in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にジャパントータルロブロス株式会社 代表取締役社長 Yocco氏登場。
本文より~
「Yocco’s Kitchen Bake & Cafe」オープン。
Yocco’s Kitchen Bake & Cafeは北海道の食材を厳選し、“Tasty, Healthy, Happy”にアレンジしたメニューが揃う、北海道がテーマのカフェレストランだ。同店はオープン初日から軽快な足取りでスタートし、今も尚、話題を集めている。
「このお店は、私が初めて全面プロデュースしたお店です。イスの高さや座り心地、スプーンの口当たりひとつに至るまで、女性の感覚や視点を大切にして選び抜きました」、とYoccoさんは話す。
店内に入ると、オープンキッチンが真っ先に目に入る。「料理のライブ感をお客様に楽しんで欲しくて」、とYoccoさんはほほ笑む。
何より驚いたのは、北海道の食材を開拓するために部長をわざわざ北海道に移住させたという話を聞いた時だ。
「北海道は食の宝庫なので、以前からずっと気になっていました。何度か視察を重ねるうちに、本気で食材や生産者の方々と向き合うには移住しかないと、元料理人の部長に白羽の矢を立てました。部長が移住して2年経ちますが、有り難いことに今ではLOBROSだからと特別に分けていただいている食材がほとんどです」。
部長は月の半分が北海道、もう半分が東京という生活らしいが、そこまでして「食材」にこだわる理由はYoccoさんの生い立ちを伺うと自然と理解できた。
生粋の飲食人人生
Yoccoさんは東京都立川市で、代々続く小料理屋の娘として生まれ育った。「祖母の代から私の実家は料理店です。父は大工でしたので、店は母が運営していました。私は幼い頃からこのお店が大好きで、いつもお店の手伝いをしていました」。
何より聞いていて面白かったのは、その家庭のあり方だった。当時を知る、会長であり夫の坂井克郎氏は一つのエピソードを教えてくれた。
「彼女の家に遊びに行った時のことです。台所の床にブルーシートが敷いてあって、その上をみんなが足踏みをして、何度も何度も行き来しているんです。僕はてっきり雨漏りか何かをして修理しているのかと思ったら、実はうどんを踏んでいた(笑)裏庭には梅や大根が干してあって、彼女の家はそれが自然だったんです」
Yoccoさんは続ける。「祖母の代から料理店をやっていたこともあって、お付き合いの幅が広かったんだと思います。家にはカギをかけた記憶もなくて、家族がいない時でも誰かが我が物顔で家にいました。知らない人まで勝手に入ってきて、気づいたら宴会が始まっている、そんな賑やかな家でした。私はそこでツマになるものを作っていました。」
「たまに自宅に知人や友人を招いてちょっとしたパーティーをするのですが、彼女がそこで本当にちょっとしたものでも振舞うと、大絶賛の嵐なんです」と、坂井氏は話す。料理のコツは食材の切り方や厚みだったりするんですけどね、と、Yoccoさんはさらりと教えてくれた。きっと幼少からの経験が、自然と彼女を料理の天才にしたのだろう。
天真爛漫な魅力
姉妹は姉と弟の3人。しかし実家の料理店に頻繁に出入りしていたのは、真ん中のYoccoさんだけだったそうである。「どうしてでしょうね。私は料理も大好きになったし、人と接することも大好きになった。人好きな母や祖母の性格を兄弟のなかで一番私が受け継いだのかもしれません。そして、こういう環境で育ったことは私にとって、大きな意味を持っていると思います。誰とでも気兼ねなく会話できるようになったのもそうだし、だいたい、誰と会話してもストレスがないし、抵抗も感じない。これってとっても『飲食向きの性格』だと思いませんか?」
「彼女が年末年始に手伝いに行くと、大金を持って帰ってくるんです。どうしたのか聞くと、お客様たちがお年玉をくれたと。それくらい彼女はみんなから慕われていたんです」と、坂井氏もその魅力を惜しみなく話すのだった。
その中でも特に、Yoccoさんの人柄を裏付けるエピソードがあった。
伝説のロイヤルホスト
Yoccoさんは高校を卒業後、ロイヤルホスト株式会社に就職し、立川店に勤務する。
「近くに米軍の基地があるのですが、彼女が勤務している日には彼女に会いに来る米軍の隊員たちで行列ができるんです。こんな店員、見たことないと度肝を抜かれましたね。しかも彼女は広い店内を一人で回しているんです。そこにも驚きました。彼女は僕が勝てない存在の一人です」と、坂井氏は話す。
Yoccoさんがいるだけでお店の雰囲気が変わると言われるほど、Yoccoさんは自然と誰とでも打ち解け、空気感さえも変えてしまう。そんなYoccoさんの明るさが、彼女のファンを増やしていったのだろう。
「ロイヤルホストでは7年くらい勤務していました。その後、お声掛けいただいてイタリアンジェラートの『ドナテロウズ』に転職しました。こちらでは作り手の気持ちを知りたくて、販売のみならず製造も担当しました。その後も様々な経験を通して飲食店経営のノウハウを学び、会長と一緒にLOBROSを立ち上げたのはこの後です」。