本文より~
奈良県、生まれ。
奈良県は、大阪府という大都市に隣接し、ベッドタウンとして古くから開発されてきた。むろん、古都でもある。
今回、ご登場いただいた田中氏は、1949年奈良県に生まれている。父は関西電力の社員、母は専業主婦で一般的なサラリーマン家庭で育ったそうだ。兄弟は、2人。田中氏は長男で、のちに弟と事業をともに起業することになる。
「子どもの頃を一言で」とお願いすると、「ガキ大将」という返答。もっとも「だれかに引っ張られながらの、ガキ大将だった」らしい。
「中学になってバスケトボール部にはいりました。でも、練習もろくにせえへん生徒でした」。
「熱心なのは、今も昔も、遊びだけ」とこちらを笑わせてくれる。
今回、ご登場いただいた田中氏は、1949年奈良県に生まれている。父は関西電力の社員、母は専業主婦で一般的なサラリーマン家庭で育ったそうだ。兄弟は、2人。田中氏は長男で、のちに弟と事業をともに起業することになる。
「子どもの頃を一言で」とお願いすると、「ガキ大将」という返答。もっとも「だれかに引っ張られながらの、ガキ大将だった」らしい。
「中学になってバスケトボール部にはいりました。でも、練習もろくにせえへん生徒でした」。
「熱心なのは、今も昔も、遊びだけ」とこちらを笑わせてくれる。
「かっこええから」と大手アパレル会社に就職。
ガキ大将が就職先に選んだのは、当時、流行していたアパレルブランドの一つだった。
「アイビーとかヨーロピアンとか、いうてね。とにかく、かっこ良かった。私が、その会社を選んだのも、かっこ良かったから。ただ、それだけです(笑)」。
ブランド名を聞いて「なるほど」と思った。たしかに当時、だれもが憧れたブランドである。
「フランチャイズのショップも多かったんですね。私は、そういうショップやオーナーをみてきました。当時は、経済も右肩上がりの頃でしょ。『こりゃ、サラリーマンやっている場合ちゃうわ』と思って。そう、30歳の時に、独立するんです。商社に勤めとった弟を誘って2人で、ね」。
奈良駅前に、奇妙なフードを出す喫茶店がオープンしたのは、それからしばらくしてからである。店名は、「BABYFACE」。
「アイビーとかヨーロピアンとか、いうてね。とにかく、かっこ良かった。私が、その会社を選んだのも、かっこ良かったから。ただ、それだけです(笑)」。
ブランド名を聞いて「なるほど」と思った。たしかに当時、だれもが憧れたブランドである。
「フランチャイズのショップも多かったんですね。私は、そういうショップやオーナーをみてきました。当時は、経済も右肩上がりの頃でしょ。『こりゃ、サラリーマンやっている場合ちゃうわ』と思って。そう、30歳の時に、独立するんです。商社に勤めとった弟を誘って2人で、ね」。
奈良駅前に、奇妙なフードを出す喫茶店がオープンしたのは、それからしばらくしてからである。店名は、「BABYFACE」。
「ピザいうても、奈良の人は知らへんかってん」。
「独立する時には、アパレルか、飲食かと迷ったんです。ただ、アパレルは在庫があるでしょ。仕入れも、億単位になってしまう。そんな資金もないから、飲食ってことになったんです。当時は、喫茶店も結構、儲かっていましたからね」。
「ただ、喫茶店というよりカフェのイメージで、料理もピザとか、パスタとかイタリア系で勝負しかったわけです。東京では、流行っていましたね」。
しかし、1979年の奈良のことである。
「その当時、奈良の人は『ピザ』いうても、よう知らんかったんです。奇妙な食いもんくらいに思ったはったんと違いますか。パスタも知らへん。当然、客はけぇへんから、そうやね、半年くらいは、弟とキャッチボールばっかりやってました」。
兄と弟が、キャッチボールを繰り返す。微笑ましいが、内心どうだったのだろう。
「そうですね、あの時が、いちばんきつかったんとちゃいますか。半年くらいしてから、急に繁盛し始めて、それからいままで、ピンチも一度もなかった。だから、よけいに記憶に残っています」。
以来、ピンチが一度もない。なかなか考えにくいことだが、強がりでなければ、うそやごまかしの類いでもない。当初のピンチを乗り越えた「BABYFACE」は、それから順風満帆で、今に至る。ところで、キャッチボールで暇をつぶしていた店が、どうしてヒットしたんだろう。
「月商1000万円」にとどいたとも言っている。
「ただ、喫茶店というよりカフェのイメージで、料理もピザとか、パスタとかイタリア系で勝負しかったわけです。東京では、流行っていましたね」。
しかし、1979年の奈良のことである。
「その当時、奈良の人は『ピザ』いうても、よう知らんかったんです。奇妙な食いもんくらいに思ったはったんと違いますか。パスタも知らへん。当然、客はけぇへんから、そうやね、半年くらいは、弟とキャッチボールばっかりやってました」。
兄と弟が、キャッチボールを繰り返す。微笑ましいが、内心どうだったのだろう。
「そうですね、あの時が、いちばんきつかったんとちゃいますか。半年くらいしてから、急に繁盛し始めて、それからいままで、ピンチも一度もなかった。だから、よけいに記憶に残っています」。
以来、ピンチが一度もない。なかなか考えにくいことだが、強がりでなければ、うそやごまかしの類いでもない。当初のピンチを乗り越えた「BABYFACE」は、それから順風満帆で、今に至る。ところで、キャッチボールで暇をつぶしていた店が、どうしてヒットしたんだろう。
「月商1000万円」にとどいたとも言っている。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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