2014年8月26日火曜日

株式会社HAREMUNE 代表取締役 桑江夢考氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社HAREMUNE 代表取締役 桑江夢考氏登場。
本文より~

頭脳明晰、スポーツも万能な少年時代の話。

「サッカーをやろうと思っていたんです。でも、定員オーバーで(笑)」。そういって、桑江は子ども時代を振り返った。「それでソフトボールに。中学校に入ってからは、硬式テニスをはじめました。いきなり大阪大会で優勝して…」。
桑江が生まれたのは1975年。大阪府の狭山市で育った。「父は、お酒もたばこもやらない実直を絵に描いたような典型的な昭和のサラリーマンでした。母はもともと学校の先生で、結婚してからは公文式の塾をはじめます。最盛期には200人の生徒がいたそうです」。
母が公文の先生だとすると…。
「そうなんです(笑)。先生の息子でしょ。簡単な理屈です。私の成績が塾の評価に直結します。幸い、クラスでも点数はいいほうで、小学校ではどうしても抜けない奴がいましたが、だいたい学年で上位をキープ、中学校ではたいした事ないですが、児童会長や生徒会役員などは面白かったですね」。
頭脳明晰、スポーツも万能。さぞ、お母様の塾も繁盛したことだろう。
「少年時代は女の子にもモテモテだった。高校に行っても、大学に行っても、女の子にはお世話になりました」と羨ましいことをいう。

「お笑い」でも才能を発揮。

スポーツも、勉強もできたと書いた。でも、それだけではなかった。
「高校に入ってようやくサッカー部に入ります。レギュラーにしてもらって。スポーツは得意でした」サッカーのかたわらでバンドも始める。「大阪でしょ。お笑いも始めたんです」。
「友人とコンビを結成して、<元気が出るテレビのお笑い甲子園>に大阪代表として出場しました」。競争率はむろん高い。200組~300組がいて、代表に選ばれたのは桑江コンビのほか2組だけだった。
「いま有名どころではCOWCOWや2丁拳銃らと一緒でした」と言って笑う。こちらも羨ましい世界である。
「その頃から作家になりたいと思っていました。祖父が学者みたいな人だったので、その影響を受けたのかもしれません。私のルーツをたどっていけば、そういう学者的なところに行き着くんだと思うんです。お笑いをやったのも、作家になるという長期目標があったからです」。
なりたい人は、結構いる。だが、なれる人は少ない。目標に向かって進めば進むほど、ゴールが遠ざかることもある。果たして、桑江はどうなるんだろう。・・・・続き
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