2016年11月1日火曜日

株式会社千里 代表取締役、面白法人カヤック 顧問 湯澤大地氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社千里 代表取締役、面白法人カヤック 顧問 湯澤大地氏登場。
本文より~

父と少年。

母の出身が奥多摩だった。夏になると、その奥多摩に行き、アマゴ釣りなどに興じた。
父は、鎌倉市の大船で中華料理店を営んでいた。その父について、湯澤氏は「先見の明があった」と語っている。中華料理店を出店する一方で、回転寿司や吉野家とフランチャイズ契約を結んだ。
「まだまだフランチャイズが一般的ではなかった時。吉野家にしても、フランチャイズビジネスは、まだアーリーステージの頃でした」。
「事業欲がつよかった」とも言っている。「とにかく、投資ですね。バブルの頃には見事に踊った口でした(笑)」。最盛期に、店は60店舗まで拡大した。「100億円をめざす」。それが父の口癖だったそうである。
ところで、湯澤氏が生まれたのはバブルのはるか以前。出身は神奈川県である。兄と妹、弟の4人兄弟。仲のいい兄妹だった。むろん、裕福である。「外食も良く行っていたほうです。デニーズができた時も、早速親子で出かけました。父と接する時間は多くありませんでしたが、短い時間でも、いい思い出ができるように気を使ってくれていました。それがわかるから、やっぱりいい父ですね」。
そんな父親の教育方針は、自主・自立。
「つまり、放任ですね。兄が良くできたぶん、弟の私は、規格外でもいいかと思っていたんじゃないですか。中学時代に、ともだち5人と自転車をこいで、2泊3日の旅行に行ったりしましたが、特別、注意もされませんでした」。

自転車でかけた中学時代、アメリカに向かったのは、高校1年の時。

中学時代の話。
「私は、出会った1人のともだちにすっかり魅了されました。彼は、自転車競技をやっていて、私もいっしょにレースに出たりもしました。それで、自転車旅行にもでかけたりもしたんです」。
箱根まで往復100キロの日帰りも、決行した。中学生でなくても、かなりの距離である。ともだちと5台の自転車をならべ、走り抜いた。山中湖にも向かった。手製のテントをひろげ、樹海で泊まったこともあるそうだ。
「もし、彼と出会っていなかったら、絶対、そんな旅は、やっていませんよね。そういう意味でも彼は、私の人格形成のなかで、重要な役割を果たしてくれたと思っています」。
何にも縛られない自由な生きざま。それが、中学時代に、湯澤氏がみつけた人生のコアではなかったか、と思う。高校に進学して、さっそく、海外に向かったことも、顕著にそのコアの影響が表れている。
「そうなんです。高校に入ってすぐに、アメリカに向かいます」。
湯澤氏は、長男ではなかったので、父の料理店を継ぐ気はなかったそうだ。しかし、父のほうはどう考えていたんだろう。兄と弟を違ったように教育する。それは、いずれか1人でも、という計算があったからかもしれない。父親が渡米を勧めたのも、弟、湯澤氏に兄とは異なる期待を寄せていたからかもしれない。
「向かったのは、アメリカと南米です。とくに南米は、たのしかったですね。たぶん、自転車で、箱根や浜名湖まで出かけた中学生の時代に、冒険心も育まれていたんでしょう。向こうではバイトをしながら、糊口をしのいで、約2年半過ごしました」。
アメリカはもちろん南米は、湯澤氏の期待にたがわず、冒険に満ちていたはずだ。いったん、冒険を終え、帰国した湯澤氏は、父が経営する会社に入社した。
冒険は終わり、現実の日々が始まった。

・・・続き

株式会社千里 代表取締役、面白法人カヤック 顧問 湯澤大地氏
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