in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ホノルル コーヒー ジャパン 代表取締役社長 藤尾英雄氏登場。
本文より~
大阪天満、庶民の町で愛された食堂。
藤尾は1980年6月12日、大阪市天満に生まれる。姉と弟の2人姉弟。父はすでに述べた通り、(株)フジオフードシステムの代表取締役、藤尾政弘氏である。
「もともと父の実家が、大阪の天満で『大衆食堂』を営んでいたんです。父は小さい頃から、この店で育ちます。昭和54年、1979年『藤尾実業』を設立し、キッチンバー『エスカール』を大阪梅田のお初天神にオープン。正確には、この店がグループ1号店です。今年、2013年で34年目になります」。
(株)フジオフードシステムといえば、「まいどおおきに食堂」や「串家物語」などが有名だが、「まいどおおきに食堂」の1号店、「森町食堂」が生まれたのは昭和63年、1988年のことである。ホームページをご覧いただければわかるが、それまでの9年間に政弘氏は実にさまざまな店舗をリリースされている。
藤尾が生まれたのは1980年だから政弘氏が独立起業して1年目のことである。父、政弘氏がもっとも多忙な時期に生まれたと言ってもいいだろう。幼い当時の様子を伺ってみた。
やさしい父の記憶。
「「生まれて3歳まで天満で育ちました。小さな頃の私は、大人しく目立たない少年でした。コツコツと勉強するようなタイプです。幼少の頃には、母が運転する自転車の後ろに乗って商店街を回っていたのを覚えています。父は、仕事中は厳しい人ですが、家では優しく怒られた記憶はほとんどがありません。良くキャッチボールをしてくれました。物心ついた頃には、もう20軒くらいになっていて毎日現場に立たれていましたから、忙しくてしかたなかったはずですが、時間の合間をぬって私との時間を作ってくれていたのだと思います」。
はじめて父に反発。
忙しい日々を送る父のもと、藤尾も日に日に大きくなっていく。 「高校からサッカー部に所属し、毎日、ボールを追いかけていました。大学に入学した後もサッカーを続けようと部活に入ったのですが父から『プロのサッカー選手を目指すか、家業を継ぐか考えろ』と言われるまでになりました。家業を継ぐことは小さな頃から頭にあったんですが、まだ大学生になりたての頃ですから『なんで好きなサッカーを辞めなあかんねん』と、はじめて父に反発しました」。
プロのサッカー選手になるのはハードルが高いし、むろん現実的ではない。とはいえ与えられた選択肢が極端すぎる。反発したくなる気持ちはわからないでもない。ただし、このとき藤尾は父の意図をくみとり「家業を継ぐ」という現実的な道を選択することになる。後悔はしていない。アルバイトではあったが「早くから現場に入ったことが、いまの財産になっている」とも言っている。
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株式会社ホノルル コーヒー ジャパン 代表取締役社長 藤尾英雄氏