2015年1月6日火曜日

株式会社ゴリップ 代表取締役 勝山 昭氏登場。

本文より~

学校にいる意味がない?

勝山氏は1976年2月2日、京都府伏見市に生まれている。父は建築関連の職人。兄弟は3人で、勝山氏は3男。皆に可愛がられて育ったそうだ。
小学校の頃の夢は何ですか?と伺うと「社長」という答えが返ってきた。あながち空想ではなく、小学校の頃から、当時流行っていたTVゲームを売買していたそうだ。
「小学校4年の頃です。ファミコンが流行っていたんですね。それで私もファミコン通信の本を良く読んでいたんです。すると『あなたのファミコンのカセット買います』という広告が掲載されていて。それで、兄に内緒でファミコンを送ったんです。すると、当然ですが、ちゃんとお金がもらえました(笑)。それで、今度は、友だちの家に行って。まず私が友人からファミコンを買って、それを業者に売って儲けていました(笑)」。
小学生に似合わないほどの「商魂」である。
「祖父のDNAです。祖父は韓国から日本に渡ってきました。フロンティア精神に溢れ、ベンチャー精神もまた旺盛な人でしたから」。なるほど、頷ける。
ところで、フロンティア精神、ベンチャー精神と簡単に口にしても、人は既定のものにすり寄りたくなるから、実際に発揮するのは大変なことだ。既定路線を歩む人が圧倒的に多いのはそのためだろう。しかし、勝山氏は高校3年目にして、早くもその既定路線と決別する。
「高校3年の春です。担任に進路を聞かれた時の事です。『どうするんだ』と言うので、『商売をしたい』と答えたんです。『だったら、少しでも早い方がいい』と。たしかに、学校にいる意味が無いと思ったんです」。
「それで、退学の道を選びました。そう、学校を辞めてしまいました。家族は何も言わなかったですね。だいたい私が父から言われていたのは、『女の子とご飯食べるときは絶対に男が払うこと』、それだけでした(笑)」。

23歳、独立。しかし…。

高校を卒業して、父と同じ設備関連の仕事を始めた。決して楽しい仕事ではなかった。理不尽な事もあった。頭も下げた。今まで知らなかった父の姿を知ることにもなり、改めて父の偉大さを知ったのもこの頃。それでも、この仕事で独立するために頑張った。23歳になった。経験は5年。その時、念願の独立を果たすことになる。
「設備の仕事って、現場では最も下に見られるんです。大工がいるでしょ。彼らが、事務所でご飯を食べている時に私らは入ることができないんです。『設備屋が、何しに来たんだ』って怒りだすわけです。年齢も関係ない。独立してからも、こちらは社長なのに、現場での立場は私が一番下だから、例えば大工をやっている15や16の金髪の若者からもタメ語で話をされるんです」。
仕事だと割り切っていたからできた。たまたま父と同じ現場にいた時、父が若者にひたすら頭を下げているのを目撃した。カッとなった。一方で父は偉いとも思った。また、2人でタッグを組み、偉そうな相手をぶっ飛ばしたこともあった。
ともかくも、独立をした状況で従業員も1人抱えた。韓国に初めて渡ったのもこの頃の話である。
「以前から興味があった韓国へ行ったのですが、言葉も全然話せませんでした(笑)。でもね。当時は、まだ『日本』っていうのは一種のブランドだったんです。交差点で可愛い子に日本語で声を掛けまくっていると、ちょうど日本語を勉強している子とかに会えたりしたんです。短い期間でしたが、友達が一杯できました」。
もちろん長期滞在というわけにはいかなかった。しかし、その短い期間に心が変化した。「韓国に行ったことで、友達も沢山できて。まぁ、みんな同年代だったのですが、そういう彼らを見ていて、俺の人生これでいいのかな、と疑問を持つようになったんです」。
「いいわけがない」。それが、結論だった。
当時、勝山氏がやりたいと思っていたのは、貿易の仕事だった。その道に進むため、起業した会社をわずか8ヵ月で畳むことにした。「私は20万円だけ取って、残りは1人いた従業員に全部あげました。道具類も全部です。身軽になった状態で私はもう一回、韓国に向かいました」。


・・・続き

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