本文より~
ベルギーにて。
ベルギーは、ドイツ、オランダ、フランス、ルクセンブルクの4ヵ国に接している。ドーバー海峡の向こうは、イギリスである。
今回、ご登場いただく北浦氏がベルギーに渡ったのは、3歳の頃。父親の仕事の関係だったそうだ。
「父は、パイオニアに勤めるエンジニアで、この時は海外転勤です。家族4人で海を渡りました。まだ3歳でしたので、不安はなかった。向こうで10歳になるまで暮らしていましたので、逆に日本に帰る時のほうが不安だったかもしれません」。
ベルギーでは、ドイツ料理が主食だったそうで、「ソーセージやパン、ハンバーガー」を食べていたという。ベルギーの言語は、フレミッシュ(フラマン語)というらしいが、北浦氏自身は、インターナショナルスクールにいたため、もっぱら英語でコミュニケーションを取っていたそうだ。
今回、ご登場いただく北浦氏がベルギーに渡ったのは、3歳の頃。父親の仕事の関係だったそうだ。
「父は、パイオニアに勤めるエンジニアで、この時は海外転勤です。家族4人で海を渡りました。まだ3歳でしたので、不安はなかった。向こうで10歳になるまで暮らしていましたので、逆に日本に帰る時のほうが不安だったかもしれません」。
ベルギーでは、ドイツ料理が主食だったそうで、「ソーセージやパン、ハンバーガー」を食べていたという。ベルギーの言語は、フレミッシュ(フラマン語)というらしいが、北浦氏自身は、インターナショナルスクールにいたため、もっぱら英語でコミュニケーションを取っていたそうだ。
10歳で帰国した少年の不安と葛藤。
10歳という年齢がそうさせたのだろう。ベルギーに渡った時より、母国、日本に帰国した時のほうが、馴染むのが難しかった。
「英語中心で暮らしてきたもんですから、日本語にも慣れていないし、何より向こうでは社会や理科という科目を習わないんです。習ってないと言っても、社会と理科もやらないわけにはいきませんでした」。
帰国した北浦氏は、両親の配慮もあり、英語教育が進んでいた、浦和にある私立の小学校に編入する。
当時、異国で育った北浦氏にとって日本という国はどういうふうに映ったのだろうか。10歳といえば小学4年生。帰国子女だからといって、周りの生徒たちがそれに配慮できる年齢でもないが、クラスメイトは友好的に接してくれた。
弱くてはいけないと、ヤンチャなふりをしたこともあった。帰国子女は、そうやって少しずつ日本に慣れていった。
「英語中心で暮らしてきたもんですから、日本語にも慣れていないし、何より向こうでは社会や理科という科目を習わないんです。習ってないと言っても、社会と理科もやらないわけにはいきませんでした」。
帰国した北浦氏は、両親の配慮もあり、英語教育が進んでいた、浦和にある私立の小学校に編入する。
当時、異国で育った北浦氏にとって日本という国はどういうふうに映ったのだろうか。10歳といえば小学4年生。帰国子女だからといって、周りの生徒たちがそれに配慮できる年齢でもないが、クラスメイトは友好的に接してくれた。
弱くてはいけないと、ヤンチャなふりをしたこともあった。帰国子女は、そうやって少しずつ日本に慣れていった。
就カツ時代。
英語ができる、それだけで優位だと思うのだが、「就職では苦労した」という。「兄は大手企業に就職したんですが、私は惨敗でした」。
高校に進学した北浦氏は、学校もさぼりがちだったが、とにかく大学だけはと、3年から猛勉強して「獨協大学」に進学。それから4年経って、いよいよ就職という時のことである。
「そもそも就職活動に対し、漠然と疑問を感じていたんです。これからの人生の大部分を占める仕事を決めるのに、これで、いいんだろうかって。『やりたいこと』『好きだと言えること』って、なんだろうかって」。
考えれば、考えるほど迷走する。答えはいつまでたってもみつからない。ごはんもろくに食べられなくなった、そうだ。
「『みんながやるからオレもやる』はもうやめだって思ったんです」。
その時、浮かんだ言葉は、「好きなことをやっちゃえばいい」だった。魂の言葉だったと北浦氏は言っている。
高校に進学した北浦氏は、学校もさぼりがちだったが、とにかく大学だけはと、3年から猛勉強して「獨協大学」に進学。それから4年経って、いよいよ就職という時のことである。
「そもそも就職活動に対し、漠然と疑問を感じていたんです。これからの人生の大部分を占める仕事を決めるのに、これで、いいんだろうかって。『やりたいこと』『好きだと言えること』って、なんだろうかって」。
考えれば、考えるほど迷走する。答えはいつまでたってもみつからない。ごはんもろくに食べられなくなった、そうだ。
「『みんながやるからオレもやる』はもうやめだって思ったんです」。
その時、浮かんだ言葉は、「好きなことをやっちゃえばいい」だった。魂の言葉だったと北浦氏は言っている。
逡巡の末、オーストラリアへ、行こう、と決めた。
「目的があれば、ぜんぜん違うな、そういうのを頭だけではなく、心や体で感じることができた」というのは、オーストラリアへ行くと決めた時に始めた倉庫のバイトでのことである。
それまで何をしてもなかなか続かなかった北浦氏だが、「オーストラリアへ」という目的があったことで、いままでとは、すべてが違っていた。「目的というものの、力を知った」と北浦氏は言う。
就職活動に迷走した北浦氏は、就職せずという道を選択し、ワーキングホリデーでオーストラリアに向かうと決意したのである。
「もっと強くならなければ、というのが当時の私の思いです。将来に対する不安があるのも自身の問題だと。だから、私自身を鍛え直すためにも、海外に行こうと思ったんです」。
英語はできるといっても、渡航経験がベルギー以外にあるわけはない。シドニーの空港に降り立った時は「足がふるえて、とまらなかった」そうだ。
それまで何をしてもなかなか続かなかった北浦氏だが、「オーストラリアへ」という目的があったことで、いままでとは、すべてが違っていた。「目的というものの、力を知った」と北浦氏は言う。
就職活動に迷走した北浦氏は、就職せずという道を選択し、ワーキングホリデーでオーストラリアに向かうと決意したのである。
「もっと強くならなければ、というのが当時の私の思いです。将来に対する不安があるのも自身の問題だと。だから、私自身を鍛え直すためにも、海外に行こうと思ったんです」。
英語はできるといっても、渡航経験がベルギー以外にあるわけはない。シドニーの空港に降り立った時は「足がふるえて、とまらなかった」そうだ。
・・・続き
株式会社ブラザーズ 代表取締役 北浦明雄氏
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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