2014年2月25日火曜日

株式会社大将軍 取締役社長 南 慎一郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社大将軍 取締役社長 南 慎一郎氏登場。

本文より~

大学卒業までの話。

「子どもの頃は、野球が大好きで、長嶋や王が、ヒーローでした。父に連れられ、何度か甲子園に巨人・阪神戦を観に行きました」。
南が生まれたのは、1958年。出身は兵庫県宝塚である。日本の復興が進み始めた頃。
当時の子どもにしては珍しく、南は中学から私立の名門「関大一中」に進学する。
「その時、テニスに出会って…」と南。
最初は、野球をやりたかったものの、先輩に誘われ仕方なくテニス部に入部。しかし、やってみると、これが案外とおもしろい。すっかりテニスに魅了された南は、大学時代までつづけることになる。
「大学になると、車も乗れるようになるでしょ。私たちの時代は、車が青春のシンボルだったんですね。だから、テニスのほかに車にも夢中になって。そのぶんアルバイトに精をだして、車の資金も確保しました(笑)」。
手に入れた愛車は、「カリーナ2000GT」。
暴走族でも、走り屋でもなかったが、タイヤも替え、キャブレターもいじり、チューニングも楽しんだ。
そうやって、六甲の峠を攻めた。急な下り坂を抜けると、海が眼下に広がった。青春は、青空の下で、星空の下で、六甲の山の頂で、過ぎていった。
大学卒業。就職。南にもその時期がやってきた。

ホテルマンになろうと思って。

ホテルマンを描いた一冊の本に出会った。主人公に引き寄せられた南は、一時期、ホテルマンを志すようになる。
「でも、調べると現実との間に大きな溝があって。ともかく下積みが長いんです(笑)。主人公みたくなるには、それこそ何年もかかることがわかって…。でも、そう気づいた時にはもう4年生最後の年になっていました。いちから就職活動をするのはたいへんだと思っていたのを記憶しています」。
それでも、某ホテルからもらった内定を蹴って、いちから新たな就職先を探した。
時期が良かったといえば一言で済んでしまうが、当時は、いまほどの就職難ではなく、南がめざしたサービス職、とくに飲食はファミリーレストランの勃興期で、「一人でも多くの学生を採用したい」と、採用担当者はしゃかりきりになっていた時代である。
「ファミリーレストランの『サト』から内定をもらいました。外食産業は、これからの産業だと思っていたので、就職を決意しました。」
憧れのホテルマン改め、外食マン。時代は、外食マンの時代となるはずだった。
「たしかに、外食産業は凄いいきおいで成長していくんです。ただ、現場の私たちは、もうそのいきおいに押されっぱなしで(笑)」。多忙な日々。
同期で入社した5名の大卒は、すぐに3名になった。歯がかけていくように、スタッフがへっていく。高卒25名は、半年で半分になった。
「それでも、うちは残業代もすべて支給されていましたからましな方だったんじゃないでしょうか」と南。
残業だけで月に、200時間を超えていたそうだ。
「当時は、外食産業が急成長していくんです。その背景には、チェーンオペレーションという理論があって。そう、飲食という、ざっくりした旧世界に、論理立てた考えが導入されていくんです」。それはそれで魅力的だった。「しかし、ともかく忙しすぎて(笑)。考える暇も、勉強する暇もないというのはあのことですね」。
業務に追われながらも、ともかく3年、務めた。
飲食の勃興期に、南なりの足跡は残したことになる。・・・・続き
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2014年2月22日土曜日

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その17/最終回)。

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その17/最終回)。
~2014年第一陣インターンシップ修了の慰労会編~

インターンの皆さん、
よく頑張ってくれました。
Y教官&E教官も満面の笑顔で・・・。




お寿司とピザ&おつまみ、
そしてビール等買って
社内で慰労会実施しました。
Y教官には前菜程度ですが、
たくさん出しましたよ、
写真では少なく見えてますが・・・。




N君の顔見てください。
「えっ、こんなに?」って顔です(笑)


いつもはビールですが
今日は発泡酒です。

ちなみに
いつもならビールですからね。









E教官が音頭取りスタート!!


