2016年1月12日火曜日

株式会社マルリュウフードサービス 代表取締役 奥橋隆二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”関西串カツ まるりゅうを経営されている株式会社マルリュウフードサービス 代表取締役 奥橋隆二氏登場。
本文より~

父親の脱サラ宣言。

「父親は航空部品の会社に勤めていました。私が生まれたのは1982年、兄と弟の男三人兄弟。小さい頃は超人見知りで、恥ずかしがり屋。人前には絶対に出られない子でした(笑)。
いまや兄弟全員、飲食の仕事をしていますが、元々は料理に興味がなく、まさか飲食の仕事をするとは思っていませんでした」。
奥橋氏だけでなく、兄弟3人ともサッカー部に所属。スポーツは得意で「体育の授業だけは燃えた」と言って笑う。
「中学校3年生のとき体育祭実行委員長をやらされ、そこで人前に出ることの楽しさを知ったような気がします。とにかくみんでワイワイやることが好きで、イベント事は燃えていました」。
小・中とサッカーに打ち込んだ奥橋氏だったが、高校では帰宅部で、学生生活を謳歌している。進学したのは男子校で、都内の中心にある高校。「アルバイト、スノボー、スケボー、サッカー、麻雀。仲間と遊びに明け暮れた生活をしていました。いまでも、『まさかお前が経営者になるとは思わなかった』と周りから言われます。(笑)」。
やればできるはずだが、勉強は好きなほうではない。だからと言って、大学進学以外の道もない。「そうですね。最初は普通に進学だと思っていました。予備校にも通っていましたから」。ところが、高校3年生で予備校に通っている時に父親が脱サラすると言い出した。
脱サラして何をするのかという問いに、父親は「やきとり屋」と答えたそうだ。

素人ばかりで、やきとり屋オープン。

「ある店のFCに加盟しました。本部が良心的だったのでそちらに決めたそうです。場所は東横線の日吉駅で、14坪程度の小さなお店。オープン時は、私や兄はもちろん、私たちの友達をアルバイトとして採用し、『わいわい、がやがや』サークル感覚でスタートしました」。
『わいわい、がやがや』。たしかに、元気は一杯だった。しかし、父親をはじめ全員素人。料理も接客もまったくやったことがないメンバーでスタート。「本部から社長が来てくださっていましたが、ほぼ全員が素人ですから、とにかくめちゃくちゃでした」。
お客様に叱られながらも、元気と笑顔で乗り切り、次第にお客様も増え、月商300~350万くらいは売っていました。
その後、奥橋氏は2年間この店で勤務した。
「ということは?」とふってみると。
「そう、大学進学はやめました。もともと大学進学にこれといった思いもありませんでしたし、行っても無駄に遊んでいたと思います」という返答。加えて「店で働いているうちに、飲食が好きになった」。この時になんとなく、将来自分のお店を持つことを考えていたのかもしれない。

スノーボードにはまる。

「私が飲食で食べていくと決意したのは、スノーボードで食べていけないと悟ったときかもしれません」。
父のやきとり屋を卒業した奥橋氏は、趣味だったスノーボードにのめり込んでいった。
20歳の冬、新潟県にあるペンションで勤務したのも、スノーボーダーとなるためだった。かなり真剣だったことが伺える。
「住み込みで働きました。周りの奴らもみんなスキー、スノーボードのために来ていましたから、話も合うし、楽しかった。今でもいい思い出です。ですが…」。
この後、奥橋氏はニュージーランドに飛ぶ。
「しかし、ニュージーランドで現実を見ました。全然かなわないし、プロ選手でも食べていけるスポーツじゃないと知りました。そこで、完全に燃え尽き、辞めました」。
スノーボードでは先がない。なら飲食しかない。ここで決意をした。

・・・続き


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