2015年10月13日火曜日

有限会社いっとく 代表取締役社長 山根浩揮氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”有限会社いっとく 代表取締役社長 山根浩揮氏登場。
本文より~

広島県尾道に生まれた少年2人。

「コンビニもない時代だった」と「いっとく」の山根氏。コンビニもないその時代に、父親が持ち帰り鮨の店を開いた。広島県尾道市での話である。
 「オープンしてすぐに人気になって、行列もできたそうです。うちの家には、酢飯の匂いが漂っていました(笑)」。
兄弟は、兄が1人。1才違いである。「2人一緒に、朝から親父にたたき起こされ、市場に連れて行かれたりしました。そうやって、『中学を出たら鮨屋になれ』と脅かされていたんです(笑)」。
山根氏は、笑いながら言うが、結構、マジメな話でもあったようだ。
「電話に出ても、『いつもお世話になっております。山根でございます』って、ちゃんと言わないと怒られるんです。鮨屋の仕事を継がせるための、躾です」。
「そういうこともあって、私たち兄弟は、自然と『店を継ぐんだ』と思っていました。もっとも私は、次男だから兄の背中をそっと押していたんです。なるべく、こちらにお鉢が回ってこないようにと祈りながら(笑)」。
将来を父親に握られた格好の山根兄弟だったが、それでも2人は活発な少年で、近所では有名な、勉強もスポーツもできる兄弟だったそうだ。
「頭も良かったし、スポーツもできたからね。特に兄貴は足が速くて県大会にも出場しています。習い事もようしよったね。私は8つ掛け持ちしていました。公文が3つ。それにソロバン、ピアノ、習字、水泳、お絵描き教室にも通っていた。兄貴はたしか7つだったから、習い事の数なら兄貴に負けてなかったんやね」。
兄ほどではないが、山根氏本人も足が速く市大会には毎回出場していたそうだ。その快足を活かして、中学からサッカーを始めている。
「結局ね、勉強はせんようになってしまうんですが、それでもヤンチャにもならず、まっとうな学生時代を送れたんはサッカーのおかげやと思っています。親父が亡くなっても、グレんかったしね」。
中学ではキャプテン、高校では副キャプテンを務めた。大学に進学していたら、もう一つ役職をもらっていたかも知れない。

大学進学、断念。

山根氏の父親が亡くなったのは、氏が中学2年生のことである。父が経営していた鮨屋は、母が引き継いだ。
だから、山根氏にとっては、母親が店の代表という時期のほうが長い。
「私が中2の時からおかんが代表です」と言って笑う。
いま、母から譲り受け山根氏自身が3代目の代表となっている。こちらは今回の「有限会社いっとく」とは別の話だが、つながってはいる。
 「子どもの頃から、店の跡取りのように躾られてきたこともあって、いつかはと思っていたんですが、母一人でも店は順調でした。だから、甘えていたんでしょう。サッカーは楽しいし、できればもうちょっと遊んでいたかった。それで、大学に進学しようと画策するんです」。
小学校の頃は、優秀な方だったが、サッカーに明け暮れ、勉強とはずいぶん遠ざかっている。学力で勝負しても勝ち目はない。
「だから、日本で偏差値がいちばん低い大学と2番目の大学を、サッカーの推薦もあって受けたんです。しかし、腹が立つことに2つとも不合格です。信じられず、当時は、『この、バカヤロー』と叫んでいました。いま考えると、落としてくれて『ありがとう』なんですがね。そのおかげで道も広がったわけですから」。

・・・続き

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