2013年6月18日火曜日

株式会社アールズカンパニー&有限会社アールズダイニング 代表取締役社長 土田良治氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にらーめん専門店いちや”の株式会社アールズカンパニー&有限会社アールズダイニング 代表取締役社長 土田良治氏登場。
本文より~

父と子と。

父親が、尋常ではなく厳しかった。小学校時代、父親がコーチをしている野球チームの試合に土田のエラーが原因で負けると息子の土田はもちろんチームメイト全員を殴ったそうである。男気がありすぎたとも言えるが、父の陰で息子の土田は小さくなるほかなかった。
土田自身も、喧嘩っぱやい。問題も起こしている。悪いことはたいていやった。中学時代には既に400ccの単車をころがし暴走族にも入っていた。
それでもあれほど厳しかった父親は学校にも行かず、行けば先生を殴って問題を起こす少年に一言も文句を言わなかった。「ある時、改造バイクを家に止めていたら、親父が近寄ってきて鍵を貸せと。そんなに楽しいのかと一言いうとそのままステテコ姿、足元は裸足に雪駄のまんま爆音を響かせ乗っていくんです。あの時は、凄いなと初めて尊敬しました(笑)」。親父と息子、血筋は争えない。しかし、土田には反面教師といえる父親がいたことが幸いした。

不良というレッテル。

土田が生まれたのは、1967年。福井市出身である。3つ違いの兄がいる。家庭のなかでは父親は絶対的な存在で、子どもたちは父の機嫌をうかがいながら暮らしていたそうだ。元々口数の少ない父親は母親はもちろん私達子供にも容赦なく鉄拳を振り下ろした。もちろん自分が気に入らなければ近所の人間であれ親戚であれ同じで彼を止められる人間は誰もいなかった。小学5年生に上がるまで殆ど父親と口を聞く事がなく時折話さなければの時は常に敬語を使っていたというから驚かされる。
もともと幼少期は大人しいタイプだったが、野球をやるようになってから「活発さ」が出てきたようだ。ただ、野球では、辛い思い出もある。
「小学生時代福井市の大会でした。開会式の入場行進でぼく独りだけ体操服だったんです。そのとき父は欲しいのなら自分で働いて買えと。まだ小学生の子供にですよ?母や祖母にすがって泣いたのを覚えています。しかしいくら泣いても父が言う事が絶対の家でしたから・・。しょうがなくユニフォームが欲しくて新聞配達を始めるんです」。
「中2ぐらいからは、野球もおざなりになりいわゆる非行の道に走るんですね。(笑)今度は僕が手を付けられなくなるんです」。
タバコ、シンナーは当たり前、喧嘩もカツアゲもした。中3の時には既にでバイクや車に乗っていた。悪いと思うことは率先してやったという。きっと父親への逆襲だったのだろう。16、7歳になると父親と同じ背格好になり、やれば勝てる気がしていたが父親に手を上げた事だけはないという。「何故か自分の中の絶対が壊れるのが嫌だったんでしょうね(笑)」近所でも学校でもどんどん不良というレッテルが貼られる。貼られれば貼られるだけ悪い気はしなかった。俺はここに存在している、そして表現しているような錯覚に酔っていたのかもしれない。・・・・続く

株式会社アールズカンパニー&有限会社アールズダイニング 代表取締役社長 土田良治氏
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