in-職(いんしょく)ハイパーの“飲食の戦士たち”に株式会社ニッコクトラスト 代表取締役社長 須藤高志氏が登場。
須藤、少年。
「一時は、プロのミュージシャンをめざしていた」と須藤社長は、笑う。昔の話である。
「親父は、とにかく頑固な性格でね。今思えば愛情の裏返しなんですが、中学生の頃には新聞配達をさせられましたし、中高一貫の男子校にも入れられました。一言で言えば、怖い父です。でも、高校くらいから、もうこいつはダメだって思ったんでしょうね。好き勝手しても、何も言わなくなりました(笑)」。
小学校の頃は、大人しい性格だったそうだ。父親が、中高一貫の男子校に進学させた理由の一つである。「男子校に入れば、もう少し活発な人間になると思ったんでしょうね。たしかに男子校。だんだん、性格も矯正されていきます」。
父親の期待通り、活発な少年になってはいくが、そのぶん、父の手から離れるようになる。父親への反抗心もあったが、父親もまた、それを望んでいたような気がする。
息子を自立させるため、きびしく躾ようとしていたように思えるからだ。
「中学生の頃から小遣いもない。新聞配達をしろ、と。そういう教育だったんですね、父は。実は、教師に一度、止められたんです。子どもが朝早くから危ないって。でも、親父は『これがうちの教育だ』ってつっぱねました」。もっとも、お金に困っての新聞配達ではない。須藤氏が手にした給料は、父親の手によって、そっくり貯蓄された。
「反抗していたはずなんですが、結局は、父の手のひらのうえにはいたんでしょうね」。一方、父親にも案外、やさしいところがあった。「たとえば、中学からブラスバンドに入り、ドラムを叩き始めるんですが、その時、ドラムを買ってくれたり、ね。ひょっとすれば、少しずつ私のことも認めてくれるようになっていたのかもしれません。ただし、この時、フルセットで買ったものだから、うちにはスペースがない。それで、母方の、母方の祖父は代々のお金持ちなんですが、そこのうちの離れに置かせてもらって練習をしていました」。
新聞配達とブラスバンド。教師が反対した理由もわからなくはない。新聞配達は朝が早い。3時半には起きだして、出勤する。学業とクラブ活動だけでも両立はむずかしいのに、よくつづいたものだ。
夏はまだいいが、冬は走り出すと、氷の刃が向かってくるばかりだ。それでも空は澄んでいたし、たぶん、少年に声をかけてくれる大人との、あったかいふれあいあったことだろう。ブラスバンド部ではドラムを叩き、メンバーと息を合わす。そうしたことを積み重ねることで、少しずつ大人の階段を少しずつ登りはじめたに違いない。
なかなかできる教育ではない。
就職。
「高校では、飲食のバイトも始めます。今思えば、これが私の原点ですね。就職の時に『飲食』が念頭にあったのも、この時に『飲食っていいな』と思ったからなんです」。
須藤氏は、駒澤大学に進学する。冒頭の一文はこの時のこと。ブラスバンドに熱中していた須藤氏は、この時、バンド活動に精力的に取り組んでいた。「私だけじゃなく、誰でも、一時はいけるんじゃないかと思うんです。でも、知れば知るほど難しいってことがわかてくる。言っても何千人に1人の世界でしょ。大きなカベが立ちはだかる。その一方で、就職が近づいてくるわけです。それでメンバーが1人抜け、2人抜け。やがて、『オレも』と、私も就職活動を開始するんです」。
前述した通り、就職するなら飲食だと思っていた。
チャンスは向こうから近づいてきた。
「就活の時期に、2人の従弟から誘われるんです。1人は、いまのうちの会社、ニッコクトラストで勤務していた人間で、もう1人は、レストランを何軒か経営していまして、『チェーン化するんで、来てくれないか』という話でした」。
はたから見れば、リスクはあっても後者のほうが楽しそうだ。「そうですね。でも、その時、両者には雲泥の差があったんです」と須藤。どういうことだろう。
「レストランのほうは、以前、バイトもしていたんで、だいたいわかるんです。朝7時~夜11時まで。奥さんもいっしょだったし、寝ることも、休むこともできないことがわかっていました。逆に、ニッコクトラストっていう、つまり、うちの会社ですが、うちで連れていかれたのは、大手町にある銀行の社内食堂です。そりゃ天国みたいですよ。2時には、ランチが終わっていますから、みんなでゆったり食事なんかして、笑いあっている。安定しているし、『利益もいいんだ』って、聞かされて」。
なるほど、雲泥の差である。
「『どうだ、うちはいいだろう』って言われて。『そうか、そうだよな』です(笑)。天国と地獄があるとすれば、そりゃ、ニッコクトラストが天国でしょ。そう、まさに天国だと思って入社するんです。ふつうの人なら、もうちょっと事前に調べるかもしれませんけどね(笑)」。
安パイを取った。正確に言えば、取ったつもりでいた。