2016年4月21日木曜日

株式会社ポトマック 代表取締役 金指光司氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ポトマック 代表取締役 金指光司登場。
本文より~

少年の知恵。

貧乏だった、と金指光司氏は子どもの頃を振り返って笑う。だから、大きくなったら、貧しい思いはしたくないというのが少年の素直な思いだった。
お金はなかったが、才能には恵まれていた。なかでも、絵がとても上手だった。
「美術や作文のコンクールでいろんな賞をいただきました」。絵を描く、作文を書く。お金はかからない。少年は、小さな画用紙のなかで、いくつかの文字のなかで、世界を描いた。
「旅行とかは行ったことがない。やっていたことっていえば、そうですね、小学生高学年の時から音楽にハマって。それがいま思えば、良かったんでしょう。そのおかげで道を外すこともなかったから」。
音楽を始めた頃、一つのエピソードがある。
「ギターを弾きたかったんですが、買うお金がない。それで、ギターみたいなのを手づくりして練習していたんですが、それをみた母が、たまりかねたんでしょうね。大事な化粧箱を売って、ギターを買って来てくれました」。
「当時、うちにはレコードがたくさんあったんですね。シャンソンとか。そういうのを聞いていました」。
ラジオにも釘付けになった。夜になればラジオのスイッチを入れ、流れてくる洋楽に耳を傾けた。
「興味を持ちだすとハマるタイプなもんですから、本を買ってきて、いろんなアーティストがいることを知りました。お金ですか? バレて、母親に物凄い剣幕で怒られてしまうんですが、当時、流行っていた仮面ライダーカードやスパイ大作戦手帳を転売して、やりくりしていたんです」。
少年の知恵である。

サブカルチャーと金指氏。

高校はデザインで有名な工業高校に進学した。美術教師でもあった担任から、薦められたからだ。
「この学校がいい、と薦めていただいたもんですから素直に進学するんですが、私と同じような生徒がたくさんいて、それで私のオタク度も加速するんです(笑)」。
全員が、サブカルチャー好きだった、と金指氏。主流ではない、亜流の文化に惹かれるということだろうか。
「当時、MTVが始まって、音楽やファッションのムーブメントが動き始めたんです。新鮮な思いでした」。
1枚の絵を描く才能は、新たな文化も、時代の流れも敏感にキャッチした。「感度」という言葉に凝縮されるかもしれない。高校の教師も、そうした金指氏の一面を的確に捉えていたのだろう。
教師は、シャープの子会社「デザインモデルセンター」を薦め、金指氏は今回もそれに素直に従った。
「いまでは世界規模ですが、当時はまだ50人くらいの会社でした。寮生活です。楽しかったですね。4畳半に2人です。何もしないとつまらないんで、押し入れに隠れて相手を驚かせたり、トイレットペーパーで蜘蛛の巣をつくったり。水遁の術で風呂に隠れたこともありましたっけ」。
「デザインモデルセンター」には、1年くらい勤めた。もう、貧しくはなかったが、まだ何をしたいかは明確ではなかった。

アパレルと金指氏。


「最初になりたいと思ったのは、シェイパーです。シェイパーとは、オーダーメードのサーフボードを作る職人なんですが、波乗りをしていたもんですから、ああいう仕事がいいな、と」。
ところが、そう思っていた矢先、あるアパレル会社の社長から声をかけられた。金指氏の時計が、動き始める。
「20歳の時です。その社長さんに誘っていただいて、彼が経営するアパレル会社に就職するんです。結構、お金持ちで、豪遊も好きな方だったもんですから、今まで行ったことがないようなお店に連れて行っていただいたりして、世界が一気に広がります。お酒の味を知ったのも、この頃です」。
最初は販売職だったが、そのうち、商品開発へ。デザイン企画にも携わり、デザインの方法も学んだ。もともとファッションや音楽に傾倒していた金指氏である。デザインという仕事は、適正だったのではないだろうか。

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