本文より~
鹿児島県の、海沿いの町で。遠足リーダー、樺山という少年。
樺山は1968年2月12日、鹿児島県阿久根市に生まれる。阿久根市は、熊本の県境近くにある沿岸の町だ。
樺山も少し大きくなると海に潜り、鮑やサザエを獲ったりしていたそう。「獲ったばかりの鮑やサザエに醤油をたらして、凄く旨いですよ」と笑う。
夏休みになると、朝3時に叩き起こされイカ漁に駆り出されたそうだ。「そりゃイヤです。朝3時でしょ。眠いしね。でもうちに帰ったら、獲りたてのイカで造ったイカソーメンを食べられるんです。凄く旨くて、最高のご馳走でした」。
初めて上京した時、「イカを観て消しゴムかって思った」というが、なんとなく想像できる。
「申し訳ない言い方ですが、獲りたての、あのイカを食べ慣れた人間には、東京で出されるイカは食べられた代物じゃない(笑)」。
カサゴもテグスを垂らすだけで、調子が良ければ50~60尾は釣れたと言っている。都会の人間からすれば、うらやましい限り。自然のなかで暮らすことで、知らないうちに「美食家なる」という話にも頷ける。
樺山は、食べるだけでなく、料理も好きで進んでキッチンに立ったそうだ。
「学校ではリーダーシップを取りたがるようなタイプで、『長』と名が付く仕事に就くことが好きだった。小学校5年生の時には、遠足だと言って町内会の子ども達を遠足に連れていったりしました」。もちろん、その時の樺山の名称は「遠足リーダー」。
反面、悪さもした。ただし、今からみれば可愛らしくもある。なんとも素朴ないたずら。「中学の時ですね。裏山で蛇を獲ってきて教室で放すんです」。
教室の最後部から20匹くらいの蛇を放す。放たれた蛇は、蛇行しながら先生に向かって進んでいくという寸法。もちろん、先生からは「また、お前か!」と怒られたそうである。
頭脳明晰。
高校は現役東大生を輩出する、九州でもトップクラスの進学校に進んでいる。といっても樺山が、その高校を選択したのは、偏差値が高かったからではない。中学から始めた吹奏楽に魅了され、吹奏楽したさに入った学校だった。
樺山も少し大きくなると海に潜り、鮑やサザエを獲ったりしていたそう。「獲ったばかりの鮑やサザエに醤油をたらして、凄く旨いですよ」と笑う。
夏休みになると、朝3時に叩き起こされイカ漁に駆り出されたそうだ。「そりゃイヤです。朝3時でしょ。眠いしね。でもうちに帰ったら、獲りたてのイカで造ったイカソーメンを食べられるんです。凄く旨くて、最高のご馳走でした」。
初めて上京した時、「イカを観て消しゴムかって思った」というが、なんとなく想像できる。
「申し訳ない言い方ですが、獲りたての、あのイカを食べ慣れた人間には、東京で出されるイカは食べられた代物じゃない(笑)」。
カサゴもテグスを垂らすだけで、調子が良ければ50~60尾は釣れたと言っている。都会の人間からすれば、うらやましい限り。自然のなかで暮らすことで、知らないうちに「美食家なる」という話にも頷ける。
樺山は、食べるだけでなく、料理も好きで進んでキッチンに立ったそうだ。
「学校ではリーダーシップを取りたがるようなタイプで、『長』と名が付く仕事に就くことが好きだった。小学校5年生の時には、遠足だと言って町内会の子ども達を遠足に連れていったりしました」。もちろん、その時の樺山の名称は「遠足リーダー」。
反面、悪さもした。ただし、今からみれば可愛らしくもある。なんとも素朴ないたずら。「中学の時ですね。裏山で蛇を獲ってきて教室で放すんです」。
教室の最後部から20匹くらいの蛇を放す。放たれた蛇は、蛇行しながら先生に向かって進んでいくという寸法。もちろん、先生からは「また、お前か!」と怒られたそうである。
頭脳明晰。
高校は現役東大生を輩出する、九州でもトップクラスの進学校に進んでいる。といっても樺山が、その高校を選択したのは、偏差値が高かったからではない。中学から始めた吹奏楽に魅了され、吹奏楽したさに入った学校だった。
吹奏楽に魅せられて。
吹奏楽部が有名な、県でも指折りの進学校だった。入学当時に限って言えば、学年3位の成績だった。「最初だけ」と樺山。最終的には500人中300位くらいまで落ち込んだ。
そもそも、勉強するつもりはなかった。大学受験も最初からあきらめていた。樺山が小学5年生の頃、父と母が離婚。樺山は母に引き取られていた。
「片親ですから、経済的な余裕もない。だから最初から大学進学っていうのは、頭になかったんです。代わりにというわけではありませんが、部活には真剣に取り組みました。吹奏楽って、案外、体力も使うんです。腕立100回、腹筋100回、3キロマラソンを2セットとか(笑)」。
有名な部だったので、周りも真剣な生徒ばかりだった。樺山のパートは、トランペット。3年になって部長となり、慣例通り、指揮者に選ばれた。
3年になると周りは大学受験に追われる。それを横目に樺山は、何をしていたんだろうか。「経済的な理由ばかりでなく、私自身、大学には行くつもりがなかった。大学を出てサラリーマンになるという、そういう既定路線を進みたくなかったんです」。
大学に進むのは、案外、簡単だ。断念すると、代わりに「決断」することが迫られる。18歳の青年にとって、簡単なことではない。・・・続き
そもそも、勉強するつもりはなかった。大学受験も最初からあきらめていた。樺山が小学5年生の頃、父と母が離婚。樺山は母に引き取られていた。
「片親ですから、経済的な余裕もない。だから最初から大学進学っていうのは、頭になかったんです。代わりにというわけではありませんが、部活には真剣に取り組みました。吹奏楽って、案外、体力も使うんです。腕立100回、腹筋100回、3キロマラソンを2セットとか(笑)」。
有名な部だったので、周りも真剣な生徒ばかりだった。樺山のパートは、トランペット。3年になって部長となり、慣例通り、指揮者に選ばれた。
3年になると周りは大学受験に追われる。それを横目に樺山は、何をしていたんだろうか。「経済的な理由ばかりでなく、私自身、大学には行くつもりがなかった。大学を出てサラリーマンになるという、そういう既定路線を進みたくなかったんです」。
大学に進むのは、案外、簡単だ。断念すると、代わりに「決断」することが迫られる。18歳の青年にとって、簡単なことではない。・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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