2014年1月31日金曜日

社長室 社長特命課の横谷、頑張ってます。

社長室 社長特命課の横谷、頑張ってます!!

なんとこの1月、横谷ひとりで計13社(7社社長取材済み、そして6社日程調整中)も
カリスマシェフ(経営者)の社長取材取らせてもらっています。
なかなか会えませんよ。
さすが!!


(NOBUの松久オーナーシェフと)

(ジョエル・ロブション氏の愛弟子の須賀シェフと)

(スーパースイーツの辻口オーナーパティシエと)

(神谷の神谷オーナーと)

(ハワイアン・フュージョン・キュイジーヌ・レストラン「ロイズ」の
ロイ・ヤマグチオーナーシェフと)

(くろぎの黒木オーナーと)

(オステリア・ルッカの桝谷オーナーシェフと)

(アルポルトの片岡オーナーシェフと)

(ランベリーの岸本オーナーシェフと)

(ビストロQ山下オーナーシェフと)

(リストランテMASSAの神戸オーナーシェフと)

(龍の子の安川オーナー料理長と)

(青家の青山社長と)

(なすび亭の吉岡オーナー料理長と)
 
(銀座小十の奥田店主)

(一凜の橋本店主)
 

横谷をこれだけおだてておいたらやってくれるだろうな(笑)
さあ、社長特命課としてドンドン業績貢献させよう。

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1月31日(金)の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”は「クオルス」高波利幸社長登場。

夕刊フジにて連載中の『波乱万丈 起業家列伝』毎週金曜)ですが、
今回1月31日(金)は日本のイタメシ店をローマにOPENさせ、グルメ情報誌にも掲載された「クオルス」高波利幸社長です。


(クオルスの高波利幸社長) 











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2014年1月30日木曜日

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その14)。

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その14)。
いよいよ社長取材取れた企業様へ訪問。
~社長取材から学んだこと編~


2社目の社長取材の花井君。
横浜中華街で先方のお店を発見。

着きました。


あっ、ごめん顔ちょっと切れてた。

あっ、ごめん顔ボケてしまった。

すごく謙虚な社長様です。


福建省から12歳の時、お祖母さんが残留孤児だったので、
家族・親族全員日本に来られ
23歳の時にラーメン店開業。
裸一貫で現在170店舗弱まで会社を拡大されました。
現在36歳。

藤井社長から声かけて頂き一緒に
ハイポーズ。

満面の笑みの花井君とケンコーの藤井社長。
花井君のコメント
「社長様の話を学生に聞かせて頂けるって普通じゃありえないよな(°_°)
半分泣きながら、テレアポやり続けてよかった(笑)
また社長取材同行したい!
ここでの学びを就活に活かしてがんばります!」
成長したな~、花井君。
いい笑顔だ。


続いて、N君。
初の社長取材は綱八の志村社長
N君、会社前にて。

実はかなり緊張しています。


「綱八(つなはち)」、
最初の2年、実は「網八(あみはち)」だったんです。

そんな秘話も聴けました。

志村社長、お話がおもしろい!!
皆で魅了されてました。

最後は志村社長から声かけて頂きハイポーズ。
満面の笑み? のN君と綱八の志村社長

N君、これが最高の表情ということが
ようやく終了課程前にわかりました。

N君のコメント
「初めての社長取材でした。
存在感ある社長様で、話に聞き入りながらメモを取らせて頂きました。
アポをした企業の社長様のお話とあって感激し、非常に勉強になりました。
貴重な機会を頂き、ありがとうございます。
本日は貴重な経験となりました。」


細見より
インータンシップを通じ大学生に実践型の体験研修を実施していますが、
飲食企業様の社長取材を通じ、リストアップから電話連絡、訪問までやらせています。
アポイント頂いた時の感動(努力の成果がみのる時)。
実際の社長の生き様を独占ライブで聴けた時、さらに感動します。
それが結果自信になり今後の人生に大きく影響するはずです。
花井君とN君、2人とも短期間ではありましたが、大きく成長しました。


(続く)
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2014年1月28日火曜日

長野本社の株式会社スープアンドイノベーション 代表取締役社長 室賀 康氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”に長野本社の株式会社スープアンドイノベーション 代表取締役社長 室賀 康氏登場。

