本文より~
母親の、しつけ。
男3人兄弟の真ん中、つまり次男坊である。兄とはしょっちゅう喧嘩する仲だった。
「ちょっと早く生まれただけで、たいして強くないのに偉そうにしている兄貴に、いつも腹が立った」。
「包丁を振り回して家中を追いかけることもあった」というから、兄弟げんかどころの騒ぎではない。
大谷はのちに、「年功序列の社会は、俺には無理」と思うようになるのだが、それもまたこの頃の体験がもとになっているのかもしれない。
ところで、やんちゃな息子3人の面倒で、母親もさぞかし大変だったのでは、と心配にもなったが、案外、平然とされていたようだ。
「母親自身の兄弟たちに比べたら、ぼくらの方がはるかにマシだといっていました」。母は7人兄弟の大家族だった。10代で父親が亡くなったため、若いうちから兄弟の面倒を見ることになった。この兄弟たちがすさまじかった、ということなのだろう。
「私が、警察の世話になった時も、全然、動揺していなかった(笑)。普通なら、何をしたんだ、って聞くと思うんですが、何も聞かない。自分でやったことは、自分で始末をつけろというのが母親の教育でした」。
大谷の「自分で、何でもやってみよう」「ダメなら違うやり方でまたやればいい」「自分の力を信じよう」という考え方に、母親の影響が色濃く表れている。
一方、父親は祖父が築いた建設会社の2代目社長。商売が下手で、変に職人気質。 当時主流になり始めていたツーバイフォー工法も「あんなものはダメ、俺は絶対やらない」と言い放っていたらしい。
大谷は、「典型的な2代目ダメ社長。時代の流れ、バブルの波に乗れなかった不器用な人だった」と語っている。
一見、批判的にも思えるが、「不器用な人」という一言に、父を愛する大谷の気持ちが潜んでいる気がする。
「ちょっと早く生まれただけで、たいして強くないのに偉そうにしている兄貴に、いつも腹が立った」。
「包丁を振り回して家中を追いかけることもあった」というから、兄弟げんかどころの騒ぎではない。
大谷はのちに、「年功序列の社会は、俺には無理」と思うようになるのだが、それもまたこの頃の体験がもとになっているのかもしれない。
ところで、やんちゃな息子3人の面倒で、母親もさぞかし大変だったのでは、と心配にもなったが、案外、平然とされていたようだ。
「母親自身の兄弟たちに比べたら、ぼくらの方がはるかにマシだといっていました」。母は7人兄弟の大家族だった。10代で父親が亡くなったため、若いうちから兄弟の面倒を見ることになった。この兄弟たちがすさまじかった、ということなのだろう。
「私が、警察の世話になった時も、全然、動揺していなかった(笑)。普通なら、何をしたんだ、って聞くと思うんですが、何も聞かない。自分でやったことは、自分で始末をつけろというのが母親の教育でした」。
大谷の「自分で、何でもやってみよう」「ダメなら違うやり方でまたやればいい」「自分の力を信じよう」という考え方に、母親の影響が色濃く表れている。
一方、父親は祖父が築いた建設会社の2代目社長。商売が下手で、変に職人気質。 当時主流になり始めていたツーバイフォー工法も「あんなものはダメ、俺は絶対やらない」と言い放っていたらしい。
大谷は、「典型的な2代目ダメ社長。時代の流れ、バブルの波に乗れなかった不器用な人だった」と語っている。
一見、批判的にも思えるが、「不器用な人」という一言に、父を愛する大谷の気持ちが潜んでいる気がする。
人生のピークは小・中学生時代?
小・中学校時代はいわゆる目立つ子。勉強もできたし、やんちゃぶりもしっかり発揮。小学校の入学式では強そうなやつには片っ端から突っかかっていた。
ツッパリ全盛のリアル金八世代。
短距離走は学校で1番。100mを11秒代前半で走ったというから大変なものだ。「中学生の時が自分のモテ期ピーク。あの時代は足が速かったらモテたんですよ」と笑う。
中学入学当初はおそらくトップクラスだった学力がみるみる落ちていった。
「努力ができないんですよ。数学って努力いるでしょ。ほかの教科は地頭で何とかなったんですけど」。
実家が建設会社という理由だけで数学ができないくせに理系を選択。「最大の失敗」。まったく授業についていけず、数学の授業には漢文やほかの勉強をしていたという。
「担任にも言ったんですよ。俺、やっぱり数学はダメ、文系でいくからって」。
ただ、建築への興味まで失ったわけではなかったようだ。
大谷は、のちに空間プロデュースを生業にするのだが、それもまた建築に興味があったからに違いない。それは、ともかく、結局、文系での受験を経て、日本大学へ進学する。
「受かりそうな大学だけを選択したから当然なんですが、狙い通り全部、合格しました。いくら合格しても、行けるのは、ただ一つだけなんですけども(笑)」。
合格したなかでも一番行きたかったのは日芸だったそうだが。
「学費が高くて。当時、日大の倍ほどかかったんですよ。親から、無理って言われて。受ける前に言っといてくれよって(笑)」。・・・続き
ツッパリ全盛のリアル金八世代。
短距離走は学校で1番。100mを11秒代前半で走ったというから大変なものだ。「中学生の時が自分のモテ期ピーク。あの時代は足が速かったらモテたんですよ」と笑う。
中学入学当初はおそらくトップクラスだった学力がみるみる落ちていった。
「努力ができないんですよ。数学って努力いるでしょ。ほかの教科は地頭で何とかなったんですけど」。
実家が建設会社という理由だけで数学ができないくせに理系を選択。「最大の失敗」。まったく授業についていけず、数学の授業には漢文やほかの勉強をしていたという。
「担任にも言ったんですよ。俺、やっぱり数学はダメ、文系でいくからって」。
ただ、建築への興味まで失ったわけではなかったようだ。
大谷は、のちに空間プロデュースを生業にするのだが、それもまた建築に興味があったからに違いない。それは、ともかく、結局、文系での受験を経て、日本大学へ進学する。
「受かりそうな大学だけを選択したから当然なんですが、狙い通り全部、合格しました。いくら合格しても、行けるのは、ただ一つだけなんですけども(笑)」。
合格したなかでも一番行きたかったのは日芸だったそうだが。
「学費が高くて。当時、日大の倍ほどかかったんですよ。親から、無理って言われて。受ける前に言っといてくれよって(笑)」。・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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