本文より~
中学受験失敗、バレーボールの3年間。
いい会社に入るための第一歩だからと、気合いを入れ過ぎた。「中学受験」の話である。「はりきってレベルの高い中学を選択してしまったんです。失敗して、地元の公立に進みました。こちらでバレーボールにのめり込むんです。部活だけの学校生活でした。県大会にも進みました。中学時代は、バレーボール以外の記憶がほとんどない。それほど打ち込んでいました。ところが高校では、軽音楽に走ります(笑)。好きだったバレーボールですが、中学校といっしょに卒業しました」。
大東文化大。
大東文化大の付属高校に進学した。男子校で、大学受験もないエレベーター校だ。友達とバンドを組んだ。渡部のパートはリードギター。「ヘヴィメタルのコピーとかを演奏していました(笑)」。「ヘヴィメタル」とマジメな「渡部」。なんだか不似合いな気がしないではない。高校の3年間と大学の4年間を大東文化大のキャンパスで過ごした。卒業後は、「メルシャン株式会社」に就職する。転機。
小さな頃から憧れていたサラリーマン。晴れて、そうなった。しかも「メルシャン」といえば大企業である。入社後、関西の拠点に配属された。志は高かったが、社内にいるライバルのサラリーマン1500人中、成績は下位。なかなか這い上がれなかった。転機は、この当時、「メルシャン」にやってきた2人の「コンサルタント」によってもたらされた。
「当時、有名なコンサルタントのお2人でした。もう60歳を超えていらしたと思います。コンサルタントと言っても、営業にも同行してくださるんです。社内の会議でも容赦ないんですが、お客様先でも容赦がない(笑)。担当者に向かって、『キミじゃ話がわからんから社長をだしなさい』って。そりゃ、同行してもらうのが怖くなりますよね。でも、私は、何故かずっと手を挙げていたんです。同行、希望者を募られる度に」。
車で移動中も話をした。会議でも、もちろん耳を傾けた。「お2人とも、格好良かったです。モノを観る角度まで、ほかの人たちとはぜんぜん違うんです。いちばん同行してもらっている私の成績は、グングンアップしました。仕事に対する私自身の考え方がかわったんだと思います。底辺をウロウロしていた私が、今度は上位10傑の常連になっていきました。そういう意味でもお2人にはいまも感謝しています」。
彼らは、もう一つのことを渡部に与えた。「独立」という二文字である。 ・・・続き
ワタベフードサービス有限会社 代表取締役社長 渡部 浩氏
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