Y教官より乾杯のあいさつ。



頑張ってくれたインターン生たちに
インセンティブ支給!!



花井君もよく頑張って
ほんと立派になりましたね。
就職活動中ですが、
大丈夫、うまくいくでしょう!!

インセンティブ支給!!
外車でも買ってください(笑)



就職活動中の杉崎さんも
このインターンシップ経験し
社長相手の仕事がしたいと・・・。

インセンティブ支給!!
世界一周でもしてください(笑)

N君はこの4月から新入社員として
配属先が京都勤務に決定。
頑張ってほしいです。

インセンティブ支給!!
配属先の京都でマンションでも
買っちゃいますか(笑)


川久保君も就職活動中。
人材会社志望ですが大丈夫でしょう。

インセンティブ支給!!
高級時計でも買ってください(笑)



インターンの皆さんより
実際やってみた感想を発表。

花井君、なにメールしてるねん(怒)
あっ、写真撮ってたんか。


川久保君、口のなかピザ入ってます。
なぜ止まってんの(?)

なに楽しんでるねん。
?
あっ、いいのか(笑)



皆楽しんでくれていますね。






インターンの皆さん、
基本2週間でしたが
本当にご苦労さまでした。

また、取材にご協力いただきました
企業経営者の皆さま、
誠にありがとうございました。

併せてY教官こと横谷、E教官こと江川
よくやってくれたお疲れさまでした!

また連続して
ご覧いただきました皆さま
ほんとにありがとうございました。

前職リクルートで営業してましたが、
やはりトップと会うことです。

学生でアポイント取る、そして会う。
生き様を聞く!
きっと生涯貴重な経験になったはず。

日本の若人よ、頑張れよ!


 (続く)
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2014年2月21日金曜日

2月21日の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”は「俺カンパニー」の山本昇平社長登場。

今、ちまたで“俺の○○”って有名になってますが、
実は2005年6月に開業した「俺のハンバーグ山本」。
会社も俺カンパニーといい、俺シリーズの元祖です。

その「俺カンパニー」の山本昇平社長を
2月21日の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”に掲載しました。
(俺のハンバーグ山本の山本社長)
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2014年2月20日木曜日

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その16)。

インターン、感動と涙の成長記録シーズン2 (その16)。
社長取材で各社へ訪問。
~社長取材は感動しますね編~


37歳の時に
ミシュラン3つ星を獲得され、
現在パリにも進出された
銀座小十”の奥田透店主の社長取材。


取材させてもらえたこと、
これってスゴイことです!!




奥田店主とインターン生の宮坂さん



日本料理のこと真剣にお考えです。

詳しくはこちらの書籍を

著書“世界でいちばん小さな三つ星料理店


ちゃっかりY教官、
書籍に横谷様(Y教官)へと
サインまで頂きました!


Y教官、奥田店主と写真撮ってます。
さすが!


続いて

ミシュランでも星取られ、
NHKのあさイチにも出ておられる
一凜”の橋本幹造店主の社長取材。

この日は、大変寒い1日でした。



少し入り組んだ場所にも関わらず
いつも満席の“一凜”。

路地を入ったところなので、
少し迷ってしまいぎりぎりの到着。



汗、汗。
汗、汗。
汗、汗。


ちなみに真冬です。

橋本店主とインターン生の宮坂さん


なぜかまたまたちゃっかり
Y教官が橋本店主と・・・・。


またまた続いて

インターン生の川久保君が
初の社長取材取れた
鯛塩ラーメンと
海老トマトつけ麺でも有名な
五ノ神製作所の伊藤社長の取材。

週1回「いつ樹」が「いつ月」になり
違うメニューを提供されています。

おもしろいお店の仕組みです。

初の社長取材取った
インターン生の川久保君。


ちなみに
ちなみにですが・・・・・・。


後ろにいらっしゃる伊藤社長を
撮ろうとしたら、
なぜか川久保君が
こちら見てポーズつけてました…。



ほんとはこれ撮りたかったんです。

伊藤社長、丁寧にスタッフに
指導されています。



伊藤社長と一緒にハイポーズの
川久保君!

俳優の大森南朋氏ではありません、
インターンの川久保君です。

こちら川久保君

こちら俳優の大森南朋氏

参加してくれたインターン生、
いい経験になったと思います。

いよいよ次回はインターン卒業の
慰労会です!

