本文より~
漫画「美味しんぼ」に魅了され。
山下は、1975年3月15日に生まれる。料理との出会いは、小学生の時。父が持っていた漫画「美味しんぼ」が最初。「美味しんぼにハマって、小学生ながら料理にチャレンジしたこともある」とのこと。本人いわく、活発だがテレビやラジオなどが好きなちょっと変わった子どもだったらしい。
中学生になると、興味は更に広がった。「バントもその一つで、興味が湧くと何にでもトライした」と語っている。一方、食に対する興味もますます旺盛になり、新聞や雑誌に掲載されている料理店情報をチェックし、クーポン券を持って食べにいったりもした。
ご両親についても伺った。
「父は芸能プロダクションのジャズバンドマネージャーでした。忙しく働いていましたが、テーマパークや外食などに良く連れて行ってくれました。私が中学に上がるまえに、父の会社が倒産。その後は、保険の代理店などをしていました。母は、父の会社の倒産をきっかけにブティックを始めます。今でも、この店を経営しています。父は頑固、母はのんびりした性格ですね」と山下。2人兄妹で、3つ離れた妹がいるそうだ。
仕事について考え始めたのは中学3年生というから、同年代の少年と比較して少し早い。「派手で、目立って、格好いい仕事」ということで、「広告代理店がいい」と思っていたそうだ。思っているだけではなく、調べもした。すると、高学歴が必須。今まで勉強はできるだけやらないで済ますタチだったが、これをきっかけに勉強にも精をだすようになる。
中学生になると、興味は更に広がった。「バントもその一つで、興味が湧くと何にでもトライした」と語っている。一方、食に対する興味もますます旺盛になり、新聞や雑誌に掲載されている料理店情報をチェックし、クーポン券を持って食べにいったりもした。
ご両親についても伺った。
「父は芸能プロダクションのジャズバンドマネージャーでした。忙しく働いていましたが、テーマパークや外食などに良く連れて行ってくれました。私が中学に上がるまえに、父の会社が倒産。その後は、保険の代理店などをしていました。母は、父の会社の倒産をきっかけにブティックを始めます。今でも、この店を経営しています。父は頑固、母はのんびりした性格ですね」と山下。2人兄妹で、3つ離れた妹がいるそうだ。
仕事について考え始めたのは中学3年生というから、同年代の少年と比較して少し早い。「派手で、目立って、格好いい仕事」ということで、「広告代理店がいい」と思っていたそうだ。思っているだけではなく、調べもした。すると、高学歴が必須。今まで勉強はできるだけやらないで済ますタチだったが、これをきっかけに勉強にも精をだすようになる。
バーのカウンターで、もうひとつの仕事に出会った。
広告代理店に就職すべく、勉強にも精を出し、高校にも進学したが、その目標を軌道修正することになる。高校になって、バーでバイトを始めたことがきっかけだ。
「1000円という時給も良かったんですが、マスターやお客様と過ごす時間が、なんともいえず濃厚で、それですっかり『飲食という仕事』に興味を持ち始めてしまったわけです」。
かつて読んだ「美味しんぼ」の影響も多少はあるのかもしれない。
マスターは40代。カウンター4席、4人掛けのテーブルが3つ、6人掛けのテーブル1つ。マスターと2人。山下はカウンターで、接客を担当していた。
「親父の友人も来て、焼肉屋に連れて行ってもらったり…。まだ高校生でしょ。とても、可愛がってもらいました」。
料理の道を目指そうと思ったのもこの時で、その動機に、山下の仕事に対する考えかたが良く表れていた。
「マスターと2人でしょ。私が料理をすることができれば、マスターがもっとカウンターに出られると思ったんです。もちろん、マスターに言われたわけではありません。そうするほうが、店にとってもお客様にとってもいいだろう、と考えたからです」。
バーやマスター、お客様との時間が過ぎていった。
給料は、何に使っていたんですか、と聞いてみた、
「洋服かなぁ」という返事。
両親は、受験を頑張れば良いというスタンスで何も言われなかったそうだ。しかし、大学受験は理工を受けるも、失敗。浪人し、さらに予備校時代の夏休みに原付の交通事故で、正面衝突。3か月の入院を余儀なくされる。
そういうこともあり大学受験を断念した山下は、このバーで「社会人の一歩」を歩み始めている。ずいぶん長いバイトとなった。
・・・・続き
「1000円という時給も良かったんですが、マスターやお客様と過ごす時間が、なんともいえず濃厚で、それですっかり『飲食という仕事』に興味を持ち始めてしまったわけです」。
かつて読んだ「美味しんぼ」の影響も多少はあるのかもしれない。
マスターは40代。カウンター4席、4人掛けのテーブルが3つ、6人掛けのテーブル1つ。マスターと2人。山下はカウンターで、接客を担当していた。
「親父の友人も来て、焼肉屋に連れて行ってもらったり…。まだ高校生でしょ。とても、可愛がってもらいました」。
料理の道を目指そうと思ったのもこの時で、その動機に、山下の仕事に対する考えかたが良く表れていた。
「マスターと2人でしょ。私が料理をすることができれば、マスターがもっとカウンターに出られると思ったんです。もちろん、マスターに言われたわけではありません。そうするほうが、店にとってもお客様にとってもいいだろう、と考えたからです」。
バーやマスター、お客様との時間が過ぎていった。
給料は、何に使っていたんですか、と聞いてみた、
「洋服かなぁ」という返事。
両親は、受験を頑張れば良いというスタンスで何も言われなかったそうだ。しかし、大学受験は理工を受けるも、失敗。浪人し、さらに予備校時代の夏休みに原付の交通事故で、正面衝突。3か月の入院を余儀なくされる。
そういうこともあり大学受験を断念した山下は、このバーで「社会人の一歩」を歩み始めている。ずいぶん長いバイトとなった。
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(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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