in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”にすかいらーくグループの株式会社トマトアンドアソシエイツ 代表取締役社長 小花良一郎氏登場。
本文より~
静岡県藤枝市。
小花氏は1955年2月26日、静岡県藤枝市に生まれる。藤枝市は、静岡県の中部に位置する都市で人口は少なくない。
「代々農家で、私で13代目です。もっとも何代か前から兼業となり、祖父は校長で、父は農林水産省の役人。今は、残念ながら農業はしていません」。
それでも、昔からの実家はあるそうで、築160年という。「煤が天井にへばりついて、時々落ちてきますが、まだしっかりしていますよ」とのこと。前は囲炉裏があり、平屋だが、広い部屋が8つもあるそうだ。
「父が、農林水産省の役人だったこともあって転勤が多かったんです。私は、すぐに馴染めるタイプだったもんですから苦にならなかったんですが、中学に進学する時に『さすがに、転々とするのは良くない』と、姉と一緒に祖父母のもとに送られました」。
だから、中学からは祖父母の住まいがある静岡県藤枝市がホームグランドとなった。
ノーと言える人間になれ。
中学生になった小花氏は野球を開始する。運動神経が良く、こちらでもすぐに人気者になった。高校でも野球をつづけた。進学したのは「藤枝東高校」。サッカーファンの方なら、学校名をご存知かもしれない。
「そうなんです。サッカーの強豪校で、私がいた3年間だけでも全国優勝を2回。ちょうど私らの代が準優勝でした」。
小花氏が所属する野球部は、どうだったんだろう?
「こちらは、ぜんぜんだめ(笑)。そもそもメンバーも少なかった」。
監督も元々は部外者の方だったそうで、サッカーと比べるまでもなく、先生方の期待も薄かった。とはいえ、中・高の合計6年間、グランドで汗を流したのは、事実である。
この頃、祖父から「ノーと言える人間になれ。イヤと言えることがほんとうの勇気だ」と教わった。これが小花氏の人生訓となる。
「祖父は、アメリカ人みたいになれといったわけじゃありません。戦争体験を通し、その後悔から、長いモノに巻かれるのはいけない。『はっきりとノー』と言うことが大事なんだと言いたかったんです」。
胸に響いた。ただ、この時、「ノー」と言うむずかしさをどれだけ理解できていたかは、わからないが…。
専修大学進学、アルバイト三昧の日々が始まる。
大学は、専修大学に進学。本命の大学に落ち浪人するつもりでいたが、母の「大学で何をしたいの?」という一言で進学の目的をつかみ、専修大学に進学した。同時に、東京での独り暮らしもスタートする。
東京に行くからには、「生活費も含め、自分なんとかする」と言った手前、アルバイトも早々に開始しなければならなかった。
「新宿にあるパブで、5月からアルバイトを開始しました。それから4年間、バイト三昧」と小花氏は笑う。
生活費や学費だけではなく、バイトに明け暮れるもう一つの目的は、旅費だった。
「石垣島出身の友だちができたのがきっかけで、夏休みだけじゃなく、春休みも、冬休みも石垣島に出かけました。東京から船で47時間。それで沖縄に着き、そこからプラス16時間です。向こうでも、アルバイトをして暮らしました。この時、できた友人たちとは今も親交があります」。
年齢も、出身も違う。
「そういう奴らと、男女も関係なく夜な、夜な、泡盛。楽しくないはずはないですよね」と小花氏は語っている。
それにしても行くだけで、63時間。この行動力も、ある意味、小花氏のちからの源泉かもしれない。
ファミリーレストランの時代到来。
「大学3年時に、アルバイト先のマネージャーからロイヤルホストを紹介されたんです。これからは、ファミリーレストランの時代だと言って」。
小花氏が大学3年といえば1976年。まさにファミリーレストランが、時代の寵児へとかけ上がっていく頃だ。
「11時のオープン前から列ができた」と当時を知る人から聞いたことがある。「『これからはファミリーレストランの時代」とマネージャーが言ったことは、まことにただしい。
しかし、就職先として考える学生はまだ少ない時代だった。小花氏も「大学出て、コックをやるのか」と父親に一言、いやみを言われたそうだ。
ところで、当時のファミリーレストランといえば、「ロイヤルホスト」と「すかいらーく」が東西の双璧だったのではないだろうか。
「ロイヤルホスト」は北九州市に1号店をオープン。「すかいらーく」は、東京都府中市に1号店を出店する。「すかいらーく」の前身は「ことぶき食品」。創業者である横川4兄弟は、あまりに有名だ。
さて、小花氏は東の雄、「すかいらーく」に就職する。本部の活気に惹かれたからだ。ちなみに現在、株式会社すかいらーくの社長を務める谷真氏も小花氏と同期入社。谷氏は、当時の様子を「火の玉集団だった」と言っている。
ともかく、就職は決まった。同期は100名。彼らは「すかいらーく」8期生である。
出店につぐ、出店。
「私が、入社した時には42店舗でした。いまから思えば、『まだ42店』ですが、当時はもう42店舗かというイメージです。昇格スピードも早く、1年でキッチンチーフになりました」。
「ただ、忙しかったのは事実です。1週間に1回くらいは休むように心がけていたんですが…」。
しかし、本人たちは、それで当然と思い込んでいたようだ。
「辞めようとも、思わなかった」と言っている。
しかし、そんな小花氏だが、一度だけ、辞めようと思ったことがあったそうだ。
・・・続き
すかいらーくグループの株式会社トマトアンドアソシエイツ 代表取締役社長 小花良一郎氏