本文より~
大学時代まで。
祖父の代からの事業家である。現在も、実家は兄でもある長男が引き継ぎ、繊維関係の事業を行っている。「私が、起業しようと思ったのは、小学校の頃、社会見学ではじめて父親のはたらく姿を観た時です」。経営者である、父親の姿が、格好良かった。その姿に惹かれたのだという。原点は、そこにある。
北浦氏が生まれたのは、1976年12月23日。出身は、大阪府泉佐野。大阪湾岸の南側に位置する市である。「兄2人の影響で、幼稚園の年長からサッカーをはじめます。小学、中学とクラブ活動をしていました。高校でも続けるつもりだったんですが、『推薦でないと』と暗に断られ、サークルのようなチームを立ち上げ、他校と試合をしたりしていました」。
自らクラブチームを立ち上げるなど、この頃から起業家の片鱗をみせている。大学は、京都の「龍谷大学」に進んだ。もっとも、北浦氏が選択した学科のキャンパスは、滋賀にあった。それもあって、大学4年間は、滋賀で暮らしている。
大学時代は、家庭教師の「トライ」のアルバイトで、月20万円も稼いだそうだ。ただし、家庭教師のバイトではない。営業のバイトだった。北浦氏らしい、選択である。
北浦氏が生まれたのは、1976年12月23日。出身は、大阪府泉佐野。大阪湾岸の南側に位置する市である。「兄2人の影響で、幼稚園の年長からサッカーをはじめます。小学、中学とクラブ活動をしていました。高校でも続けるつもりだったんですが、『推薦でないと』と暗に断られ、サークルのようなチームを立ち上げ、他校と試合をしたりしていました」。
自らクラブチームを立ち上げるなど、この頃から起業家の片鱗をみせている。大学は、京都の「龍谷大学」に進んだ。もっとも、北浦氏が選択した学科のキャンパスは、滋賀にあった。それもあって、大学4年間は、滋賀で暮らしている。
大学時代は、家庭教師の「トライ」のアルバイトで、月20万円も稼いだそうだ。ただし、家庭教師のバイトではない。営業のバイトだった。北浦氏らしい、選択である。
独立。その始まり。
大学2年、バイトで儲けたお金で、日本を飛び出した。アメリカでの短期留学がスタートする。1ヵ月だが、いい思い出になった。というか、これで海外旅行にハマって、その後も、アメリカ、アジアに旅行している。行動半径が広がると、視野も、心も広がった。
「地球の歩き方」が愛読書となる。ついでに、これがきっかけで、大学3年生の時に「龍谷大学」の広告に登場し、朝日新聞の全国紙の1ページを飾った。「たぶん、実家のどこかにいまもあるはず」と笑う。
ところで、広告のメインビジュアルは2人の学生。男女1人1人で、男性の方が、北浦氏だった。全国紙の1ページともなれば反響も大きい。「就活でも、結構役立ちました」と北浦氏。何でも面接官に「君、広告にでていたね」と言われたこともあるそうだ。それが功を奏したわけではないだろうが、のちに上場する、株式会社「日本リロケーション(現株式会社リロクラブ)」に就職することができた。
「経営者を100人つくると謳っていて、そこに惹かれて、入社したんです」。在籍したのは1年半。短い間だったが、「経営」「起業」という言葉に、からだが反応するようにはなっていた。
「同期に誘われて、独立しようと思ったんです。今思えば、安易な発想でした。業種は、ズバリ飲食です。彼が、先に会社を辞めて、調理を学ぶなど、準備をしてくれていたんです。ところが、私が辞表を出した、まさにその日に、彼から『オレ、飲食で起業するのを辞めるわ』って連絡が入ったんです(笑)」。
梯子を外された格好だ。宙ぶらりん。しかし、すでに行動に移してしまっていた。「それで、すぐには独立できないな、と思って、外食の経営の勉強をするためにプライム・リンクに転職したんです」。
当時は、「プライム・リンク」は絶好調だったそうだ。1999年だから、「牛角」のエリアフランチャイズ本部の権利を取得し、エリアフランチャイズ本部事業展開を開始した頃である。
5年半、勤めた。
「地球の歩き方」が愛読書となる。ついでに、これがきっかけで、大学3年生の時に「龍谷大学」の広告に登場し、朝日新聞の全国紙の1ページを飾った。「たぶん、実家のどこかにいまもあるはず」と笑う。
ところで、広告のメインビジュアルは2人の学生。男女1人1人で、男性の方が、北浦氏だった。全国紙の1ページともなれば反響も大きい。「就活でも、結構役立ちました」と北浦氏。何でも面接官に「君、広告にでていたね」と言われたこともあるそうだ。それが功を奏したわけではないだろうが、のちに上場する、株式会社「日本リロケーション(現株式会社リロクラブ)」に就職することができた。
「経営者を100人つくると謳っていて、そこに惹かれて、入社したんです」。在籍したのは1年半。短い間だったが、「経営」「起業」という言葉に、からだが反応するようにはなっていた。
「同期に誘われて、独立しようと思ったんです。今思えば、安易な発想でした。業種は、ズバリ飲食です。彼が、先に会社を辞めて、調理を学ぶなど、準備をしてくれていたんです。ところが、私が辞表を出した、まさにその日に、彼から『オレ、飲食で起業するのを辞めるわ』って連絡が入ったんです(笑)」。
梯子を外された格好だ。宙ぶらりん。しかし、すでに行動に移してしまっていた。「それで、すぐには独立できないな、と思って、外食の経営の勉強をするためにプライム・リンクに転職したんです」。
当時は、「プライム・リンク」は絶好調だったそうだ。1999年だから、「牛角」のエリアフランチャイズ本部の権利を取得し、エリアフランチャイズ本部事業展開を開始した頃である。
5年半、勤めた。
・・・続き
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで)
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