 (続く)
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2014年2月18日火曜日

株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏登場。


本文より~

インスタントラーメンをつくる小学生1年生。

矢都木は1976年11月19日、埼玉県伊奈町に生まれる。実家は、歯車を製造する工場を営んでいた。兄弟は4人。矢都木は次男坊である。
「小さい頃から食べる事に並々ならぬ関心を持っていた」と矢都木。小腹が減ると、インスタントラーメンをつくって食べていたそうだ。
小学校1年といえば、ガス台に背が届くかどうかの頃だろう。鍋に湯をわかし、麺を茹で、スープの素を入れる。インスタントラーメンを巧みにつくる子どもをみて「将来、ラーメン屋になるんじゃないか」とご両親が冗談交じりに語られていたそうだが、なんとなく頷けてしまう。
料理が好きで、ラーメンも好き。週に1回は、家族といっしょに外食に行っていたというから、食べることも大好きだったのだろう。

「つけ麺」を愛した学生時代の話。

「大学時代にハマったもので言えば」と前置きして、矢都木は<つけ麺>と言った。大学からそう離れていないあるつけ麺店で、つけ麺に出会ったのが、はじまり。
「20年程前の当時、つけ麺はまだ珍しかったんです。私は、すっかり魅了されて、年間100回は通ったと思います。それと同時に「つけ麺」という商品の将来性を考えるようになりました。」
やがて、つけ麺に明け暮れた大学生時代が終わり、就職の時期がやってくる。
就職、当時の話も伺った。
「真剣に『つけ麺屋』に就職しようと、考えていたんです(笑)」と矢都木。
「しかし、当時はまだ飲食業界へ就職することに抵抗があった時代で、私も大学まで行かせてもらったのに、ラーメン店へ就職したのでは親に申し訳ないような気もして。それで、ともかく一般の会社に就職することにしたんです」。
その会社は、食品関連の包装資材メーカーで、のちに東証一部にも上場する有望な企業だった。
「たしかに業績は良かったんですが、サラリーマンというのが肌に合わないというか。もともと<家から車で通える>、それだけで就職したもんですから、愛着という点でもいま一つでした。ともかくサラリーマンというのが、なんとも息苦しく、上司の顔色をうかがいながら仕事をするというのもイヤでしょうがなかったんです。ボーナスをもらってもぜんぜん嬉しくなかった(笑)」。
「ボーナスは貰う側ではなく、払う側に立つべきだとも思っていました。たぶん、父親をみていたからだとも思います。それでも2年はがんばったんですが、このままでは稼げないと決断したんです」。
24歳。矢都木は、もう一度、初心に帰り、意を決して、ラーメン業界に飛び込んだ。就職したのは、人気の麺屋武蔵だった。

