in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社一幸 代表取締役 北見一幸氏が登場。
本文より~
セントバーナードを愛車がわりに通学。
「大きな製鉄所(新日鐵住金君津製鉄所)ができるらしい」。ずいぶんと昔の話。そんな話を耳にした祖父は、知人と共同出資し、ある旅館をオープンした。この旅館が、今回登場する北見の、最初の一歩を踏み出すステージとなる。むろん、オープン当初の記憶はない。おそらく北見が生まれる以前の話である。
北見が生まれたのは、千葉県木更津市。今ならアクアラインが誕生したおかげで、東京からも1時間圏内だが、当時は房総半島をグルリと回らなければいけなかったから、倍以上の時間がかかったのではないか。
北見家の旅館も、この市にあり、ビジネスホテルとしてにぎわった。東京など、通勤圏外からの仕事客も少なからずいたことだろう。北見が、子どもの頃には祖父母に代わって両親が旅館を切り盛りしていた。
「特別、繁盛しているような旅館じゃなかったんですが、借金もないし、食べていくのは困らなかったようですね」。
小さい頃の記憶も、思い起こしてもらった。「そういえば、幼稚園の頃、セントバーナードに乗って通っていましたね」と言って爆笑。運動神経も良く、成績も悪くない。生徒会長ではなかったが、リーダー的な存在だったそうだ。「○○旅館の○○くん」。旅館のおかげで、わかりやすい存在だったに違いない。
高校2年生、北見、中退す。
両親が旅館に住み込みで勤務していたこともあって、北見はきびしい祖母の下で躾けられた。小学生の頃までは、先生からも優等生と認められていたのではないだろうか。ところが、中学になると豹変する。
「当時は暴走族というのが全盛期で、私も、バイクに乗ったりしてね。中学からグレて、高校2年で『さよなら』しました。その世界とはね」。
ついでに学校からもオサラバした。中退である。
「当時は、北見と言ったら、少しは名が知られるくらいになっていたんです。でも、あることがあって、暴走族を辞めることにしました。それが、高校2年の時のことです」。 学校も退学した北見は、料理人の世界へ進んだ。いずれ両親の跡継ぎとして、旅館を切り盛りする時のためでもある。
「高校を辞め、ある意味、ドロップアウトしてしまったわけですが、それでも同い年の奴には負けたくないという思いは強かったですね。だから、料理人になるからには真剣にやろう、と」。
最初の修業先は、同じ木更津にある和食のホテルだった。
寿司屋は、天職。
「こちらも、うちの旅館同様、家族経営のような店舗でした。だからでしょうか。とても優しく接していただきました」。
見よう見まねで仕事を覚えた。それですぐに2年、経った。
「ある日、寿司屋の板前さんから声をかけてもらって、今度は、寿司屋で修業することになったんです」。手先が器用だったからだろう。それまでは軍艦巻きしか経験がなかったが、やってみると寿司もすぐに握れた。
「寿司屋で修業させてもらったのは、私の人生の、一つのターニングポイントですね。なにしろ天職だ、と思いましたから」。
ともかく、北見は人が好きだった。これは小学生の頃、リーダーをしていた時からかわらない。深夜、バイクで駆けたのも、友との語らいが好きだったからだろう。「カウンターってあるでしょ。カウンターの向こうには社長さんや、部長さんとかがいらして。ふつうだったら話せないような人と向かい合って、会話するわけですよ」。こんなに楽しい仕事はないと思った。だから、天職だとも言い切る。しかし、寿司屋で勤務して2年。天職の寿司屋から去らなければならない事件が起こった。