2016年3月29日火曜日

株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社小肥羊ジャパン 代表取締役 青山 浩氏登場。
本文より~

火鍋、そのルーツ。

小肥羊。「しゃおふぇいやん」と発音するそうだ。「小肥羊は1999年、中国・内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)市で誕生した火鍋専門店です。1号店がオープンするやいなや行列ができる人気店となり、2003年までの4年間でフランチャイズを含め、中国全土に約700店舗を開店するに至ります。私が小肥羊に出合ったのは2005年で、日本に第1号店をオープンしたのは、2006年9月です」。
日本でもすっかり馴染になった火鍋。そのルーツは、この「小肥羊」と言えるかもしれない。今回は、株式会社小肥羊ジャパンの代表、青山 浩氏にお話を伺った。

名門、灘中学にて。

青山氏は1973年、大阪市住吉区帝塚山に生まれる。兄弟は、兄と弟。父親は大手百貨店のグループ会社で勤務されていたそうだ。
「好奇心旺盛な子ども」。少年時代を一言でいうとそうなるらしい。勉強が良くでき、名門、灘中学に進学している。
小学校では塾でも、学校でも群を抜いていたはずだが、「灘中に入ると、勉強ができる奴ばかりで」と青山氏。
成績は上から数え3分の2くらいを行ったり来たりしていた。天才がふつうの生徒になる。しかし、その順位に甘んじる青山氏ではない。中学3年になって、一念発起すると、成績はみるみる上昇し、最終的には上位10位に食い込んだそうだ。
「中学3年の時には、めざすものがあったんです。野口英世さんです。彼に憧れ、京大に入り、医師になるつもりでした。しかし、彼もけっして英雄だったわけではないことを知って幻滅してしまうんです」。
「幻滅」。多感な少年にとって、重い二文字である。少年の心は、いたく傷ついたに違いない。しかし、青山氏は、すぐに方向転換した。

野口英世、改め官僚。

「医師を辞め、次にめざしたのは官僚です」。
「東大」「官僚」。野口英世の話にしてもそうだが、一般の私たちからすればホラにも吹けない話がバンバンとびだし、腰が引ける。
とにかく、話を進めよう。
青山は、エスカレーター式で灘高校に進学する。むろん、めざすは東大。しかし、勉強ばかりの青二才ではない。
甲子園球場でビールを売り歩くバイトもした。
挫折も経験している。
「バイトも含め、さまざまなことに手を出していたもんですから、結局1浪してしまいます」。
青山氏が赤門をくぐったのは、高校卒業の翌年。法学部に入学している。住まいは池ノ上に借りた。月5万円のアパート。初めての独り暮らしでもあった。

官僚、断念? 富士銀行(現みずほ銀行)就職。

「思ったより、国家一種の試験のカベは高かったですね」と青山氏。当時は猛烈な買い手市場。そのなかでも、大手都市銀行に就職しているからすごい。
「結局、富士銀行に入行しました。勤務したのは約3年です。その後、友人に誘われてインターネットのベンチャー企業を設立しました」。
2000年、ITバブルに向け、ネット関連の企業が次々、設立された時だ。うまくいった会社はそう多くない。青山氏がつくった会社も、その一つだったようだ。
「なかなかうまくいきませんでした。結局、1年くらいで撤退。転職活動、開始です(笑)」。

・・・続き
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