ナンバーワンのノウハウとは。

「麺屋武蔵」に決めた理由も伺った。
「私には、つけ麺を日本全国に広めたいという思いがあったんです。大学時代、あれほど通いましたから、<つくる>自信は根拠はありませんが、何となくありました。でも、それだけで日本中に広げられるわけではないと直感的に思いました。だから、当時、ラーメン界でナンバーワンの『麺屋武蔵』で、どうすれば、ナンバーワンになれるのか、その方法論を学ぼうと思って就職したんです」。
たしかに、麺屋武蔵は業界を代表するラーメン店である。なにが、どう違うのか、その点も伺った。
まず一つ目
麺屋武蔵は「モノ」ではなく「コト」に重きを置いていると言う事が最大の違いです。創業者がアパレル出身なのでこういう言い方をしていました。「今までのラーメン屋は、旨いラーメン(モノ)を作っていればお客様は満足してくれると思っている。しかし本当は仕事や遊びの状況によって服を変えるように、お客様もラーメン「モノ」だけを食べにきているのではなく、そのラーメンにまつわる「コト(物から生じた事柄、状態)も一緒に楽しんでいるんだ」と。
「ラーメン」(モノ)というよりもまず食事(コト)である事、その時間に対して対価をを戴いているという考え方です。
当時、ラーメン屋と言えば、ムスっとした頑固おやじが、『どうだ!うちのラーメン旨いだろ!』、みたいな店ばかり。そのなかでうちの創業者の考えは異色だったと思います。先見の明もあったんでしょう。すでに、空間、おもてなし、清潔さ、サービス力の高さ、もちろんラーメンの旨さも含めて、そのどれひとつも欠けてはいけないという思いで商売をしていましたから。麺屋武蔵には<1杯にして、1杯にあらず>という言葉があるのですが、まさに我々の思いを凝縮した言葉だと思っています。
二つ目は、
ラーメン屋などは職人の世界で主従関係がハッキリしており親方が絶対です。
しかし麺屋武蔵では、「個の尊重」を会社のポリシーに掲げているとおり個人の 「オリジナリティ」を尊重しそれぞれの能力を引き出すことに力を注いでおりその結果が今の「ダブルブランド」「ダブルティスト」「マルチコンセプト」などの形につながっていくのです。
店名も「先例なしの亜流なし」をモットーにし独自(オリジナル)の剣法を編み出した無敵の剣豪宮本武蔵に因んでつけました」。
もちろん、麺屋武蔵も従業員からすれば、ほかのラーメン店同様、ハードな職場だったに違いない。ただ、矢都木にとっては、ハードかどうかより、何が学べるかのほうが大事だった。ほかのラーメン店と比べ学べることが違うのは、明らかでもある。
従業員の立場からすれば、旨いラーメンづくりだけではなく、ラーメンを中心とした食事の場である店全体が、学習の対象となる。
当然、注意すべき点は多岐に渡り、旨いラーメンを食べさせてくれる「旨い店」づくりのノウハウを吸収することとなる。
「創業者からは、『商品にはストーリーが必要だ』と言われてきました。店名も実は、『宮本武蔵』にちなんで、名づけられているんです。その一方で、サービスや清潔さ、といったホスピタリティにも、注力させられました。
「たしかにハードな仕事ではありましたが、私には、ぜんぜん問題なかった。つけ麺を日本全国に広めたい、ますますそういう思いを強くしていくのです」。

2013年、個性派ぞろい、名店「麺屋武蔵」の社長に就任する。

転職から3年、上野に出店した際に店長を任された。24歳で入社しているから27歳の時のことである。それから、10年。矢都木は「麺屋武蔵」の社長に就任する。
いつかは独立して、という思いもあったが、社長になれば「独立と同じ」だと、笑う。ただし、すでに「独立」とおなじ経験もしている。それが矢都木の強みだろう。
というのも、麺屋武蔵の店長は、店長であって、店長ではない。そう、まるで1人の独立した店主なのである。
矢都木によれば、「店によって、ラーメンの命でもあるスープからして違う」とのこと。「意欲ある店長ほど、今日より明日、明日より明後日と、よりいいもの、旨いものづくりに注力するものでしょ。だから、たとえスープが違ってもぜんぜんいいんです。私たちは、おなじ麺屋武蔵でも、おなじ店じゃない。Wネームなんです(笑)」。
食材も、すべての店が同じではないそう。料金も店長の判断で決まる。
「これぐらいの利益を出すということは、当然、決めていますが、どういうアプローチ方法を取るかは、すべて店長の裁量で決まるんです」。
「もっとも、大事な理念は共有しています。モノではないコト。食事を楽しんでいただける店であることは前提ですし、つねに旨いラーメンをつくりつづけていこうという思いも共通しています。ただし、押し付けはない。<個を尊重する>ことが、私たちのもっとも大事な理念だからです」。
まるで、一つの理念の下につどった「店主」たちのグループのようだ。これが名店の流儀なのだろうか。もう少し具体的に聞いてみた。・・・・
続き
株式会社麺屋武蔵 代表取締役社長 矢都木二郎氏
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2014年2月14日金曜日

2月14日の夕刊フジ“波乱万丈 起業家列伝”は「際コーポレーション」の中島武代表登場。

夕刊フジにて連載中の『波乱万丈 起業家列伝』毎週金曜)ですが、
今回2月14日(金)のバレンタインデーは飲食業界の重鎮「際コーポレーションの中島武代表です。

(際コーポレーションの中島武代表











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