2014年2月10日月曜日

株式会社てっぺん 代表取締役 大嶋啓介氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社てっぺん 代表取締役 大嶋啓介氏登場。
本文より~

野球、小僧。未来のメジャーリーガーと対戦する。

「お金持ちより、人もち、夢もち」という言葉を教えてくれたのは、警察官の父だった。「友だちを大事にしろ」「ウソをつくな」「約束は守れ」。
口数が多いほうではなかったが、少年の耳にはいまも、そうした父の言葉が鮮明に残っている。
大嶋が生まれたのは、1974年1月19日。出身は、三重県桑名市である。3人兄弟の長男で、小さい頃から運動神経抜群な少年だった。小学生時代にはカラテで、全国4位。野球では、全国大会で2年連続で3位になった。あのイチロー選手(ヤンキース)と戦ったこともある。
「向こうは愛知県代表で、こちらは三重県代表でした。ピッチャーはイチロー選手。当時から凄いピッチャーと評判でしたが、うちのピッチャーのほうが、いいと思っていました。ところが、1回に5点も取られて。
いままで、打ち込まれたことがなかったので、こいつでも、5点も取られることもあるのかと。でも、結局、5対8で逆転勝利。対戦したのがイチロー選手だったことは、後で知りましたが、とても白熱した試合でしたので、全国大会のどの試合よりも記憶に残っています」。
何年生から野球をはじめたのか。記憶が曖昧だ。小学3年生、父が他界。気丈な母、祖父、祖母もいたことで動揺することはなかったと大嶋はいうが、この頃の記憶が不鮮明なことに、多少は影響しているような気もする。
父からはもう言葉が聞けなくなった。だから逆に、冒頭の「教え」が鮮明に記憶に残っているのかもしれない。
父が他界後、母は勤めにでる。大嶋家の子どもたちは、祖父や祖母たちが代わりに面倒をみるようになった。祖父は、喫茶店と銭湯をいとなんでいた。そのおかげで経済的には苦しくなかったし、祖父や祖母が優しく接してくれたおかげで、さみしくもなかったそうだ。
「朝になるとじいちゃんが外に出て、私が寝ている2階に向かって大声で『おきろっ』って叫ぶんです。ご近所さんも、この元気な声で起きていたそうです。母も明るく元気な人ですが、祖父、祖母もまた、母同様に元気で明るい人でした」。

なりきれなかった、中途半端なジブンと向き合った中学時代。

運動神経は、抜群。頭もそう悪くはない。野球ではチームごと同じ中学に入り、期待も、注目もされた。
1年から1~2人がレギュラーに抜擢された。最強のチーム。大嶋もそのうちの一人だった。
だが、中学2年。ヒジをこわして、急に「野球熱」が冷めていった。一方、当時は、ビーバップハイスクールの時代。大嶋もまた漫画やTVのなかの「ヤンキーに憧れた」。
「中学時代は、暗黒の時代でした。友人たちは次々、ヤンキーになって。でも、私はそういう風になれなかった。心のどこかでブレーキをふんでいました。そうなると、『なんであいつだけ、いい子ぶってんだ?』って。
だんだん距離が離れていくんです。さみしかったですね。だから、そのぶんも野球にぶつけようと思ったのに、今度は野球もできない。うまくいかないことの連続で、中学時代は何もかもがいやになっていた時期でした」。
ところが、高校に行くと、人生は反転する。
コインの裏が、表にかわったように。・・・・続き
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