2017年12月26日火曜日

株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏登場。

in-職(いんしょく)ハイパー“飲食の戦士たち”株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏登場。
本文より~

100年品質。その源流。

静岡県清水市は、富士山を望む港町である。この港町に代々つづく、ふぐ料理の名店がある。「いま5代目の長兄が継いでいて、およそ100年の歴史があるお店です」。今回、ご登場いただいた株式会社ローカルダイニングの代表取締役、榊原浩二氏の実家である。
榊原氏は子どもの頃から「将来、社長になる」と言っていた。理由は「社長が、いちばん偉いと思い込んでいたから」だそう。
「社長になる」と宣言した少年榊原氏は、静岡の港町ですくすくと育ち、進学校の一つである「清水東高校」に進学する。
幼少期を振り返り、ホームページでは<実家が料理屋で、幼い頃から祖母や両親がはたいている姿をみてきた><仕込みや清掃時間等の裏方の仕事ばかりみていたせいか、本当にたいへんな仕事だなと感じた>と書かれている。
100年つづく、由緒あるお店。それはいうまでもなく榊原氏の源流でもあるのだが、当時は、まだ、その流れに気づいてはいなかったということだろう。

いちばん苦手な仕事をしよう。

1年浪人して、上智に進学。「進学したのはいいんですが、勉強はしないし、何かに打ち込むわけでもない。最低な無気力人間でした」。
自分をそう評する榊原氏にひとつのターニングポイントが訪れる。
「やりたいことがみつからず、自分探しの旅に出かけました。アメリカ、メキシコ、べトナム、インド。そうそう、メキシコにいた時に9.11があって、3日間足止めを食らいました」。
海外はトラブルも多く、何かあっても1人で対処しなければならない。初めての町は知らないことばかり。不安もなくはない。
「窮地に追い込まれるでしょ。トラブルも起こる。日本にいたら、出会わないシーンでしょ。でも、そういうことを一つひとつクリアして、少しずつ何かがみえてきた。周りの人たちにいかに支えられているかということも、みえてきたことの一つでした」。
自称、無気力な人間が少しずつ変化する。
ただし、何かをしたいというコアはまだなかった。「就職の時も、『これをしよう』『これをやりたい』ってことはなかったですね。ただ、一つのルールを課したんです。『いちばん苦手な仕事をしよう。そして、3年つづけて、成果をだそう』って」。榊原氏がいちばん苦手な仕事と思ったのは、営業職だった。

営業時代。

営業時代の榊原氏の仕事ぶりは、愚直でまじめを絵に描いたようなものだった。「もともと人と話すのが苦手でした。だから、営業には向いていない人間なんです。仕事ができる人は、数字を上げるプロセスを知っていますが、そのプロセスを知っても、私にはできませんでした。だから、『質より量だ』と飛び込みまくるというスタイルの営業をつづけました」。
「無駄なスタイルだ」と榊原氏はいうがけっしてそうではないだろう。血肉は、いつもいちばんたいへんなことをしてはじめて身になる。「私の実力というより、みんなのおかげで成果を残すこともでき、ルール通り、3年が終わって退職しました」。
このあと、榊原氏は飲食に進むのだが、その時の様子をホームページには以下のように綴られている。<異業種で働き、お客様の立場で自分が飲食店で食事をすることが増えていくにつれて、改めてサービス業、飲食業の魅力に気づき、自然とこの道でいきていこうと決心するようになりました>。
そう、榊原氏と飲食が重なる。偶然ではなく、必然。ようやく、方向が決まる。いったん向かうべき方向が決まれば、あとは突き進むのみ。目標は、30歳で独立すること。
・・・続き
株式会社ローカルダイニング 代表取締役 榊原浩二氏

PRバナー
(社長記事やグルメ情報など飲食の情報はキイストンメディアPR事業部まで) 

0 件のコメント:

コメントを投稿