本文より~
「いい点数を取ると友だちに引かれてしまうから」。感性豊かな少年時代の話。
笹島が生まれたのは1964年1月22日。大阪府吹田市出身で、2人兄弟。
子どもの頃は、本を読むのが好きで「小説家になりたかった」と笹島。祖母の影響で考古学にも興味があったそうだ。
体を動かすことも好きだったが、それよりもクリエイティブなものに関心があった。
どこか大人びたクールな少年というイメージだろうか。
小学校の頃から成績はよかったが、中学になるとテストの点数も隠すようになる。勉強もしなくなっていった。「友だちの手前というか、あまりいい点を取ると引かれてしまうでしょ。だから、だんだん成績がいいのを隠すようになったんです」とナイーブな一面も覗かせる。
料理との出会いは、高校時代のアルバイト。
「17歳の時です。仲が良かった先輩の紹介で高級料理店で、バイトをさせてもらいました」。接客を通じ、初めて社会との繋がりを感じた。お金ではなく、働くことの楽しさや面白みを実感したのも、この時。「同級生といるよりも、社会人といるほうが楽しかった」と言っている。結局、笹島は、そのバイト先に就職した。
子どもの頃は、本を読むのが好きで「小説家になりたかった」と笹島。祖母の影響で考古学にも興味があったそうだ。
体を動かすことも好きだったが、それよりもクリエイティブなものに関心があった。
どこか大人びたクールな少年というイメージだろうか。
小学校の頃から成績はよかったが、中学になるとテストの点数も隠すようになる。勉強もしなくなっていった。「友だちの手前というか、あまりいい点を取ると引かれてしまうでしょ。だから、だんだん成績がいいのを隠すようになったんです」とナイーブな一面も覗かせる。
料理との出会いは、高校時代のアルバイト。
「17歳の時です。仲が良かった先輩の紹介で高級料理店で、バイトをさせてもらいました」。接客を通じ、初めて社会との繋がりを感じた。お金ではなく、働くことの楽しさや面白みを実感したのも、この時。「同級生といるよりも、社会人といるほうが楽しかった」と言っている。結局、笹島は、そのバイト先に就職した。
キッチンが足りない!
バイト時代もそうだが正社員になっても、先輩たちから可愛がられた。もちろん、厳しい一面もあったが苦に思ったことはなかった。ただし、ホールで就職したつもりが、人手が足りないからとキッチンに回された時には唖然とした。キッチンのノウハウは何一つなかったからである。
「とにかく洗いものです。洗い物以外は、危なっかしくて任せられなかったのでしょうね。『いいよ、お前は』って」。
大阪の御堂筋線の「江坂」駅近くにある人気店だった。「とにかく、忙しいのに人がいない。5~6人は必要な店なのに、私を合わせて3人しかいません。それでも先輩たちは気を遣ってくれて。飯に行ってこいよとか、優しい言葉もかけてくれました」。
先輩たちの優しさに、頭を下げた。その一方で、何もできない己を腹立たしく思った。「キッチンが足りない? 全然、解決していないじゃないか!」。
「とにかく洗いものです。洗い物以外は、危なっかしくて任せられなかったのでしょうね。『いいよ、お前は』って」。
大阪の御堂筋線の「江坂」駅近くにある人気店だった。「とにかく、忙しいのに人がいない。5~6人は必要な店なのに、私を合わせて3人しかいません。それでも先輩たちは気を遣ってくれて。飯に行ってこいよとか、優しい言葉もかけてくれました」。
先輩たちの優しさに、頭を下げた。その一方で、何もできない己を腹立たしく思った。「キッチンが足りない? 全然、解決していないじゃないか!」。
バイト代は、いらないからと頼み込んで、働いた。
「せっかくキッチンに入ったわけですよね。でも、皿洗いしかできない。先輩たちの手助けもできない。飯も食べずに頑張っている先輩たちを見ているから余計に腹が立った。それで考えたんです。キッチンで何が困っているか。すると魚や肉を下すことだったんです」。
「それで店には内緒で魚屋さんや鶏肉屋さんに行って、バイト代はいらないからと頼み込んで、働かせてもらいました。店が休みの日だけですが、それでもいい訓練になりました。ある程度できるようになった時、先輩に一度やらさせてくださいといって披露してみたら、『案外、できるじゃないか』ってことになって(笑)」。
笹島の料理人生の一歩は、たしかに、この時。
カレーも、シチューも、ハンバーグも、全然作れなかった少年が、やがてレシピまで理解するようになる。料理の奥は深い。金銭には代えられないほどの、感動が少年を包む。この時、笹島は17歳。社会人1年生でもあった。・・・続き
「それで店には内緒で魚屋さんや鶏肉屋さんに行って、バイト代はいらないからと頼み込んで、働かせてもらいました。店が休みの日だけですが、それでもいい訓練になりました。ある程度できるようになった時、先輩に一度やらさせてくださいといって披露してみたら、『案外、できるじゃないか』ってことになって(笑)」。
笹島の料理人生の一歩は、たしかに、この時。
カレーも、シチューも、ハンバーグも、全然作れなかった少年が、やがてレシピまで理解するようになる。料理の奥は深い。金銭には代えられないほどの、感動が少年を包む。この時、笹島は17歳。社会人1年生でもあった。・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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