本文より~
末っ子に付けられた名前は、「八千万」。
野沢は1947年11月29日、茨城県笠間市稲田町に生まれる。8人兄弟の末っ子。いちばん上の兄とは20歳ほどの年の差があった。「だから、物心ついた時にはもう結婚している兄姉も多く、8人もいるのに1人っ子みたいな感じで育ちました(笑)」と野沢。
末っ子の野沢の名前は、「八千万」。「当時、日本の人口は8000万人だったんです。その人々を幸せにできるように、と。親からもらった名前が『八千万』だったんです」。
実家は農家。父はもちろん母も四六時中忙しく「放りっぱなしにされていた」と笑う。「典型的なガキ大将だった」と、子どもの頃を自己分析する。
「ワンパク坊主でね。同級生も、私のことは『野沢さん』って『さん』付けで呼んでいました(笑)」。
野を駆け、山を駆け。「野沢さん」は子分を引き連れて、走りまわった。10歳上の兄貴にも、食ってかかったことがある。ケンカに負けると父に、「もういっぺんやりなおしてこい!」と怒鳴られた。ワンパクだが、父に言われたルールは守った。「年下や女性をいじめるな」である。
子どもの頃から野沢は、ワンパク坊主のくせに、「料理好き」という意外ないちめんを持っていた。
「小学生の頃ですよね。料理と本が好きでね。親父から『男たるもの厨房に入るな』と言われていたんですが、こればっかりは守れずに、隠れて台所にいって料理をしていました。本も好きで、本屋通いをしていたほどです」。本屋を探せば、野沢がいたのはこの頃の話。
その一方で、スポーツの才能もみせ始める。小・中で野沢は、野球部に所属。野球でももちろん活躍するのだが、野球部員であるにもかかわらず、相撲大会で大将を務めたり、5種陸上競技や柔道、剣道にも駆り出され副将を務めたりしたそうだ。生徒会では副会長。勉学にも長け、つねに上位10位以内をキープ。
「IQが高くてね。本は、ナポレオンなどの偉人伝が好きでした」。ともかく、ワンパク坊主は、文武両道を絵に描いたような少年に育つ。ただし、中・高でもあいかわらずワンパクだったようだ。
IQ178の天才、少年。
「中学生の頃から『社長』になるなら料理人か、デザイナーか、美容師だな、と思っていました。でも、絵が下手だからデザイナーは無理だと(笑)。美容師っていうのもガラじゃないな、と。それで残ったのが料理人。それで単純に、料理の道で社長になろうと決めたんです」。とはいえ、料理人をめざすのはまだ先の話。中学卒業後は、県で2番目の進学校に進んだ。入学早々、睨みを利かせた野沢は、すぐに高3生からも挨拶される立場になった。IQは、依然高く、178。ちなみに、調べてみると70~130の間におよそ95%の人が収まるそうだ。むろん178となると数%ぐらいしかいない。
そんな飛び抜けた数値を持った少年が在校していることを知って、学校側も驚いたことだろう。しかも、相手はワンパク坊主をそのまま大きくしたような少年だ。高校2年になった時、ついに野沢は、校長室に呼ばれる。
「高校2年の時ですよね。校長室に呼び出されて、『ケンカばかりしないで、勉強したらどうだ』と。『そうすれば東大にも行ける』と太鼓判を押されたんです。でも、私が『東大に行くより社長になりたい』というと、『東大に行って、それから頑張って社長になればいい』ということでした。そこで、私はもう一つ質問したんです。『大学に行かず、高校を卒業してからすぐに頑張っても社長になれるのか』と。校長も素直な人だったんでしょうね。ちょっと困った表情をしながらも、『もちろんだ』答えてくれました。それでね。私は早く社長になりたかったから、大学に進学することも辞めたんです」。校長にすれば、藪蛇だった。勉強させて東大に行かせるつもりが、大学進学まで辞めてしまったのだから。普通のモノサシでは測れないのが、野沢という少年だった。
勉強もでき、スポーツも万能。そういう天与の才に恵まれた人は、けっして多くはないが、少なからずいるのも事実。ただ、野沢クラスになると、桁が違った。
校長先生から、「東大に行ける」と太鼓判を押された野沢は、ボクシングでも、世界は無理でも日本チャンプは狙えるかもしれなかった。
「ボクシングなら殴っても怒られないでしょ」という理由で、高校からボクシング部に籍をおいた野沢は、メキメキ頭角を現し、2年連続、県大会で優勝している。
プロに進む気はなかったが、のちにとあるジムの選手と練習試合をすることになった時の話もおもしろい。野沢は、ブランクをもろともせずあっさり相手を倒してしまうのである。ジムの会長が目を丸くし、プロの試験を受けさせられたが、こちらもすんなり合格している。ところが、それだけの才能がありながら、「世界を獲れるか」と聞いたところ、「せいぜい日本ぐらい」と言われ、見事なほどあっさりボクシングから足を洗っている。
IQが飛び抜け、スポーツでも抜群な成績を収めた野沢だが、本人は、あまり意に介していない様子。学問でも、スポーツでも、突き詰めれば何らかの結果を残せたはずだが、結局、中学の時に決めた料理人をめざすことになる。それもまた先の話だが。 ・・・・・続き
株式会社フライングガーデン 代表取締役社長 野沢八千万氏
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