本文より~

長野工業高校にあって、20数年ぶりの快挙。

室賀にとっては、父の存在が大きい。父は、高校を卒業後、地元の「大手電機メーカー」に就職。定年までわき目もふらず、その会社一筋に生きてきた人である。
そういう世代だったとも言えるが、父を間近でみてきた室賀にとっては、それ以外の生き方はなかなか考えられなかった。
「定年迄、まっとうできる会社かどうか」。それが仕事選びの尺度になった。むろん、大学卒業時だから、まだ先の話ではあるが。
室賀が生まれたのは1979年の長野市である。のちにオリンピックを招致し、熱狂する街もまだひっそりとした街の一つだった。市の郊外に新興の住宅地が生まれ、室賀一家もその住宅地の住人となる。人口は多く、中学の生徒数は1000名をはるかに超えていた。
室賀はサッカー部に所属していたが、「3軍まで、あった」という。「私は2軍でした」と笑う。11クラスもあったそうだ。
中学を卒業し、進学したのは長野工業高校。「情報科に入りたくて…」と室賀。その高校で、それまで中の上ぐらいだった室賀の成績が、群を抜くようになる。
「入学時に首席だったんです。それまで、中の上ぐらいでパッとしなかった成績ですが、首席ということになって急にやる気がでてきました。それで、勉強ばかりして。そう高校時代の3年間、定期テストはぜんぶ1位です。中学同様、生徒数は少なくなかったんですが、もう1位は手放せないと思って、勉強もしました」。
「学校から4時か、5時に帰ってくるでしょ。それから、ごはんと風呂、それ以外は朝2時までずっと勉強です。この高校時代に人格も形成されました」。
勉強、勉強、それでも、苦にならなかった。学年で1番の目標が、卒業時には、それまで20年間以上、先輩たちができなかった「信州大学工学部」現役入学という目標にとって代わった。
「結局、推薦で進学できました。快挙といえば快挙ということになるんでしょうね。この信州大学の学生時代、私は一つの転機を迎えます」。

定年まで、どうはたらくかという問題。

室賀が大学1年時に、長野オリンピックは開催されている。室賀は、家庭教師や塾講師などのアルバイトを始め、大学2年時からは、地元のローカルなファミリーレストランで勤務した。この時のアルバイトが、一つの転機となる。
「店長に惹かれたんですね。高校入学以来、私を叱るような人は周りにいなかったわけです。ところが、店長には、やることなすこと怒られて。でも、怒られることが新鮮なもんですから(笑)。ぜんぜんイヤにならず、結局、1年以上いて、飲食業の楽しさまで実感するようになるんです」。
当時、「許されるなら、飲食店に就職しようと思っていた」という。ただ、長野というまだ田舎の話である。就職時には東証二部の情報処理の会社に合格するが、その会社でさえ、親からは首を傾げられる始末だった。結局、JA長野共済連に進路を決める。
「ここなら、無事、定年を迎えられそう」というのが、最終的な理由である。
ところが、定年までという長いスパンで考えたことで、のちに、この会社を辞すことになる。
「いま思えばたしかに、文句のつけようのない会社でした。希望通りシステム部に配属されたわけですし。ただ、贅沢な話ですが、私にはぬるま湯のようにしか思えなかったんです。このまま、定年まで同じような仕事をつづけていくのか、と思うと急に耐えられなくなったんです」。
入社1年目で辞めるつもりなった。ただ、石の上にも3年。3年間は辛抱だと思った。「どこかで気がかわるかも」とも思っていたが、3年たった頃には、すっかり次のプランも出来上がっていた。飲食業での独立。一攫千金を目標にした、刺激ある毎日が待っているはずだった。・・・続き
株式会社スープアンドイノベーション 代表取締役社長 室賀 康氏
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2014年1月27日月曜日

1月25日(土)、第6回海外就職説明会実施しました。

1月25日(土)、第6回のフードビジネスに特化した海外就職説明会実施しました。
昨年の2月からコツコツと隔月ごとに実施し、
今回も定員数の応募者が参加されました。

やはり、目的をお持ちの応募者は意識高いですね。
また、会社の規模や安定を優先して選ばれるのではなく、
会社の今後の方向性と可能性、それにどの国かで判断されています。
なので、経営者が話しされると強いです。
 
フードビジネスは相対的に人気ありません。
しかし、海外戦略中心にちゃんと伝われば、多くの人材を集めることが出来ます。
そのためにも、キイストンはGJJ様と二人三脚で
コツコツ海外就職説明会を継続していきます。

やはり、「世界で勝負できるのはフードビジネスだ!」です!









(各社のプレゼンタイム)




(各企業様のブース)
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