2013年10月31日木曜日

PLATE Organic&Grill オーナーシェフ 尾前 武氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”PLATE Organic&Grill オーナーシェフ 尾前 武氏登場。
本文より~

ボランティアのご褒美

地図でみると、ずいぶん東京から離れている。九州新幹線が走り出したいまでは、半日程度で着くのかもしれないが、以前は、東京に行くといっても1日仕事だったに違いない。むろん、その逆もおなじである。
「フランスから帰国したときのことです。たまたまボランティアの話をいただきました。東京の赤羽にカトリック系のホームがあるんですが、夏休みでも帰るところがないホームの子どもたちを、なんにもないけど自然だけは豊富な人吉に招こうという企画があり、私はそのなかで料理を受け持つことになったんです」。
約40人の子どもたちがやってきた。3週間。子どもたちと一緒に川辺にテントをつくり、食材を探して料理をつくった。子どもたちの笑顔とともに、暑い夏が過ぎる。このボランティアが、尾前を東京にいざなうことになる。
「偶然ですが、子どもたちが東京に帰る数日まえに、フランスで知り合った友人から電話があって『日本で会おう』というんです。東京に行くといっても、当時はぜんぜんお金もないですから普通なら断っていたんですが、ちょうど子どもたちが帰るバスがあったので便乗させてもらったんです(笑)」。思わぬ、褒美。だが、この東京行きは、褒美以上に、尾前の人生を決定することになる。尾前、24歳の時の話である。

熊本県人吉市の親子3人。

尾前が生まれたのは、1970年1月3日。出身地は、熊本県人吉市である。父は、自動車整備工として市内の工場で勤務していた。兄弟は2人。尾前が6歳の時に両親と離婚。以来、尾前少年は、母がつくる食事を知らない。
「私が6歳ですから、兄は11歳。5つ離れていても、よくケンカをしました」。ケンカの時には「母が出て行ったのはおまえが生まれたからだ」という辛辣な一言も投げかけられたそうだ。「兄はそうですね、なんにもしない。してくれない。だから私は、6歳の時から食事をつくっていました。そうしないと食べるものがないから(笑)」。
6歳でスーパーに出かけ、肉と野菜を買って、それを炒めた。小学3年生からは新聞配達も始めるのだが、その時にはもう、尾前家になくてはならない立派なシェフになっていた。洗濯も、掃除も尾前の仕事になった。
「つらくはなかったですか?」。もし、こう問うていたら、「つらかった。でも、つらいといっても誰も何にもしてくれないから」という答えが返ってきたはずだ。ある意味、それだけ尾前は、孤立していたことになる。
運動会に父が来てくれたのは1回きり。校内ではなく、2人で車のなかで弁当を食べた。それがかえってつらかった。
小学校から剣道もやっていたが、新聞配達をするようになると、その時間もなくなった。
「夕刊だけでしたが、月に4000円。お小遣いには不自由しなかったですね」。

高校中退、父とおなじ整備工をめざすが。

農業系の高校に進学した。食品の製造や栄養学を勉強した。「でも、結局、中退してしまうんです。当時は、ちょっといきがっていて悪いこともしていましたから」。
母と12.年ぶりに再会したのは、この時。
「再婚した人が警察関係の人だったようで、私のことも聞いていたようなんです」。
会ってもうつむいているだけだった。顔をみても分かる気がしなかったから。だが、母が一言、口を開いたとたん分かった。それは、間違いなく記憶のなかにしまいこんでいた母の声だった。
しかし、母と再会しても、尾前の退学の決心は揺るがなかった。父とおなじ整備士になるべく、実家を離れた。「熊本市内の整備工場で勤務しました。住み込みです。ほんとうはもっと続けていきたかったんですが、1年半ぐらいのときに、けっこう大きな事故にあって入院生活を強いられたんです。この生活が1年以上もつづいたもんですから、退職することにしました」。
「両足の膝のところにあるサラが両方割れて。足の甲も3ヵ所。足の指も7本、折れてしまいました。それまでけっこう悪さもしていた私ですが、あのとき入院したことでずいぶん考え方がかわりました。半年は寝たきりで、トイレにもいけません。まだ若い10代ですから、はずかしくて、くやしくて。それでも、少しずつ治ることで、少しずつ前に進んでいるような気にもなりました。もし、この事故がなかったら、まだフラフラしていたかもしれません。そういう意味では、いいきっかけをつくってくれたといまは前向きにとらえています」。
退院後は、いったん人吉市にもどった。市内のバーで勤務したのはこの時。
「足が、まだ不自由でしょ。短時間しか無理だと思っていたんです。それで、人吉市内のバーではたらかせていただきました。これが、結局、私の飲食人生の始まりなんです」。・・・・続き
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