本文より~
小さな頃から「飲食」を志した少年。
蓮川氏が生まれたのは、1973年。出身は、愛知県日進市である。蓮川氏の父親が30歳の時にこの市に「焼鳥居酒屋」をオープンする。
「もともと母方の祖母が焼肉やホルモンの店をやっていたこともあったんでしょうね。それに感化されたのか、30歳の時に父が脱サラして焼鳥居酒屋をオープンするんです。それまでは、トヨタ系列のディラーで勤務していたそうです」。
「オープン当時から繁盛していたそうです。私も小さな頃から店に行き、小学校の頃には手伝いもしていました。この頃から、将来は『飲食』と思っていました」。
「親がたのしく働いているのをみて」「ものづくりにも興味があって」「直接、お客様に喜ばれる仕事だから」。
「どうして、飲食を好きになられたんでしょう?」と質問すると、蓮川氏は、飲食に惹かれた理由を前述通り3つ挙げた。いずれも純粋な動機である。観察眼もまた鋭い少年だったに違いない。
ともあれ、小さな頃から飲食に馴染み、店に溢れる笑顔に惹かれた少年は、大人になっても「志」を忘れず飲食への道をあゆむことになる。
「もともと母方の祖母が焼肉やホルモンの店をやっていたこともあったんでしょうね。それに感化されたのか、30歳の時に父が脱サラして焼鳥居酒屋をオープンするんです。それまでは、トヨタ系列のディラーで勤務していたそうです」。
「オープン当時から繁盛していたそうです。私も小さな頃から店に行き、小学校の頃には手伝いもしていました。この頃から、将来は『飲食』と思っていました」。
「親がたのしく働いているのをみて」「ものづくりにも興味があって」「直接、お客様に喜ばれる仕事だから」。
「どうして、飲食を好きになられたんでしょう?」と質問すると、蓮川氏は、飲食に惹かれた理由を前述通り3つ挙げた。いずれも純粋な動機である。観察眼もまた鋭い少年だったに違いない。
ともあれ、小さな頃から飲食に馴染み、店に溢れる笑顔に惹かれた少年は、大人になっても「志」を忘れず飲食への道をあゆむことになる。
個人経営ではなく、組織にして。少年の希望は広がる。
「飲食という事業に惹かれる一方で、たいへんさも、もちろんわかっていました。夏休みもありませんしね(笑)」。
蓮川氏自身、夏休みになっても、どこにも連れて行ってもらったことがないから、その点がクローズアップされる。
「それで、考えたのが企業化です。父親も、祖母も個人店だったんで、それはそれで楽しいんでしょうが、自由がきくようで、きかない。だから、私は、そうじゃなくって、ちゃんと休みも取れるように企業化すればいいと思ったんです。それで、大学を出て、名古屋市内の居酒屋チェーンに就職しました。チェーン店なら企業としてもしっかりしている。そのノウハウも盗めると思って…」。
話は就職時までいっきに飛ぶ。
蓮川氏自身、夏休みになっても、どこにも連れて行ってもらったことがないから、その点がクローズアップされる。
「それで、考えたのが企業化です。父親も、祖母も個人店だったんで、それはそれで楽しいんでしょうが、自由がきくようで、きかない。だから、私は、そうじゃなくって、ちゃんと休みも取れるように企業化すればいいと思ったんです。それで、大学を出て、名古屋市内の居酒屋チェーンに就職しました。チェーン店なら企業としてもしっかりしている。そのノウハウも盗めると思って…」。
話は就職時までいっきに飛ぶ。
有名なチェーン店に就職。しかし、半年でリタイア。家業の立て直しに奔走する。
就職したのは、名古屋でも有名なチェーン店舗。名証2部上場の企業でもあった。ところが、およそ半年で退職してしまう。
「半年と言っても、 がむしゃらにやっていたのでかなり勉強もできましたし、当時、うちの店の調子が悪かったものですから、立て直しに向かいました」。
当時、蓮川氏の実家の焼鳥居酒屋は、低迷を余儀なくされていた。バブルが弾けたとたん、600万円だった月商が半分程度に落ち込んでしまったそうだ。
「バブルの時は良かったんです。どんな店でも、繁盛しましたから。でも、バブルが弾け、選別の時代が始まった」。
客が減ったのは、バブルが崩壊したせいばかりじゃない。理由も、薄々わかっていた。
BGMは、昔通りの演歌。マグロは、近所のスーパー購入した代物。それでいて「焼きなす」600円。たしかに、高いし、こういってはなんだが、素人にも低迷の理由がわかる。
蓮川氏はそれらを次々見直していく。
「いちおう、仕入れも勉強していましたので、市場まで行って新鮮な魚を買い付けてきました。料理にもこだわると、お客様も元通り増え、雰囲気もいっぺん。元の600万円の月商にもどるにもそう時間がかかりませんでした」。
「半年と言っても、 がむしゃらにやっていたのでかなり勉強もできましたし、当時、うちの店の調子が悪かったものですから、立て直しに向かいました」。
当時、蓮川氏の実家の焼鳥居酒屋は、低迷を余儀なくされていた。バブルが弾けたとたん、600万円だった月商が半分程度に落ち込んでしまったそうだ。
「バブルの時は良かったんです。どんな店でも、繁盛しましたから。でも、バブルが弾け、選別の時代が始まった」。
客が減ったのは、バブルが崩壊したせいばかりじゃない。理由も、薄々わかっていた。
BGMは、昔通りの演歌。マグロは、近所のスーパー購入した代物。それでいて「焼きなす」600円。たしかに、高いし、こういってはなんだが、素人にも低迷の理由がわかる。
蓮川氏はそれらを次々見直していく。
「いちおう、仕入れも勉強していましたので、市場まで行って新鮮な魚を買い付けてきました。料理にもこだわると、お客様も元通り増え、雰囲気もいっぺん。元の600万円の月商にもどるにもそう時間がかかりませんでした」。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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