕いで京都に向かった。先乗りしてやろうという魂胆である。
「途中でトラックの運転手さんに拾われたりして、無事、京都に到着。子どもだからできたんでしょうね。自転車1人旅です。でも、帰りは父に連絡して、新幹線で帰っちゃうんですが(笑)」。この出来事、一つを取り上げて「行動派」というのは先走り過ぎかもしれないが、ともかくエネルギー旺盛な少年だったことはたしかである。・・・・。
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