2013年7月30日火曜日

株式会社アクアプランネット 代表取締役 福政惠子様登場。

in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社アクアプランネット 代表取締役 福政惠子様登場。
本文より~

父の背からみた大きな船の話。

大好きな父に手を引かれた少女は、港に停泊した巨大なタンカーを眩しそうに仰ぎみた。
「まだ子どもでしょ。父がぜんぶ造ったんだと思い込んでいたんです。すごいなーって」。
福政は、子ども時代をなつかしげに思い浮かべ、笑った。
福政には、妹が1人いる。「妹と違って、私は、ファザコン」と福政。いつも父にくっついていたから「金魚のフン」と言われていたそうだ。
その父は、日本鋼管(現、JFEホールディングス)に勤める技術者で、タンカーを造っていた。冒頭の少女が仰ぎ見たのは、進水式のことである。
福政が生まれたのは三重県の松阪市。松坂牛で有名だが、今回、改めて調べてみると「伊勢商人を輩出した商業町」だったそうである。
ところで、技術者の父はとかく「ものづくり」が好きだった。「製図用のボール紙を買いに行かされたこともある」と福政。福政も父をまねて、いろんなものをつくって遊んだ。
父と比べ、母はいつもきびしかった。朝は、5:30には起床し食卓についていなければならない。しかも、正座が基本だったそうである。

小・中学生の頃の話。

「少しずついろんなことがわかる年頃でしょ。要領も身に付きます。私は父の影響で、小さな頃から外国の映画が大好きだったんです。でも、躾けに厳しい母の手前ゆっくり観ることもできなかったんです。それで、母が仕事に出てから、もう一度寝直したり、学校を休んで、映画を観たり(笑)」。
ちゃっかりしている。もちろん、怠けていたわけではない。学業は、優秀。先生たちからは、優等生のハンコを押されていた。しかし、母からみれば、まだまだ足らずであったようだ。「あなたは、20面相よ」。家と学校で顔が違うということを母は20面相と称した。まだ小さかったこともあって、何気ないこの一言が胸に響いた。「理不尽な」という思いで胸が痛んだのも事実である。
「ルールは疑え」と胸に刻んだのもこの時の一言があったから。物事の隠された本質は何かを考える癖もこの頃から。
ただし、悶々と思考にはまる少女ではない。活発な少女だった。小さい頃は近所に男の子しかおらず、いつも男の子にまじって、遊んでいた。しかし、中学に上がるようになると、異性は遊びの対象だけではなくなってくる。・・・続き
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